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ラベル(代表・田中景「老いた電池売りの独白」)が付いた投稿を表示しています

エピソード040 <バッテリージプシー>

   確かにアメリカは日本より転職が多いと思いますが、実質的なクビも多いんです。特に営業職は数字が上がらないとかなりドラスティック。もちろん、何回か「なぜ売り上げが上がらないのか」言い訳を聞いてもらえるチャンスがありますが、3ストライクでアウトが普通です。すると対象の社員はどういう行動をとるか・・・大半が2ストライクぐらいで転職活動を始めます。で、転職先が見つかり辞表を提出。こういう場合は「辞めた」というべきか「クビ」というべきか・・・多額の給料で華やかに引き抜かれることよりも、実際はこういう微妙な転職が多いのです。もちろん給料が下がることだってあります。  で、彼らはどこへ行くかというと、現職と全然関係ない企業に行くことはまれで、同じような製品を扱っている企業に転職することが多い。培ってきた専門知識も生かせますし、なにより、現職で築いた人間関係を駆使して顧客企業にアプローチもしやすい。まあ、平たく言うとお客さんを盗みやすいですからね。電池業界だとプレーヤの数が少ないので、この傾向がますます強い。この前までウチで営業をやってたアイツ、先月からあのライバル企業に移ってウチのお客さんの○○社にちょっかい出しているんだってよ。あの野郎・・・という話は珍しくありません。  そんな時、よく使われた言葉が「バッテリージプシー」です。そうか、アイツもバッテリージプシーになっちゃったんだなあ。ウチに来たときは電池のデの字も知らない奴だったのに・・・。  1984年に電池業界に入ってから、私は何人ものバッテリージプシーを送り出し、受け入れ、競い合い、協力してきました。それでも、1999年までは自分自身がジプシーになるとは思っていませんでした。ところがこの年、考えてもみなかった理由で私はそういう流れに引きずりこまれていきます。  当時私が所属していたのは三洋電機の代理店で、私はアメリカ現法の営業責任者をしていました。ですからセルは三洋の米国現法に売っていただく(この表現が適切でした)わけです。当時はアナログ携帯電話、いわゆるセルラーフォーンの全盛期で、ほぼすべての電話メーカーが同じようなサイズのニッケル水素電池を使用していたので供給が全く追いつきません。どの電話メーカーも「電池待ち」の端末在庫が積みあがっている状態でした。  この頃、アメリカ市場ではノキアとモトローラの2強がセルラー市

エピソード039  <MOQ・PSE・EOL・・・>

      会議で、用語の意味が分からないまま議論が進んでいくと不安になりませんか?意味を聞きたくても話の流れを切っちゃうのが失礼だと思ったり、ほかの出席者は知っていそうだから聞きにくかったり・・・特に最近はアルファベット 3 文字に短縮された用語が必要以上に飛び交って、   これって何の略だろうと思うことがありますよね。  私は、最近家内がしきりに TKG という言葉を使うので、勇気を出して「それ、何」と聞いたら「タマゴかけご飯」とのこと。後日叱られないために聞いておいてよかったです。     今号タイトルの 3 つの略語にピーンときた方は我々と同じ業界人ですね。3つそれぞれに苦労させられています・・・まず、今、電池の仕事で最初にぶち当たる壁が MOQ です。 Minimum Order Quantity の略で「最小 発注 数量」という意味ですが、現実はメーカー側が「 ○○ 個以下なら販売しません」という意味で使われることが圧倒的に多いので「最小 受注 数量」と意訳した方がいいかもしれません。   500 個しかいらないのに MOQ が 1000 個ですと言われたら、今の電池業界では交渉の余地はほぼありません。いつ使うか分からないけど 1000 個買わざるを得ない。では 50 個しかいらない場合はどうするのか・・・ニカド時代は小分け販売する代理店さんがあったものですが、   使い方次第で事故につながるイオン電池には小口販売を堂々とはできず、怪しげなネット販売しかありません。わが電池産業はすっかり小口需要に冷たい業界になってしまいました。  なんとか MOQ を突破すると今度は PSE です。日本でリチウムイオン電池を流通させる場合は(例外も少々ありますが)電気用品安全法に基づいた試験を実施したうえで PSE マークを付けなければいけません。これは Product Safety Electrical appliances and materials の頭文字・・・ということのようですが、どうしてもアルファベット 3 文字に縮めたかったんですね。とはいえ、これは法律ですからちゃんと費用をかけて試験しなければなりません。そんな費用、なんでウチが払わなければならないんだよ・・・というお客様も多いので、営業としては苦労するところです。    で、 PSE も OK になっ

