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ラベル(代表・田中景「老いた電池売りの独白」)が付いた投稿を表示しています

エピソード053 <テレビ放送の終焉・・・船井電機と闇バイト>

   こんなに毎日テレビで「闇バイトの実行犯は使い捨て」「数万円の報酬で犯罪者にされてしまう」と報道されているのに、なぜそういう危険な求人に応募する人が減らないの?そんなにウマい話なんかあるわけないのに、なぜ騙されるの・・・?  最近、テレビを見ながら妻が繰り返しつぶやきます。私は多分その答えを知っています。彼らはテレビを見ないのです。  テレビが売れなくなりました。国内のテレビの出荷台数は、地デジ特需があった2010年に2500万台を記録して以降、2014年から2023年までの10年の平均は490万台・・・直滑降的な急落です。一度2500万台生産できる能力を作ってしまってから、それ以後の需要が5分の1になったら採算をとるのは非常にむずかしい。結果として、この数年で三菱や日立はテレビ事業から撤退、東芝は事業をそっくり中国企業に売却してしまいました。今や量販店で日本ブランドのテレビが売られているのを見つけられるのは日本だけで、世界中のどこでもテレビ売り場のほとんどが中韓勢、数年後には日本もそうなってしまうかも知れません。いや、もうそうなりかけています。すでにLG(韓国)、TCL(中国)は大きな売り場を確保していますし、以前は東芝のブランドだったREGZAも現在は実質中国ハイセンスです。国内にはそれでもまだ日本ブランドがまだありますが、一部の東南アジアの若者世代はPanasonicやSONYがテレビを作っている(いた?)ことを知らないそうですから、を誇った家電のジャパンブランドは見る影もありません。  そして今年10月、船井電機が破産しました。ピンとこない方も多いかもしれませんが、アメリカに長く住んでいた私にはかなりの驚きでした。日本ではマイナーだったFUNAIブランドですが、90年代から00年代のアメリカの量販店での露出は突出していて、米国内占有率がトップになった時期もあります。週末、ウォルマートやKマートのだだっ広い駐車場で、アメリカ仕様の巨大な買い物カートにFUNAIマークの薄くてデカいテレビの箱を斜めに入れて、ピックアップトラックやSUVに運んでいく楽しそうな家族連れは見慣れた風景・・・ひょっとしたらアメリカ人たちはFUNAIが日本企業だと思っていなかったかもしれません。それほど日本人よりアメリカ人に浸透したブランドでした。   FUNAIの大型テレビを...

エピソード052 <ティピカル アメリカン>

 「日本人が考えそうなことだ」「日本人はそう答えるか、やっぱりな」・・・アメリカ時代、こういうふうにJapaneseとしてヒトククリにされるのが、私は大嫌いでした。日本人だって1.2億人もいるんだから全部同じな訳ないじゃないか、と心の中で憤っていましたが、なんでも本社に確認しなければならいルールがあったりして、そう言われても仕方がない場合も確かにあります。でも、したり顔でうなずきながら「I knew you would say so(君はそう言うと分かっていたよ)」と言われるとカチンときます。  そのくせアメリカ人たちは、何の基準か自分自身をtypical American(平均的アメリカ人)と言って、二言目には「オレは平均的アメリカ人だから」という前置きでしゃべりだすことがあります。私の最後のサラリーマン時代の同僚がまさにそれを連発する男でした。アメリカに住んでいた頃は一緒に日本の電池メーカーに出張したりしていた仲ですが、私が日本に帰ってきてしまったので、最近は一人で東京や大阪に出没しているようです。先日も東京に来たので、私の行きつけの新大久保の居酒屋(ちなみに彼もここが大好きで、薄暗い地下に降りていく雰囲気が秘密っぽいと言って、スーパー・エスニック・シークレット・プレース、略してSESPなどと呼んでいます)で話し込みました。席に着くなり英語のメニューの一角を指で差して・・・  「タナカサン、知っているだろう、オレがこの店のこいつを好きなことを。イーダメイムとキャーラエイジを注文してくれよ」  いいけど。でも日本のどこに行ってもイーダメイムを理解できる日本人はいないと思うよ。  「一度そう覚えてしまったんだ。なかなか変えられないよ。いいかい、オレは平均的アメリカ人なんだ。正しい日本語で発音することなんてできっこないじゃないか」という具合。  彼が東京に来ると、電車に乗ってどこかに一緒に行くこともあります。彼は日本の鉄道システムをほとんど「尊敬」していて、その日もグレートだのファービュラスだのと小うるさいほど私に話しかけてきます。なんだよ、少し静かにしていてくれよ、と私が突き放すと  「知っているだろう、オレは平均的アメリカ人なんだ。こんなに時間通りで快適な乗り物を称賛せずに黙って乗っていられるわけないじゃないか」  アンタさあ、オレだってアンタ以外のアメリカ人をい...

