エピソード048 <ガマン比べ>

   今年5月14日にアメリカホワイトハウスから「バイデン政権として中国の不公平貿易から米国民の雇用と仕事を守るため」として、中国製品に対する関税を上げるというステートメントが発表されました。リチウムイオン電池も対象で、EV(電気自動車)用は今年から、 非EV用は2026年からそれぞれ7.5%から何と25%に引き上げるとされています。今、米国にリチウムイオン電池を使った製品輸出を計画している企業は、量産時期がちょうど2026年ごろになりますので、真剣に対策を考えなくてはいけなくなりました。

  問題なのは、このステートメントが民主党の「バイデン政権として」出されたものだ、ということです。実はライバルであるトランプさんは中国に対してもっと厳しい姿勢で、中国から輸入するすべての品目の関税を60%上げると公言しています。つまり、中国セルを使って米国への製品輸出をする企業にとって、 バイデンさんの25%はむしろ「良い方のシナリオ」なのです。バイデンさんは撤退しましたが、ハリスさんもバイデンシナリオを踏襲しますから、新関税は25%か60%かのどちらかということになります。


  「中国は全世界に過剰生産を輸出している」イエレン米財務長官も中国を強烈に非難しました。事実、8月の米国の失業率は予想以上に上昇していて、結果10円以上の円高に向かったのは記憶に新しいところです。大統領選に向けて各候補が中国に強硬なポジションをとるのは、 「票集め」的に仕方ないのでしょう。
  でも・・・アメリカの政治家の皆さんは「中国産のリチウムイオン電池」と「その材料」が世界占有率のどのぐらいを占めているのかを認識しているでしょうか?Panasonicや村田製作所(旧ソニー)などの日本ブランド、 LG・Samsungなどの韓国ブランドの電池もかなりの割合が中国で生産されていることはご存じでしょうか?新しい関税率が厳格に運用されると、アメリカのモバイル製品の価格は急騰するでしょう。でも、これは米国の雇用と仕事を守る偉大な挑戦(Great Challenge)だからアメリカ国民は喜んで高い価格を受け入れる・・・ということは決してないことを想像できているでしょうか?
  私は21年もアメリカに住んでいましたので、アメリカ人の消費行動が非常に価格志向であることを知っています。いや、端的に言うとアメリカでは「値段がすべて」です。アメリカで電池の営業をしていて、私は中国製の(当時は)粗悪な電池に市場を奪われ続けました。 いくら(当時の)中国製電池は粗悪だと客観的なデータで説明しても、アメリカの企業や販売店にはほとんど響きませんでした。今、中国の電池は一概に粗悪ではありません。アメリカは自国で電池を生産できていないのですから、最大の生産国である中国から全く輸入しないという選択肢は考えにくい。 関税が本当に上昇すれば米国の消費者物価を直撃し、「値段がすべて」のアメリカ人たちは政権批判に回るかもしれません。だって、スマホもPCも電動工具も今や「生活必需品」ですからね。


  ところで、5月14日のステートメントには、以下の重要なポイントの説明がありません。

  1. 電池単体でなく、中国の電池を製品に組み込んで輸入する場合の関税率はどうなるのか?スマホやPCを完成品で輸入する企業にとっては決定的に重要な部分です。
  2. 日本や韓国の企業が中国の工場で生産している電池の関税率はどうなるのか?こっちもダメなら、電池の需要家にとっての選択肢は非常に狭まることになります。でも、れっきとしたMade in Chinaだからダメでしょうね・・・。
  3. 逆に中国企業が中国以外の国の工場で生産した電池の関税率はどうなるのか?・・・中国のセルメーカーにこの話をすると、判で押したように「ウチはベトナム(タイ、マレーシア)で生産するから大丈夫」と答えます。 中国資本の生産であればダメ(関税アップ)とされる可能性もあるのに、早々に大きな設備投資をして妙に自信たっぷりなのは、アメリカは価格第一だからそこまで制限してこないだろうと高をくくっているからかもしれません。自国からの輸出を推進したいベトナムなどの政府もアメリカと交渉を始めるでしょうし、 こっちは関税アップの抜け穴になる可能性が高いと思います。が、それでも中国は大量の雇用を失うことになります。それが「制裁」ということなのでしょう。


 ・・・今年5月(冒頭で紹介した米国ステートメントの発表直前)私はある中国メーカーのセル工場を訪問していました。そのメーカーの電池の採用を検討している日本企業の皆さんをご案内したのです。
  そのメーカーは国内外に60以上の電池工場(!)があり、私たちが訪問したのは第53工場でした。私も長年この仕事をしていますが、60もの工場を持つセルメーカーは知りません。さらにひとつひとつの工場の規模・・・私が知っている日本の電池工場は、 電池の需要増加(EVが登場する前は緩やかなものでした)に合わせて増築・増床を繰り返した結果、複雑な形になっているものが多いのですが、ここは端から端まで400メートル。最初からEVの需要が見えているので平屋で一直線、いかにも生産効率がよさそうな工場です。設備も最新。 一緒に見学していた日本企業の幹部の方が「すごい設備投資だなあ。どこから資金(カネ)が出てくるのだろう」と何度もつぶやいておられました。その答えはご存じのはずなのですが、それでも思わず声に出してしまうのでしょう。
  ところで、工程ごとにしてくれる若い社員の方の説明(流暢な英語です)が、私にはなんとなくしっくりきていませんでした。説明内容には何もおかしいところはなく、 それどころか生産しているセルの特長を聞くと実に(事実なら日本メーカーよりもはるかに)高品質で驚かされるのですが・・・いくつかの工程説明を聞き終えて、私はようやく違和感の理由が分かってきました。こういうとき、必ずあるべき「他社との比較」がないのです。
  ウチの電池は他社と比べてここが優れている・・・という「口説き文句」がない。例えば日本のメーカーが作るセルの内部抵抗(少ないほどたくさんのエネルギーを放電できる)はいいとこ10~15ミリオーム程度ですが、彼らのセルは2ミリオームだと言います。 それを抑揚も変えず「他社との比較」もなしに淡々と言う。
  あとで聞くと、この企業はあまりにも急激に成長してしまったので、大半の社員が社歴5年以内なのだとか。つまり、電池事業の歴史や、他社に比べた自社の立ち位置が分かっていない。おそらく国からの莫大な補助金で最新の設備を導入できていて、素晴らしい電池を生産できているのに、 お客に対して「響く」訴求ができていないのです。
  こうして超大型最新設備で大量に電池を作る。が、生産された自社製品の優秀性が理解できていない。さらに、ナケナシの開発費で歯を食いしばって作り出した製品ではないから語るべきストーリーがない。だから価格は不必要なほど安い。まさに過剰生産の輸出です。 欧米が宣言通り関税を引き上げれば中国では在庫が積みあがるでしょう。でも電池は「設備産業」だからいったん設備ができてしまうと生産を続けないといけない。なかなかブレーキがかけられないが、できてしまった電池は「生もの」だから早く売らないといけない。
  欧米が物価上昇に見舞われるのか、中国が過剰在庫に音を上げる方が先か。不毛な米中欧のガマン比べの中で、リチウムイオン発明国である日本は・・・なんだか蚊帳の外ですね。黙って見ているしかないのでしょうか。日本生産を増やす好機?いや、今や電池の原材料もかなりの部分を中国に依存しているのです。 そう簡単ではありません。(了)



「老いた電池売りの独白」...フューロジック代表・田中景が、日米で40年近く電池の営業をしてきて思う、電池の現在過去未来、営業とは、国際感覚とは、そして経営とは、、を綴った連載です。

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