エピソード038  <電池と巡り合ったころ(後編)>

 「Kと申します。ビデオフロアの田中さんをお願いします」  彼と会ったことを忘れかけたころ、外線から電話がかかってきました。  「お電話ありがとうございます。田中は私です。思い出しました。電池でご相談がおありなんですよね」  見てもらいたいものがあるから横浜駅西口の事務所に来てほしいということで、私は指定日に各社のポータブルビデオのカタログを持って出かけました。こういうときはハンテンを着なくてもいいので、少し解放されたような気がします。指定されたビルに着くとK氏はエントランスで待っていました。連れて行かれたのは事務所ではなく2階のレストラン。挨拶を終えると、彼はある企業の会社案内を私の前に置きました。知らない社名でした。  「二次電池と言ってね、充電できる電池を専門に扱っている商社なんだけど、田中さん、興味ないかな。電池の基礎知識がある人を探しておられるんだけど」  考えていたことと現実との間のギャップに、私はカタログを入れた茶封筒を持ったまましばらく何も言えずにいました。引き抜き?  「・・・電気屋さんの店員がいけないっていうわけではないけど、ああいう仕事って若いうちだけだと思うよ。お給料も高くないと思うし。それに、土日にきちんとお休みがある仕事の方がいいでしょう?」  土日が休みでないというのは不便でした。ちゃんとしたガールフレンドができないのも休みが合わないというのが大きな障害でしたし。  「田中さん、年齢は? 大学は出ているんでしょう?」  「26歳です。大学は行っていません」大学受験しなかった話、配管工になったら革命が起きて仕事がポシャった話を正直に話しました。すると彼は難しい表情になり「高卒かぁ」とつぶやきました。高卒が問題で、なぜ高卒なのかはあまり関係ないという感じです。  「田中さん、じゃあ、こうしてくれませんか。ウチに来ている求人票は大卒が条件になっているんだけど、もし、あなたが転職したい気持ちがあったら履歴書を送ってください。私は企業さんに『高卒だけど電池に詳しい人がいる』って言ってみるから」テレビコマーシャルをガンガンしている人材紹介会社のロゴが入った名刺を私に差し出しました。  呼び出されて、土日休みと給料アップの夢を見せられて、そして高卒の店員という自分の現在地をこっぴどく知らされただけでした。私は履歴書を送りませんでした。  年が明け、そ

エピソード037 <電池と巡り合ったころ(前編)>

    1983年の年末、26歳の私は、 派手な黄色いハンテンを着て横浜の家電量販店のテレビ・ ビデオ売り場に店員として立っていました。デンキ屋は「 雰囲気が第一。お客様の購買意欲を盛り上げよう」 という精神論大好き店長の指示で、 私たち店員はみなネクタイの上にハンテンを着せられていたのです 。 「ハンテンでモノが売れるわけないじゃん」・・・ 私は冷めた気持ちで、ハンテンの上に「専門相談員 田中(景)」 という大きな名札まで付けられてフロアに立っていました。  そもそも店で「待つ」 しかできない店員稼業が性に合わないのは最初から分かっていまし た。だからお客様には申し訳ありませんが、内心「 なぜこんなことやっているんだろう」 という気持ちで接客していたのです。   なぜこんなことやっているんだろう・・・その数年前、 高校を卒業して、なにしろ人と違う生き方をしたかった私は、 大学受験をせず配管工見習いになりました。 知り合いに総合商社系のイラン天然ガス採掘プロジェクトを教えら れ「これだ」と応募し、イランで仕事をすることにしたのです。 一人前の配管工になれば現地に数年間行き、 学校や病院の建設で働ける。「 あっちではお金の使いようがないから、 3年も行ったらまとまった額の貯金ができる」と言う話でしたが、 国内の現場研修を重ね、 パイプレンチの扱い方も一丁前になった1978年、 イラン革命が起きました。宗教家と民衆が蜂起し、 親日的だった国王は追放されて、あっさりプロジェクトは中止。・ ・・外国に行けないのだったら重労働の配管工なんてまっぴら、 すぐにやめました。電気店の店員は、だから「仕方なく」「 とりあえず」の職業で、誇りもやりがいも感じていませんでした。 お酒を覚え麻雀にはまり、 とんがっていた青年もみるみる愚痴っぽいサラリーマンになってい きます。今思えば「配管工もイヤだけど店員もイヤ」 という辛抱のない若造だったのです。   ・・・「今、電話があって、Mさんのビデオ、 また録画時間が短くなっちゃったんだって。 後でお店に来るってよ」裏でタバコを吸って売り場に戻ると、 同僚が私にメモを渡します。Mさんはポータブルビデオ一式( ビデオカメラ+ビデオデッキ+カバン・電池など。 私の月給が手取り15~ 16万円のころ一式60万円ぐらいでした) を買ってくれた私のお客さ