エピソード051 <書籍化・発売のお知らせ>

 皆さん、突然ですがこの連載が書籍化・発売されました。以下、その経緯です。   ・・・今年2月、私は出版社に原稿を送り、そのあと担当者に面談してもらって本にしてもらえないか相談していました。担当者は事前に一読してくれていて「まあ、面白くないこともないですね。ただ、相当手を入れないといけませんが」と原稿のプリントアウトに視線を落としたままボソッと言います。   「相当、手を入れないといけませんか?・・・たとえばどんなところですか?」   「・・・たくさんありますが、たとえばここ。田中さんは・・・駅のアナウンスがその電車が『A駅、B駅、C駅・・・・には止まりません』と書いていますね。駅に電車は『停まる』のです。『止まる』のは故障とか事故とかの時ですね」  「え、そんなコマカイ・・・」   「出版するには『そんなコマカイ』ことが重要なんです。それからここ『・・・東からも、西からもインディアンが迫ってくる!』・・・インディアンは使っちゃいけない差別用語です。ほかの表現を考えないといけません」   「でも、もしインディアンを『ネイティブアメリカン』や『アメリカ先住民』に変えちゃうとヘンテコですよ。『アメリカ先住民たちが迫ってくる』だと、斧やライフルを持って攻めてきているような緊迫感が出ないし・・・」   「出版するにはルールがあるんです。ダメなものはダメなんですよ・・・頑張って修正して、書き直して仕上げる覚悟があるんだったら、もう一度最後まで原稿をチェックしてお返しします。発売の目標は11月の読書週間前にしましょう。エピソードの掲載順の検討と、 追加・削除・加筆・修正のチャンスは2回。これを8月までに終わらせないと間に合いませんが・・・田中さん、お仕事をしながら頑張れますか?」  数日後、戻ってきた校正原稿には無慮ボーダイな赤ペンが・・・誤字・脱字・不適切語・差別用語・・・想像をはるかに超えた量です。  「・・・ボ、ボクは、こんなに間違いや問題が多い文章を配信していたのでしょうか」   「まあ、そういうことになります」  「でも、40回以上も配信して、誰にも指摘されたことはないんですけど・・・」  「タダで配信されたブログの文章の間違いを指摘することなんか、よっぽど変わった人でなければしませんよ。ただ・・・」  「ただ・・・?」   「・・・中には中学生並みの誤字もありました...

エピソード050 <ダチョウ的>

  ダチョウは、危機が迫ると砂の中に頭を突っ込んで危機が去るのを待つんだそうです。時速60~70Kmで走ることができるのに、逃げずにそういうことをするのは「体のわりに脳が小さくてバカだから」だとか。確かに砂に首を突っ込むと目の前の危機は見えなくはなりますが、 砂から首を出した時にはボディは焼き鳥になっているかもしれないのに、不思議な習性です。  このことは英語圏でもよく知られているようで、A man like an ostrich(ダチョウなような男)といえば「意図的に無計画なヤツ」「肝心なものをわざと見えない振りをするヤツ」ということになるそうです。あなたの周りにその傾向がある人物、いませんか?・・・ほかにもオーストリッチを使ったいろいろな英語のフレーズがあるようで・・・  Ostrich Effect(ダチョウ効果)・・・たとえば健康診断で「要診察」ポイントがあるのに奥さんに検診結果を見せないで隠してしまう、とか。  Ostrich Peace(ダチョウの平和)・・・たとえばウクライナやパレスチナの問題を国会で質疑する立場なのにエッフェル塔で写真を撮ってSNSにあげる、とか。  Ostrich Policy(ダチョウ主義)・・・事なかれ主義。たとえばきょう結論を出さないといけない喫緊の課題の激しい議論を「まあまあ」となだめて先送りしようとする、とか。  そんな中で、私たちが特に気を付けなければならないのがOstrich Management(ダチョウ的経営)です。その典型的な例だと言われるのがカメラ用フィルムの最大手メーカーだったコダック(Eastman Kodak Co.)です。   コダックは1892年設立のアメリカの名門企業ですが、2012年に倒産しました。理由は、1990年代から爆発的にデジタルカメラが普及して、主力製品である銀塩フィルムの販売数が激減したため・・・と一般には理解されています。が、実はもっとずっとダチョウ的だったようで、 まさか・・・と思うかもしれませんが、世界で初めてデジタルカメラを開発したのもコダックだった(1975年)のです。しかし、最大の収益源である「フィルムの売り上げに悪影響を及ぼすから」発売どころか発表もしなかった・・・一方、 そのころコダックに次ぐ世界第2位のフィルムメーカーだった富士写真フイルム(現在の富士フイルム)は、1...

