投稿

4月, 2022の投稿を表示しています

エピソード002  <ビッグマック指数 その2>              

前回、この34年間で「ビッグマック指数」は68ポイント下がってしまい、いまやアメリカだけでなくいろいろな国から見て日本のビッグマックは驚くほど安くなった、というお話をしました。つまり日本円で何かを買おうとすると、他の通貨よりも相対的に負担が大きいと言うことで、これは10年前には感じなかったことです。 前回も引用させていただいた「日本が先進国から脱落する日」(野口悠紀雄 著  プレジデント社刊)によると、この円安は「① 日本政府が意図的に続けてきた」ことと「② 企業がそれに安住し技術開発を重視しなかった」ことが原因であると言うことです。どういうことでしょうか? 私はここで一つ大きな反省をしなければなりません。 以下は2013年2月に私が配信したメルマガで、タイトルは『「アベノミクス」と「バッテリージャパン」』。この中で私は2011年に出版された財部誠一さんの「パナソニックはサムソンに勝てるか」(PHP出版)から「・・・リーマンショックの前年の2007年1月、円レートは1ドル=120円、韓国ウォンは1ドル=937ウォンだった。それがリーマンショック翌年の09年には、円は90円まで上昇、逆にウォンは最大1450ウォンまで急落。円は25%の円高、ウォンは54%のウォン安になっている・・・」と引用し、三洋(当時は独立した企業)やパナソニックなどの日本の電池メーカーはサムソン、LG.などの韓国メーカーに対し為替で79%の為替ハンデ戦を余儀なくされた・・・円高に対する政府の無策が日本メーカーの収益を圧迫し、三洋電機を消滅に追い込んだ・・・と嘆いて見せました。さらにこのメルマガの前年12月に阿倍首相が再登板して早々に円安傾向になっていきましたが(日銀の「異次元緩和」が効きました)、私はこれを実に好意的に「アベノミクスと呼ばれる効果が早くも出てきたかもしれません。今こそ韓国勢に対してバッテリージャパンの猛反撃が・・・」などとはしゃいでいます。 前述の野口先生は「円安は麻薬」だと言います。 そもそも自国通貨の価値が高い(つまり円高)のは国力を反映したもので、海外の製品・・・日本の場合は特に原油・天然ガス、小麦など食料・・・を安く買えることは喜ばしいことであるはず。ところが輸出型企業にとって円高は収益のマイナス要因であるので、そうなると税収が減ってしまう政府と利害が一致し、官民合わせて「

エピソード001 <ビッグマック指数 その1>

1988年、私は勤務していた企業のアメリカ駐在員としてニュージャージー州の現地法人に派遣されました。31歳でした。 このとき、その現地法人は大赤字状態で新たに人員を増やせるような財務状態ではなかったにも関わらず、日本側の事情で私は赴任したのでした。この「日本側の事情」も今思えばかなりドラマチックだったと思うのですが、そのあたりのお話は後日改めてとさせていただきます。 とにかく、日本人2人とアメリカ人8人ほどで毎月膨らむ赤字を止められずにいたところに送り込まれてきた私は、疫病神以外の何者でもありませんでした。何しろ、当時私が勤務していた企業の日本本社は恐ろしく封建的で、本社から仕入れた商品代金の対価は「円換算されたドル払い」であり、当時の猛烈な円高(1985年5月末に1ドル=251.78円だったものが3年後の1988年5月には124.80円まで高騰 ※)でアメリカ現地法人は売っても売っても赤字。現法の経営は青息吐息です。 そこに、頼んでもいないのに送り込まれてきた(仕事レベルでは)英語力ゼロの日本人にはとにかくカネがかかる。通勤に必要な車は会社が支給しなければならない(当時、会社貸与のクルマ・・・カンパニーカーは企業上層部のエリートだけのものでした)し、アパート探しも一人で行けないし、なにしろ当時の日本円の給料をドルで換算した給料は現地人社員のレベルとはかけ離れたものでした。つまり、まったく戦力にならない若造にアメリカ現法は相当な費用をかけなくてはならない、クビにもできない、送り返すこともできない、という状況です。 で、送り込まれた当人はと言うと、ゴルフを始めようとか、マンハッタンに飲みに行こうとか、太平楽なものです。5番街に行けばブランドショップには日本からの女子大生が闊歩しブランドものを買いあさる一方で、日本では大企業の工場長が円高を苦に飛び降り自殺したりしたころです。アメリカに引っ越した私にとってはスーパーで買い物しても何でも安い。ゴルフのプレイフィーもステーキも韓国料理も円換算すればおそろしく安い。マンハッタンの日本の女の子のいるクラブに行くと、金融機関や商社の駐在員でギュウギュウでした。円高は企業の国際競争力をそぐとかなんとか言いながら円高を享受できていたのです。 ・・・あれから34年、ここ数年はアメリカどころかコロナ禍で日本国内にいざるを得ない。そんな中、