エピソード036 <ジャッジしましょう>

   取引先の担当者で、 日本人をからかうのが大好きなラリーがニヤニヤしながら言います 。タナカさん、いい話を聞いたんだ。聞いてくれよ。   ・・・国際線の旅客機が海に不時着して、 3人のビジネスマンが救命ボートに乗って流されていた。 仕立てのいいスーツを着たアメリカ人、 全身ブランド物でキメたおしゃれなイタリア人、 大きなカバンを大事そうに持った野暮ったい日本人。 海流に乗り3人は無人島に流れ着いた。すると後からもう一人、 おぼれて瀕死の美女が同じ島に流れ着いた。 3人は協力して美女を介抱し、3日後彼女は意識を取り戻した。 彼女は3人に感謝の言葉を贈り「 私が生きているのはあなた方のおかげです。あなたがた、 どなたかのお嫁さんにしてください」。3人は相談し、 3人そろったところで一人ずつ彼女にそれぞれの思いを伝えること にした。  まず、アメリカ人ビジネスマンが、 いかに自分は成功者であるかを語り、 ニューヨークの銀行の口座に入っている預金の額を示して彼女に幸 せな空想をさせた。   次に、 イタリア人ビジネスマンは愛のカンツォーネを1曲歌いあげ、 ローマやナポリの美しさ、 イタリア料理のおいしさを伝えて彼女をうっとりさせる。   すると日本人ビジネスマンは、 大きなカバンからポータブルファックスを持ち出し「 こういう場合はどうすべきか」と本社に指示を仰ぎ・・・ ましたとさ。   無人島なのに電話回線はあったのか、 などと細かいツッコミをいれたくなりますが、 私はこの話を聞くのはこれが初めてではありませんでした。 30年ほど前のこの頃、 対面の会議をしても決してその場で回答せず、 なんでも「本社に確認して後日回答」 とする日本人ビジネスマンはアメリカ人にこのように揶揄されてい たのです。 今ならポータブルファックスはさしずめノートPCかスマホのSN S でしょうね。 ジャパニーズは荷物が大きくて着るものもダサいというのが当時は ステレオタイプ。ケラケラ笑う小憎らしいラリーの顔を、 私は今でも覚えています。   それから30年たって、われわれ日本人の「決められない」 体質は多少改善されたのでしょうか。 着るものは多少おしゃれになりましたが、 何かを決断を求められた時まず周囲の人たちの顔色を見てしまう習 性はそのままのような気がします。 背伸びして自分の権限以上の決断