エピソード049 <ペロブスカイト>

 私はこの連載で過去に「らんばあ」とか「イチモクノアミ」とか一見意味不明なタイトルの駄文を書いてきましたので、今回もそれと同じ類(たぐい)だろうとお思いの方もおられるかもしれません。・・・ペロブスカイト?なんじゃそりゃ。   ご期待を裏切る形で申し訳ない気もしますが、ペロブスカイト(Perovskite)は今を時めく新型太陽電池の名前で、れっきとした日本発の技術です。毎月「雑談会」と称するある部品商社さんの集まりで、講師役をしている私が「来月は何の話をしましょうか」と聞いたところ、 一人の出席者が「ペロブスカイトについて教えてください」とおっしゃったので、私は急いで「ペロブスカイト太陽電池(葭本隆太著、日刊工業新聞社刊)」を購入して読んだのです。まさにドロナワ・・・だから「日本発」も今知ったところですし、これから申し上げることもほとんどがこの本の受け売りです。が、 電池を生業(なりわい)にする私たちとしては、知らないで済むことではないので、私の現在の知識レベルでは背伸びし過ぎであることは重々承知のうえで、書き進めていきたいと思います。   まず、ペロブスカイト太陽電池は「桐蔭横浜大学の宮坂力研究室で2006年に生まれた日本発の技術」であるということを抑えておかなければなりません。リチウムイオン電池も発明者である吉野彰先生がノーベル化学賞を受賞していますが、こっちはアメリカのGoodenough氏らと共同受賞ですので、 100パーセント「日本発」ではないかもしれません。が、ペロブスカイトは日本発祥と言っていいでしょう。   今、世界で広く使われている「ソーラーパネル」は90%以上が「シリコン(ケイ素)型」と言われるもので、シリコンが割れやすいのでガラスに挟んで使います。つまりその分硬くて重い。 それに対してペロブスカイトは原料の溶液・・・光を吸収して電気に変える半導体(これをペロブスカイトと呼ぶ)をガラスやフィルムに「印刷」して作るので、薄くて曲げられて、さらにシリコン型の1/10の重量で作ることができる。だからソーラーパネル設置を前提としないで建てた現存の建築物や、 もしかしたら農業用のビニルハウスにも使えるかもしれないのだそうです。   そして原材料。資源小国である日本はリチウムイオン電池ではリチウム、コバルト、黒鉛などの原材料をほとんど輸入しなければならないので...

エピソード048 <ガマン比べ>

    今年5月14日にアメリカホワイトハウスから「バイデン政権として中国の不公平貿易から米国民の雇用と仕事を守るため」として、中国製品に対する関税を上げるというステートメントが発表されました。リチウムイオン電池も対象で、EV(電気自動車)用は今年から、 非EV用は2026年からそれぞれ7.5%から何と25%に引き上げるとされています。今、米国にリチウムイオン電池を使った製品輸出を計画している企業は、量産時期がちょうど2026年ごろになりますので、真剣に対策を考えなくてはいけなくなりました。   問題なのは、このステートメントが民主党の「バイデン政権として」出されたものだ、ということです。実はライバルであるトランプさんは中国に対してもっと厳しい姿勢で、中国から輸入するすべての品目の関税を60%上げると公言しています。つまり、中国セルを使って米国への製品輸出をする企業にとって、 バイデンさんの25%はむしろ「良い方のシナリオ」なのです。バイデンさんは撤退しましたが、ハリスさんもバイデンシナリオを踏襲しますから、新関税は25%か60%かのどちらかということになります。   「中国は全世界に過剰生産を輸出している」イエレン米財務長官も中国を強烈に非難しました。事実、8月の米国の失業率は予想以上に上昇していて、結果10円以上の円高に向かったのは記憶に新しいところです。大統領選に向けて各候補が中国に強硬なポジションをとるのは、 「票集め」的に仕方ないのでしょう。   でも・・・アメリカの政治家の皆さんは「中国産のリチウムイオン電池」と「その材料」が世界占有率のどのぐらいを占めているのかを認識しているでしょうか?Panasonicや村田製作所(旧ソニー)などの日本ブランド、 LG・Samsungなどの韓国ブランドの電池もかなりの割合が中国で生産されていることはご存じでしょうか?新しい関税率が厳格に運用されると、アメリカのモバイル製品の価格は急騰するでしょう。でも、これは米国の雇用と仕事を守る偉大な挑戦(Great Challenge)だからアメリカ国民は喜んで高い価格を受け入れる・・・ということは決してないことを想像できているでしょうか?   私は21年もアメリカに住んでいましたので、アメリカ人の消費行動が非常に価格志向であることを知っています。いや、端的に言うとアメリ...

エピソード047 <充電LED>

   約40年前、充電式の電動工具の黎明期のことです。  この分野のリーディングメーカーはA社。それをB社が激しく追いかける構図で業界が動き出しました。私は28歳、B社に電池を販売する営業担当です。  この時代、リチウムイオンはおろか、まだニッケル水素電池も発売されていません。電動工具用の電池はニッケルカドミウム(ニカド)電池一択、そして三洋一択でした(理由は後述します)。   A社がどう見ていたかは分かりませんが、B社のA社に対するライバル意識はすさまじく、絶えずA社の動向を注目し、自社製品との比較をし、顧客に自社の優位性を訴求していました。そんな中、 B社のサービスセンターにはヘビーユーザーである大工さんたちから「午前の作業を終わって1時間の昼休みに充電しても1時間で充電が終わらない。そのために1時間急速充電器を買ったのにおかしいじゃないか」というクレームが続出するようになります。B社幹部をことさらイライラさせたのは、 大工さんたちがこぞって「A社の充電器は必ず1時間で充電が終わるのに」と付け加えることです。  現代のリチウムイオンに慣れた技術者が聞いたら卒倒しちゃうかもしれませんが、当時は「充電IC」などありません。ニカド電池に直接取り付けたブレーカが頼り。電池の表面温度が上がってブレーカが開くと充電完了、漫画みたいにアナログですよね。   では、なぜ電池の表面温度が上がるのか。それは電池が過充電状態になっているからです。つまり、当時は充電するたびに電池を過充電して使っていたのです。それで大した事故も起きなかったのですからニカド電池はタフでしたね。今、リチウムイオンにそんなことをしては絶対にいけませんよ。   という理屈ですので、もしも電池が空っぽで、周りがものすごく寒い場合などは電池の表面温度が上がるのがゆっくりとなり、結果として1時間で充電が完了しないことが想定されていました。取り扱い説明書にも書いてあります。B社としてもそういう場合は丁寧に説明して「ご理解をいただく」のですが、 ご理解してくれた大工さんたちが電話を切る直前の一言がB社を焦らせます。「でも、A社の充電器は大丈夫なんだよなぁ」   工具メーカーにとって大工さんたちは重要な需要セグメントです。彼らの横のつながり・・・口コミも占有率に影響します。ある時ついに「田中さん、三洋電機さんに相談...

エピソード046 <電話の発明>

   「どうして私は電話なんか発明したんだろうね」  電話を発明したグラハム・ベルはこう嘆いたそうです。こちらの都合も考えず突然かかってくる電話への困惑から、ベル自身、自分の書斎に電話を設置することを拒んだとか。本当は、とてもロマンチックな動機で始めた研究・・・最初、彼は耳の不自由な彼の恋人(後に妻となる)と話をする機器を開発しようとしたのです・・・だったのに、巨万の富と引き換えに彼はパンドラの蓋をあけたがごとき非常識人として扱われることになります。曰く「人類は今まで何千年も不便を感じなかったのに、遠くの人と会話ができるようになる必要があったのか?」  ところで、狭き門を突破して念願のテレビ局に入社できた若者が、かなりの割合で1年目に退職してしまうのだそうです。理由はやっぱり電話。彼らは誰からの電話か分からない電話にとりあえず出るという免疫がなく、番組ごとに割り当てられる部屋に置かれたプッシュホンの受話器を取り上げるのが何しろストレス。決死の思いで受話器を耳に当てた瞬間「あのさあ、 ◯◯ いるぅ?いないの?しょうがねえなあ。じゃ言っといてよ・・・」とやられると完全にパニック。メモを取るのも忘れ「あの、 ◯◯ さん、さっきお電話がありまして」「誰から?」「わかんないです」「使えないなあ。学校で何をならってきたの」みたいなことが毎年繰り返されるとか。  この時代、若者は着信相手が表示され、相手の電話番号や通話時間も記録も残るスマホでしか話をしたことがないのです。  彼らの感じるストレスは「甘ったれるんじゃないよ」と言って笑えるようなものではなく、せっかく入った会社(それもあこがれの放送局)を辞める理由にも十分なりうるほどなのです。あきれているだけではダメで、そういう「人」が電話の向こうにいることをわれわれオトナも認識しないといけませんね。  思えば、われわれ年代は電話では鍛えられてきました。  オフィスの電話がダイヤル式からピカピカのプッシュホンに交換された時、※00から※19まで20個の短縮ダイヤル機能がついていて、みんな自席の電話機によくかける電話番号を登録していたのですが(テレビコマーシャルもありました・・・「長い電話番号を覚えなくても、プッシュホンならピッポッパッ」)わが営業部長氏は大反対。部下に短縮ダイヤルの登録を禁止しました。曰く「お前ら、得意先の電...