エピソード035 <5兆円>

  この連載を始めるときに「できるだけ政治的な発言はやめよう」 と思ったのですが、 今回はちょっとした政権批判みたいになっちゃうかもしれません。 ひとり4万円の減税って何なんでしょうね。皆さん、賛成ですか? 予算規模は5兆円ですってよ。今年の国家予算は107.6兆円。 実に4.6%です。   テレビでも、多数のコメンテーターの方が批判的なようです。 そのポイントは: 選挙前のバラマキではないのか。 IT後進国の日本がこんなことして、 またたくさんおカネを使ってとんでもないミスを繰り返すのではな いか。 システムエラーで「減税されなかった人」「減税され過ぎた人」 がぞろぞろ出てくるのではないか。 そもそも「税収増分の国民への還元」とは何か。日本の税収/ 歳出バランスはずっと赤字であり、「還元」 できるような財政状態ではない。 特に3 に関して、 政府は「史上 最高 の税収だから」 という言葉を持ち出しているようですが、 その前年にコロナ対策で史上 空前 の支出をしており( 以下PDFのグラフご参照。財務省HPから)、それと比べたら「 還元」とか言っている場合ではないと思います。 https://www.mof.go.jp/tax_ policy/summary/condition/003. pdf     そもそも「史上最高の税収」には、 円安で利益を上げた輸出型の企業の法人税が貢献したものと思われ 、 それを原資に円安が要因の物価高対策に充てるって完全にマッチポ ンプ。おおもとの円安に対策を打たなければなりません。   さあ、ここまで大議論を振りかざして「老いた電池売り」 はどこに行くのでしょう。 中小企業の親父のブンザイで円安対策なんて語れるのでしょうか? ・・・それはそうなんですが、まあ、聞いてください。   歴史上、通貨が安くなった国(まさに今の日本) の貿易収支は急速に回復して、 通貨安は解消に向かうことになっています。 自国通貨が安くなれば輸出がしやすくなるから。   今の円安は日本と諸外国の金利差が原因だから( 日本で金利を上げると企業がつぶれてしまう) どうしようもないよね・・・という思考停止ではいけません。 円安をアドバンテージにガンガン輸出すれば、 多少金利を上げてもそれを貿易収益で賄えるはずです。   問題は、今の日本には輸出するものが無い、とい

エピソード034 <漢字・感じ・幹事はむずかしい>

 ★ 今号はちょっとだけオトナのお話が混じっています。 そういうのがお嫌いな方はスキップしてください。 かつて銭湯の入り口には番号札式の下駄箱があり、そこに履物( はきもの)を入れてから脱衣場に入るようになっていました。 ところが、 このシステムが分からず脱衣場に土足で入ってきてしまうお客が一 日に何人かいる。そこで店主は下駄箱の横に張り紙をしました。 「ここではきものをぬいでください」 漢字が読めない子供も来るからと全部ひらがなで書いたのが間違い のもとで、 今度は下駄箱の前でハダカになってから脱衣場に入ってくる人がた くさん・・・って、何が起きたか分かりますか? 今、ためしに自分のパソコンで「 ここではきものをぬいでください」を一括変換したら、はたして「 ここでは着物を脱いでください」と変換されました。 もちろん店主は「ここで履物を脱いでください」 と言いたかったのです。 この話は、漢字で書けばいい(漢字にフリガナをすれば完璧) のにひらがなで書いて失敗した例ですが、現代はパソコン、 日常的に誤変換と闘わなくてはいけません。 現にこの文章をここまで書く間にも「一括変換」が「一括返還」、 「漢字」が「感じ」と変換され、 舌打ちしながら何度も変換キーをたたいています。もう、 機械はバカだなぁ、「感じで書けば」って何なんだよ!! 誤変換がやっかいなのは、 タイプしている人間が正しい漢字を知らないと、 間違ったまま世の中に出て行ってしまうということですね。 電池界隈のかなりのキャリアの方でもプリント基板を「基盤」、 篏合(かんごう。電池が機器本体にはめ込まれること)を「勘合」 と書いてこられます。「音」は合っているけど「意味」 が違います。 次のお話は、 漢字の「音」と「意味」が見事に合った(合わせた) というお話です。 またまたアメリカ時代のことです。 アメリカ駐在の日本人男性は8割がたがゴルフに興じます。 日本人だけのゴルフの月例会がいくつもあり、 私の居たニュージャージーでも「ナントカ会」「ナントカコンペ」 「ナントカさんを囲む会」的な集まりがたくさんありました。 秋になるとそのシーズンの総決算的な大コンペが実施され、 私の所属していたグループは所属企業からの持ち寄りでいろいろな 景品を準備するのが恒例となっていました。 この年は私が幹事でしたが、やはり食品会社の