エピソード045 <この言葉、知っていますか?>

  ・・・職安通り・・・   夕方、いつものように新大久保に飲みに行こうとタクシーを止めたところ、ドライバーは若い女性でした。聞けば25歳。新卒でタクシードライバーになったということです。「ご指定のルートはありますか」「うん、大久保通りは混むから職安通りからお願いします」「承知しました。・・・でも、 『職安通り』って面白い名前ですよね。八重洲とかと同じで、昔この辺に住んでいた外国人の名前とかが由来なんでしょうか」「え?・・・」   私は彼女が本気で言っているのか冗談なのか、少しのあいだ分かりませんでした。クルマは奇しくも職安の前を通ります。「あの、運転手さん、これが職安ですよ。公共職業・・・」と言いながら建物をみると、そこには大きく「ハローワーク」と書かれています。あ、そうか、 この運転手さんにとってここはハローワークであって、職業安定所という呼称は知らないんだなあ。   「運転手さん、あのね、ハローワークは昔、公共職業安定所っていう名前でね・・・」私が説明すると、彼女は「あ、そうですか。勉強になりました。ありがとうございます。お客様は物知りでいらっしゃいますね」とルームミラー越しに微笑んだので、私はとても面映ゆい気持で笑い返しました。 ・・・フィルムケース・・・   正月、暮れにできなかった自分のオフィスの大掃除をしていたら机の中からフィルムケースが20個ほど出てきました。多分10年以上机に入っていたのです。昔は小さな電池が多くて、サンプルを送ったりするときにフィルムケースはとても重宝でした。が、今やわが社が取り扱う電池も大型となり、 フィルムケースに入るような可愛らしいサイズの電池はもうあまりありません。私は思い切って全部捨てることにして、空箱に入れて自室の前に置いておいたところ、20代の女性社員が「これ何ですか?きれいですね」と。  「それはフィルムケースだよ」「フィルム?何のフィルムですか?」「え、カメラのフィルムだよ」「カメラのフィルム、ですか?」彼女は小首をかしげてこちらを見ています。   カメラにフィルムを入れなくなってどのぐらい経ったのか・・・しかし、フィルムをカメラに入れることを知らない世代がこうやって社会人になって目の前にいるのは、現実感がなく、何とも不思議な気分です。「少しもらってもいいですか」「捨てようと思っていたんだ。全部持って行っ...

エピソード044 <ブラインドトラスト>

  数年前、取引先のイギリス支社長であるスコットランド人の方とお話しさせていただいた時の話です。その会社のイギリス支社は当時非常に好調で、設立から数年で日本の本社に匹敵するほどの売り上げを上げていました。なぜ、そんなに早く実績を積み上げることができたのかストレートに聞いたところ、 支社長は「馬のように働いたから」と笑いました。私が「本当?」という顔をしたので彼は「本当だよ。自分でもなぜこんなに働けるのか不思議だったけど、この数年、ほとんど週末も休まずに働くことができた。自分自身、そんなに勤勉な男だとは思っていなかったんだけどね」と言って、その時のことを思い出すように、 懐かしそうに遠くを見るような目をしました。   そして「やっぱり、Kさん(日本の本社の創業者でグループのオーナー)が自分を信じてくれたからかな。ロンドン支社設立の時、支社の口座に30万ポンド(当時のレートで約6000万円)振り込んで、支社長とはいえ、 採用から数カ月しかたっていない自分に自由にアクセスできるようにしてくれたんだ。30万ポンドを持って逃げることだってできたけど、人間、あのようにブラインドトラスト(盲目的に信用)されると悪いことはできないね。逆に一生懸命頑張って口座の残高を増やそうと思ったもんだよ」  私が欧米人の口から、この「ブラインドトラスト」という言葉を聞いたのはそれ一回きりです。が、非常に印象的な言葉だったので、私はその後何回か使わせてもらいました。   あるとき、やはり会社を経営しているアメリカ人に「社員をブラインドトラストして・・・」と言ったところ、彼は人差し指を左右に振りながら「ノー、ノー、それは犯罪への招待(crime invitation)だよ」と即座に否定しました。   タナカさん、考えてごらん。私はもちろんウチの社員をすべて信用している。でも、だからと言って、会社の会議室の机に100ドル札を置いて1週間放っておいても無くならないとは言い切れない。社員の誰かがおカネに困っていれば、誰も見ていなければこっそり持っていくやつもいるだろう。 見つかれば犯罪者だ。でも、最初から会議室に100ドルが置いていなければ彼は犯罪者になることはなかった。どこに社員を犯罪者にしたい経営者がいるだろうか。トラストはいい。ブラインドはダメ。そんなもの犯罪の動機を作るのに加担しているようなものだ...

エピソード043 <Youには複数形がない>

    1960年代、「ローンレンジャー」というアメリカのテレビドラマがありました。アメリカ西部開拓時代、ギャングたちと戦って平和な町を作っていく正義の味方「ローンレンジャー」の話です。ローンレンジャーには協力者のアメリカインディアン「トント」がいて、窮地に追い詰められてもいつもトントが機転を利かせて最後は助かります。まさに勧善懲悪、アメリカ版「水戸黄門」、いつも彼らは最後に窮地脱出・逆転勝利するのでした。  ところが私がアメリカにいた1990年代になると、南アからアパルトヘイト運動が始まり、人種差別撤廃の流れがアメリカを覆います。すると、かつての英雄の友人「トント」は白人にへつらう体制迎合の象徴として扱われるようになり、マイノリティ活動家たちは「私たちはトントではない」と叫びました。さらにこんな笑い話も・・・。  ある日、ローンレンジャーとトントは、彼らを正義の味方だと知らないインディアンの大群に包囲されてしまいました。ローンレンジャーはいつものようにトントに叫びます。「北からも南からも、東からも、おお、西からもインディアンが迫ってくる!トント、どうしよう?」  この「どうしよう」が、英語だとWhat can we do, Tonto? なのですが、この笑い話に出てくるトントは冷めた表情で「What do you mean by “we”, white man?(weとはどういう意味ですか?白人の旦那)」と返します。つまり、あなた(白人であるローンレンジャー)はweではなくIというべきでしょう。だって私はインディアンですからね、ヘッヘッヘ・・・。  私の幼少期のヒーロー「ローンレンジャー」とその最高の友達「トント」に対して何ともブラックすぎるジョークですが、これは英語に「I」とその複数形「We」が存在するから成立する笑い話で、「You」のように単複同形だったら意味が通じなくなります。   IはWe、HeやSheならTheyなのに、なぜYouには複数形がないのか?理由はともかく、私はアメリカ人たちがYouに複数形がないことを逆手にとって(?)あいまいな言い方をしているのをよく目撃しました。  ・・・アメリカの現地社員男女混合で5~6名と飲みに出かけた時のことです。そのレストランには中庭があって、われわれが座った席から少しからだをねじると見えるところにロマンチ...