エピソード033 <日本語バイリンガルの皆さんへ>

弊社とお取引のある企業で日本語を話してくださる日本人以外の皆さん、いつも大変お世話になっています。皆さんのおかげでコミュニケーションがとれ、毎日ビジネスをさせていただくことができます。本当に助かっています。 ありがとうございます。 今号をこのタイトルで書こうと思ったとき、冒頭は上記の文章にしようと決めていました。ビジネスのコミュニケーションをささえるバイリンガルの皆さんは、このように感謝されることが非常に少ないと思ったからです。 私はアメリカに住んでいたので、英語が話せないと生活できませんでした。だから感謝されるような立場ではありません。しかし、母国に住みながら日本語を勉強して読み書き会話をしてくれる日本語バイリンガルの皆さんの努力は、私の場合とは比較になりません。 日本語を使わなくても生活できる環境にいながら日本語を勉強されている。なかには日本に来たこともない方もおられる。それでも日本人と日本語で話をしたいと思っていただけるのは、とてもありがたいことだと私は思います。 ところで、アメリカ時代、私のアメリカ人上司はよくこんなジョークを言っていました。 「二カ国語を話す人を何と呼びますか?」 「Bilingual(バイリンガル)」 「その通り。では3カ国語を話す人は? 」 「Trilingual(トライリンガル)」 「ご名答。では1カ国語しか話さない人は? 」 「・・・Monolingual(モノリンガル)かなぁ」 「正解は・・・American(アメリカ人)」 アメリカ人に他国語を話す人が少ないことを皮肉る自虐的なジョークです。 ですが、 私はこの上司を含めて周囲のアメリカ人にはとても助けられました。私の英語の間違いを遠慮無く直してくれたからです。これは、私の英語の師匠だった専務(日本人)が私をアメリカに連れて行き、最初に会社のアメリカ人たちに紹介したときに「どんな些細な間違いでも指摘してやって欲しい」旨を言ってくれたからです 。 だから周囲のアメリカ人が頻繁に「You would better say・・・(・・・と言った方がいいよ)」と教えてくれました。ただし、そのあと「Don’t ask me why.(なぜかは聞かないでね)」と付け加えることが多かったことも思い出します。そうですよね、なんとなく感覚でおかしいと思っても、それがなぜかを文法的に説明するのは難し

エピソード032 <Show me the picture>

 私どもも年に何回かは展示会にブースを出して出展するのですが、その際、お客様から大事なポイントを聞き逃さないために「ヒアリングシート」とか「お引き合いシート」と呼ばれるフォームを、弊社の担当者が記入するようにしています。 電圧は○ボルトで容量は○ミリアンペアアワーで充電電流は○アンペアで放電電流は・・・という質問項目が20ほどあり、その穴埋めが用紙の3分の2ぐらいで、残りの3分の1は「特記事項」という白紙部分です。大きな展示会であれば、 記入済みのヒアリングシートは何百枚か集まりますが、「特記事項」が記入されたものはほんの一握り。ほとんどのフォームに書かれた文字は穴埋めの数字ばかりで文章は皆無、まあ味気ない紙の束です。ですから、後日の営業会議で記入済みのフォームを検討する際には、 その企業の規模とか引き合い数量の大きさだけが焦点になり、その製品がとのような魅力・市場性を持っているのかは、なかなか伝わってこない・・・ アメリカ時代、私の上司だったアメリカ人は、接待とプレゼント攻勢で構築した人間関係を駆使してビジネスをするアナログ型の人で(正直、苦手でした! )私が電池のスペックに関して説明しようとすると、たびたびこう言って遮るのでした。 Don’t give me boring numbers. Show me the picture. 「つまらない数字の話をするな。絵をみせてくれ」・・・彼にとって何ボルト何アンペアは単に数字の羅列に過ぎず、そんなものよりその製品は誰が使うのか、どう使うのか、そして、果たして売れる商品になるのかが問題でした。私は「基本的なスペックの数字をロクに理解しないで、 市場性もクソもあるか」と内心笑っていました。が、時を経て自分が会社を経営する身になってみると「売れるか、売れないか」は決定的であることに気づかないわけにはいきません。スペック的にいい製品ができても、売れなければ何にもならない。電池屋は部品屋ですから、採用していただいた製品が売れないと失敗です 。 電池が少々売れても、製品が売れてリピートされなければダメなんです。 10年ほど前、展示会の弊社のブースの打ち合わせテーブルで「ヒアリングシート」を一生懸命に記入しているスーツ姿の初老の男性がいました。通常、シートは弊社の担当者が書くのですが、 面識の無い中間商社の方が商談されていることも