エピソード042 <さあ、君の説明を聞こうか>

 今回は、最近読んだ2冊の本から考えたことを書くことにします。どちらも「説明」に関しての本です。毎日誰かに何かの説明をして、たくさんの説明を聞いているはずなのに、「説明」に関してしっかり考えたことがなかったなあ、と思いました。たとえば・・・  これは、弊社で日常的な光景ですが・・・朝、前日まで出張に行っていた部下とオフィスですれ違う時に「○○君、どうだった?いい出張だったかい」と聞きます。すれ違いざまですからこっちが期待しているのは「行ってよかったです。あとで報告します」的なポジティブな「反応」なのですが、彼は何かを思い出そうとする表情を見せ、「まずぅ・・・」と切り出します。今までなぜだか分かりませんでしたが、私にはこれがストレスでした。  まあ、これが会議室でじっくり話を聞こうというなら「まずぅ」もそんなに悪くない(よくもないけど)のですが、朝のカジュアルな会話の中で「まずぅ = 今から時系列で報告します」宣言をされると足を止めなければなりません。その時私はトイレに向かっているときだったりすると「え、今からそれが始まるの?」と戸惑います。が、だからと言って部下の報告は重要です。聞かないわけにはいきません。それにそもそも「どうだった?」と聞いたのは自分なのですからそこから5分10分話を聞かなければならないことになります。これが何とも言えないストレスなんです。でも、自分ながらなぜストレスを感じるのかを言葉で説明することができませんでした。  「一番伝わる説明の順番」(田中耕比古著 フォレスト出版)という本の中で、著者の田中氏は、説明の順番は「自分が説明したい順番ではなく、相手が聞きたい順番で説明をするべき」と言います。「時系列」は、うまく説明できない人や優先順位が決められないときに「致し方なく」使う極めて非効率的な説明方法・・・なるほどね。やっと「まずぅ」がストレスに感じる訳が分かりました。そういえば時系列の説明を聞いているとき「この情報は必要なさそうだけど『時系列』の途中だしなぁ」と我慢して聞いている時間が結構長いですもんね。  でも「相手が聞きたい順番で説明する」って簡単ではありません。相手が複数のこともありますし、初対面で何に重要度を感じておられる相手なのかがつかめていないケースもある。だから、これから誰に説明するかを明確に意識しておくことが必要です。そうすると...

エピソード041 <EVが売れない>

 そりゃそうでしょうね。そう思っていました。だって、周囲を見回しても「次、EVに乗り換えたい」っていう人いませんもん・・・と、日本に住んでいるあなたはかるーく受け流すかもしれませんが、ニューヨークタイムスは2月、 「EV販売は2024年に前年割れするのか」という記事を載せました(3月4日プレジデントオンライン 岩田太郎氏の記事)。え、前年割れ?これはかなり深刻です。電池業界、大丈夫かなあ?  EVは年々2桁(時に3桁)パーセントの伸びであることが当然と言われてきました。何をやるのも遅い日本政府も他国に押されて2035年までにガソリンエンジン車の新車販売停止、東京都は2030年までに中止、諸外国も同じようなタイムテーブルでEVへの移行を推進しています。なぜ、 ここに来て「前年割れの可能性(米国市場)」のようなことになっているのでしょうか。以下、3つの大きな理由を考えてみたいと思います。  ★理由1  『充電が不便である』  これはもう言い尽くされているのでさらっと触れますが、「充電設備が少ない」と「充電時間が長い」という2つの問題が解消されていません。もうすぐ解消される見込みも見えてきません。400キロ離れた出先で充電器が見つからない、 あるいは充電器があくまで3時間待ち・・・のような状況を思い浮かべるだけで腰が引ける人が多い。それはごく普通の「恐怖」だと思います。  ★理由2  『低温に弱い』  今年1月、シカゴやニューヨークで記録的な寒波が観測され、そのエリアのテスラスーパーチャージャー(急速充電ステーション)が次々に「故障」し、充電切れのクルマが続出した・・・という報道を見ましたが、少しでも電池を勉強した人ならこれは「故障」ではないということが想像できるはずです。 電池は「化学反応の缶詰」、低温だと分子運動である化学反応は起きにくくなります。ましてマイナス20℃を下回る気温であれば、電池を危険な状態から守るために充電を開始しない回路が充電器側に入っていてもおかしくない。仮にうまく充電できたとしても、 低温環境下では常温時に比べて2割~3割放電できる時間が短くなりますし、寒ければ(たくさん電力を消費する)エアコンやシートヒーターも使うでしょう。それによってますます走行距離は短くなります。  だから「低温では充電できないですよ」「低温では走行距離が短くなりますよ」と...

エピソード040 <バッテリージプシー>

   確かにアメリカは日本より転職が多いと思いますが、実質的なクビも多いんです。特に営業職は数字が上がらないとかなりドラスティック。もちろん、何回か「なぜ売り上げが上がらないのか」言い訳を聞いてもらえるチャンスがありますが、3ストライクでアウトが普通です。すると対象の社員はどういう行動をとるか・・・大半が2ストライクぐらいで転職活動を始めます。で、転職先が見つかり辞表を提出。こういう場合は「辞めた」というべきか「クビ」というべきか・・・多額の給料で華やかに引き抜かれることよりも、実際はこういう微妙な転職が多いのです。もちろん給料が下がることだってあります。  で、彼らはどこへ行くかというと、現職と全然関係ない企業に行くことはまれで、同じような製品を扱っている企業に転職することが多い。培ってきた専門知識も生かせますし、なにより、現職で築いた人間関係を駆使して顧客企業にアプローチもしやすい。まあ、平たく言うとお客さんを盗みやすいですからね。電池業界だとプレーヤの数が少ないので、この傾向がますます強い。この前までウチで営業をやってたアイツ、先月からあのライバル企業に移ってウチのお客さんの○○社にちょっかい出しているんだってよ。あの野郎・・・という話は珍しくありません。  そんな時、よく使われた言葉が「バッテリージプシー」です。そうか、アイツもバッテリージプシーになっちゃったんだなあ。ウチに来たときは電池のデの字も知らない奴だったのに・・・。  1984年に電池業界に入ってから、私は何人ものバッテリージプシーを送り出し、受け入れ、競い合い、協力してきました。それでも、1999年までは自分自身がジプシーになるとは思っていませんでした。ところがこの年、考えてもみなかった理由で私はそういう流れに引きずりこまれていきます。  当時私が所属していたのは三洋電機の代理店で、私はアメリカ現法の営業責任者をしていました。ですからセルは三洋の米国現法に売っていただく(この表現が適切でした)わけです。当時はアナログ携帯電話、いわゆるセルラーフォーンの全盛期で、ほぼすべての電話メーカーが同じようなサイズのニッケル水素電池を使用していたので供給が全く追いつきません。どの電話メーカーも「電池待ち」の端末在庫が積みあがっている状態でした。  この頃、アメリカ市場ではノキアとモトローラの2強がセ...

エピソード039  <MOQ・PSE・EOL・・・>

      会議で、用語の意味が分からないまま議論が進んでいくと不安になりませんか?意味を聞きたくても話の流れを切っちゃうのが失礼だと思ったり、ほかの出席者は知っていそうだから聞きにくかったり・・・特に最近はアルファベット 3 文字に短縮された用語が必要以上に飛び交って、   これって何の略だろうと思うことがありますよね。  私は、最近家内がしきりに TKG という言葉を使うので、勇気を出して「それ、何」と聞いたら「タマゴかけご飯」とのこと。後日叱られないために聞いておいてよかったです。     今号タイトルの 3 つの略語にピーンときた方は我々と同じ業界人ですね。3つそれぞれに苦労させられています・・・まず、今、電池の仕事で最初にぶち当たる壁が MOQ です。 Minimum Order Quantity の略で「最小 発注 数量」という意味ですが、現実はメーカー側が「 ○○ 個以下なら販売しません」という意味で使われることが圧倒的に多いので「最小 受注 数量」と意訳した方がいいかもしれません。   500 個しかいらないのに MOQ が 1000 個ですと言われたら、今の電池業界では交渉の余地はほぼありません。いつ使うか分からないけど 1000 個買わざるを得ない。では 50 個しかいらない場合はどうするのか・・・ニカド時代は小分け販売する代理店さんがあったものですが、   使い方次第で事故につながるイオン電池には小口販売を堂々とはできず、怪しげなネット販売しかありません。わが電池産業はすっかり小口需要に冷たい業界になってしまいました。  なんとか MOQ を突破すると今度は PSE です。日本でリチウムイオン電池を流通させる場合は(例外も少々ありますが)電気用品安全法に基づいた試験を実施したうえで PSE マークを付けなければいけません。これは Product Safety Electrical appliances and materials の頭文字・・・ということのようですが、どうしてもアルファベット 3 文字に縮めたかったんですね。とはいえ、これは法律ですからちゃんと費用をかけて試験しなければなりません。そんな費用、なんでウチが払わなければならないんだよ・・・というお客様も多いので、営業としては...