エピソード031 <10人の議論より・・・>

皆さん、「熟考」していますか? 私は最近、「熟考」どころか「考える」ことも激減していることに気づきました。30代40代の頃は、朝、自分のデスクに座るとその日の段取りを「考え」て、自分で優先順位をつけてから仕事をしていたと思います。電車に乗っても、ラーメンを注文して待っているときも何かを「考え」ていました。「熟考」ができていいアイディアを思いついたこともあったと思います。 でも、最近はすっかり考えなくなってしまいました。朝出勤してきて「メールチェックして返信して」、お客さんがいらしてお帰りになって「メールチェックして返信して」、ランチに行って戻ってきて、WEB 会議を終えて、部下と打ち合わせをして「メールチェックして返信して」・・・来たメールに順番に返信して、聞かれたことをしかるべき相手に質問して、そうして時間が過ぎていきます。メールが作業(仕事とも言えない)の起点になっていて、メールが来ないとボーッとしてしまう。小一時間の打ち合わせから戻って「わ、もう20通もメールが入っている」と悲鳴を上げながら実は喜んで返信をしています。次に何をするのかを自分で「考え」なくてもいいのでうれしいのです。  思えば、ムカシは生活の端々に隙間時間があって「考え」ることができました。今はこの隙間時間にスマホが入りこんできて、みんな隙間時間を感じなくなっています。電車に乗ったらまずスマホ。ラーメンを注文して待っているときもスマホ。食べながら画面にスープを飛ばさないように気をつけながら、それでもまだスマホをしまおうとはしません。 会議でもスマホは手放せません。電池の世界では頻繁に新しい用語が出てきます。「電動ペデスタル」「バーチカルAGV」・・・すぐスマホで検索。「それ、何ですか」と聞く人はいません。私がスマホをズボンのポケットからゴソゴソ引っ張り出している間に「あ、これかぁ」とあちこちから声があがります。どんなものかを想像したり単語の意味から「考え」ることは誰もしません。スマホは、デジカメと電卓と腕時計と、公衆電話と地図帳とさまざまな辞書と、ウォークマンと文庫本と週刊誌と新聞とお化粧用のコンパクト鏡その他を存亡の危機に追いやっただけではなく、人間から隙間時間と想像力を奪ってしまったようです。  でも、人間がその気になって「考え」ようとすれば、スマホがあろうと無かろうと、いつでもどこでも「考

エピソード030  <深くて暗い河>

「黒の舟歌」という歌謡曲がありました。いろんな歌手が歌いましたが、私はサングラスがトレードマークだった小説家の野坂昭如バージョンが印象に残っています。 歌い出しが「♪男と女の間にィは~深ァくて暗い河がある・・・」というドンヨリしたザ・昭和歌謡です。男と女の間の「深くて暗い河」・・・トシはとりましたが、女性になったことはありませんから女性にはミステリアスな部分は確かに感じます。でも、他にも分かりあいにくい「深くて暗い河」を感じること、 皆さんにはありませんか? ~~   たばこを吸う人と吸わない人の間の「深くて暗い河」~~ 私はこの「河」の両側を何度も往復しました。トーマス・マンは「禁煙なら1万回はしている。一度や二度の禁煙を自慢するな」と言ったそうですが、私も10回ほど失敗して、結局は禁煙治療をして(薬を飲んで)、 13年前ようやく恒久的非喫煙者になりました。意思の力だけではどうにもならない根性無しだったのです。 たばこを吸っていた時代は、一日中たばこを吸うチャンスをうかがっていました。会議のトイレ休憩とか、ちょっとコンビニに行くときとか。喫煙所があればかなり急いでいるときでもとにかく一服。 新幹線や飛行機に乗る前は名残惜しくて2本3本。町を歩いていて「今、メールを送ったのですぐに見て」という電話が入ると「シメた!」と喫茶店に飛び込み、まず一服。スターバックスは全店禁煙なので入りません。 これが、やめてしまったら今度はあの匂いが迷惑です。 禁煙治療に頼った根性無しのくせに本当に身勝手ですよね。煙のにおいもそうですが灰皿に残った吸い殻の匂いがもっとダメ。喫茶店はスターバックスしか入りません。寒い喫煙所で襟を立てながらたばこを吸っている人々に対して感じるチッチャーイ優越感。この間まで自分もあの中にいたのに、 あきれたような顔して「やめればいいのに」・・・って自分ながら大きなお世話だと思います。だから居酒屋で隣の席のたばこの煙が流れてきてもできるだけ我慢するようにしています。喫煙者だった時代、周囲はずいぶん我慢してくれていたと思いますから。でも・・・長い旅でした。 もうこの「河」を渡って引き返すことは無いと思います。 ~~   65歳・・・高齢者の「深くて暗い河」~~ 昨年、私もこの「河」を渡り、押しも押されもしない「コーレーシャ」になりました。まず、誕生日の直前に肺炎球