エピソード038  <電池と巡り合ったころ(後編)>

 「Kと申します。ビデオフロアの田中さんをお願いします」  彼と会ったことを忘れかけたころ、外線から電話がかかってきました。  「お電話ありがとうございます。田中は私です。思い出しました。電池でご相談がおありなんですよね」  見てもらいたいものがあるから横浜駅西口の事務所に来てほしいということで、私は指定日に各社のポータブルビデオのカタログを持って出かけました。こういうときはハンテンを着なくてもいいので、少し解放されたような気がします。指定されたビルに着くとK氏はエントランスで待っていました。連れて行かれたのは事務所ではなく2階のレストラン。挨拶を終えると、彼はある企業の会社案内を私の前に置きました。知らない社名でした。  「二次電池と言ってね、充電できる電池を専門に扱っている商社なんだけど、田中さん、興味ないかな。電池の基礎知識がある人を探しておられるんだけど」  考えていたことと現実との間のギャップに、私はカタログを入れた茶封筒を持ったまましばらく何も言えずにいました。引き抜き?  「・・・電気屋さんの店員がいけないっていうわけではないけど、ああいう仕事って若いうちだけだと思うよ。お給料も高くないと思うし。それに、土日にきちんとお休みがある仕事の方がいいでしょう?」  土日が休みでないというのは不便でした。ちゃんとしたガールフレンドができないのも休みが合わないというのが大きな障害でしたし。  「田中さん、年齢は? 大学は出ているんでしょう?」  「26歳です。大学は行っていません」大学受験しなかった話、配管工になったら革命が起きて仕事がポシャった話を正直に話しました。すると彼は難しい表情になり「高卒かぁ」とつぶやきました。高卒が問題で、なぜ高卒なのかはあまり関係ないという感じです。  「田中さん、じゃあ、こうしてくれませんか。ウチに来ている求人票は大卒が条件になっているんだけど、もし、あなたが転職したい気持ちがあったら履歴書を送ってください。私は企業さんに『高卒だけど電池に詳しい人がいる』って言ってみるから」テレビコマーシャルをガンガンしている人材紹介会社のロゴが入った名刺を私に差し出しました。  呼び出されて、土日休みと給料アップの夢を見せられて、そして高卒の店員という自分の現在地をこっぴどく知らされただけでした。私は履歴書を送りませんでした。  年が明け、そ...

エピソード037 <電池と巡り合ったころ(前編)>

    1983年の年末、26歳の私は、 派手な黄色いハンテンを着て横浜の家電量販店のテレビ・ ビデオ売り場に店員として立っていました。デンキ屋は「 雰囲気が第一。お客様の購買意欲を盛り上げよう」 という精神論大好き店長の指示で、 私たち店員はみなネクタイの上にハンテンを着せられていたのです 。 「ハンテンでモノが売れるわけないじゃん」・・・ 私は冷めた気持ちで、ハンテンの上に「専門相談員 田中(景)」 という大きな名札まで付けられてフロアに立っていました。  そもそも店で「待つ」 しかできない店員稼業が性に合わないのは最初から分かっていまし た。だからお客様には申し訳ありませんが、内心「 なぜこんなことやっているんだろう」 という気持ちで接客していたのです。   なぜこんなことやっているんだろう・・・その数年前、 高校を卒業して、なにしろ人と違う生き方をしたかった私は、 大学受験をせず配管工見習いになりました。 知り合いに総合商社系のイラン天然ガス採掘プロジェクトを教えら れ「これだ」と応募し、イランで仕事をすることにしたのです。 一人前の配管工になれば現地に数年間行き、 学校や病院の建設で働ける。「 あっちではお金の使いようがないから、 3年も行ったらまとまった額の貯金ができる」と言う話でしたが、 国内の現場研修を重ね、 パイプレンチの扱い方も一丁前になった1978年、 イラン革命が起きました。宗教家と民衆が蜂起し、 親日的だった国王は追放されて、あっさりプロジェクトは中止。・ ・・外国に行けないのだったら重労働の配管工なんてまっぴら、 すぐにやめました。電気店の店員は、だから「仕方なく」「 とりあえず」の職業で、誇りもやりがいも感じていませんでした。 お酒を覚え麻雀にはまり、 とんがっていた青年もみるみる愚痴っぽいサラリーマンになってい きます。今思えば「配管工もイヤだけど店員もイヤ」 という辛抱のない若造だったのです。   ・・・「今、電話があって、Mさんのビデオ、 また録画時間が短くなっちゃったんだって。 後でお店に来るってよ」裏でタバコを吸って売り場に戻ると、 同僚が私にメモを渡します。Mさんはポータブルビデオ一式( ビデオカメラ+ビデオデッキ+カバン・電池など。 私の月給が手取り15~ 16万円のころ一式60万円ぐらいでした) を買ってくれた私...