エピソード029 <ニーハオ、台湾!>

  コロナ禍もようやく下火になり、 各国の入国制限も緩和されてきました。さあ、 ご無沙汰している台湾の皆さんにお目にかかって、 対面で挨拶をして、 これからの変わらぬご支援をお願いしなければならない。 6月某日、 私は3年半ぶりに台北桃園国際空港に降り立ったのでした。 ニーハオ、台湾、久しぶり!! ・・・最初にぶち当たった感覚は円安。 先行して台湾に出張した部下からは「何でも高くなりました」 とは聞いてはいましたが、 為替レートは2020年1月の公式レート1台湾ドル=3. 6374円が、現在は4.6122円。 円の価値は27パーセントも下がったのですから当たり前ですよね 。私は成田空港で両替をしたのですが、 1台湾ドルは5円以上でした。ですから、 この旅では20台湾ドル=100円と考えることにしました。 到着。桃園空港からMRTと呼ばれる電車に乗り、台北駅へ。・・ ・便利になったものです。昔は台北駅からの交通手段は( スリが多いと悪名高かった)バスが主で、私は当時、 分不相応ながらハイヤーで移動していました。今、 MRTは30分ちょっとで台北まで快適に連れて行ってくれます。 3年半机の引き出しで眠っていた悠遊(ヨーヨー)カード( 台湾のSuica)に残高が残っていたので感覚としてはタダ。 快適な電車を降りて蒸し暑い台北中央駅に到着し、外に出ると・・ ・前回まで、 こっちが恥ずかしくなるほどたくさんあった、 卓球の福原愛さんをイメージキャラクターにした家電品の宣伝ポス ターが一枚もありません。思いがけない大変化です。 そりゃそうだよね、愛ちゃんもこの3年の間に色々あったしね。 そんなこと思いつつ初日はホテルにチェックインのみ。 翌日は「新幹線」で台中市に移動。 乗車前に買った朝食用の海苔巻きは日本のコンビニとほとんど同じ サイズで60ドル。300円かぁ、安くはないよね。 台中では台湾のとある上場企業の幹部と面談。 最初の5分で感じたのは「オレの英語、 錆びちゃったなあ・・・」 会話のスピードに英単語を掘り返す時間がついて行きません。 耳は生きているので「反応」はできるのですが、 ストーリーを語れない。まだるっこしいことおびただしい。 たかだか3年半でも「放置された鉛電池」 のように頭が不活性化してしまっています。それに対して、 コロナ期間中もほぼ毎日欧米のお客さんとW

エピソード028 <マイクロマネージ>

 右手の人差し指と親指で丸を作り、 両方の指のあいだに1ミリぐらい隙間をあけます。 この状態でその微妙に不完全な輪っかを右目の前に持ってきて、 左目はつぶり、その1ミリの隙間を猫背になってのぞき込みます。 このポーズが、 アメリカ人が自分の上司の陰口を言うときの定番で、口では「He (She) micro micro micro manages in everyway」 などとマイクロを3回以上繰り返して言います。「 ウチの上司は細かくて嫌になっちゃうよ」という感じでしょうか。 「細かい」上司が嫌われるのは日本もアメリカも同じですね。 私もこれをずいぶんやられました。A社向け電池パックの生産量、 昨日より200個ほど減っているのはなぜ? などとプロダクションマネージャーに聞くと、最初ぽかんとして、 それから「Let me find it out(調べてみます)」とどこかに行きます。 彼は倉庫で作業中の彼の部下に歩み寄り、 遠目にも分かる例のポーズを作ります。 会話なんか聞こえなくても分かります。 またタナカのマイクロマイクロマネージが始まっちゃったよ。 悪いけど昨日から生産量が減った理由を調べてくれないか・・・ こうして、 無限にタナカのマイクロマイクロが伝播していきます。 私は、 部下にマイクロといわれることは仕方ないと思っていました。 そりゃ中にはイチを言うだけでジュウを察してくれるような部下を 持っている人もいるかもしれないが、 私はそういう幸運に恵まれていないので、 ある程度マイクロにならざるをえない。 こっちよりキミたちの方に問題があるんだからしかたないでしょう 。とは言え、肩をすぼめ、声を裏返してマイクロマイクロ・・・ とやられるのは気持ちのいいものではありません。 時は流れ、日本に帰ってきて起業することになり、 社員を採用するようになったときも私は依然としてマイクロの呪縛 下でした。 細かいことを極力言わず、部下の裁量に任せて、そうそう、 現在地を確認させ、目的地を明確に指示するだけ。 途中の道順は部下に任せればいいのではないか。 そうすればマイクロの陰口をたたかれずにすむのではないか。 ところが、ちょうどこの頃ある方から1 冊の本をプレゼントしていただいたのです。 タイトルは「経営の神は細部に宿る」。 当時テキサス大学の教授をされていた清水勝彦先生の

エピソード027 <ミカちゃんは追わない>

  前にも申し上げましたが、私の人生の目標は「 良い酒飲みになること」です。でも、 良い酒飲みになるための教科書なんてありませんから、 自分の中でいくつかのルールを決めています。例えば「 飲めない人に無理にすすめない」とか「 他人の会話に割り込んでいかない」とか。 経験ありませんか、 見ず知らずのよその人にウンチクを聞かせようとする酔っ払い・・ ・迷惑ですよね。 ・・・この季節、ベイスターズの試合のテレビ放送がある日には、 私は新大久保の行きつけの居酒屋で焼酎片手にテレビ観戦をします 。私は夏でもビールではなく焼酎。おなかにたまらないので。 店の常連には他にもプロ野球好きがいて、 いつもはディープな野球談義ができるのですが、 その日は店がヒマで、 私は一人でテレビ前のテーブル席を独占していました。 そこに3人、常連ではないお客さんが入ってきました。 50がらみのボス的雰囲気の男性と同年代ぐらいの女性、 そして30才ぐらいのモミアゲの長い若者。 全員胸にネームの入った作業服の上下を着ています。 ボスが首からかけたタオルで汗を拭きながら生ビールを3杯注文し て、私の隣のテーブル席に座りました。なんだか、 良い酒飲みのルールに反しそうな危険な匂いがする人物です。 まず、声が大きい。 それでなくともテーブルは1メートルぐらいしか離れていませんか ら、普通に話をしていてもすべて内容が聞こえます。 「・・・で、サンコーシャから注文とれたのかい」とボス。 「いえ、イワイさんと2回飲んだけど、注文、 出してくれないんですよ」とモミアゲ君。 どうもサンコーシャという会社のイワイさんを、 モミアゲ君は2回接待したにも関わらず、 イワイさんはつれないらしい。 私は四球を連発するベイスターズ先発の浜口に舌打ちしながら、 モミアゲ君に少し同情していました。 「あの人は取引先と飲むのが仕事だもん、 そう簡単にはいかないだろう。で、お前、 注文出してくれってちゃんと頼んだの?」 「頼みましたよ。現場でも頼んだし、オオゼキ( 飲み屋の店名らしい)でも」 「オオゼキで?ダメだよ、そんなの。 飲むときゃ飲むだけにしろよ。 飲み屋でそんなこと頼まれたらイワイさんだって酒がうまくないだ ろうよ」 「でも、 そのために飲んでるんだし・・・」 「ダメダメ、 そんなに簡単にミカちゃんエリちゃんは来てくれないの」