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エピソード008 <接待>              

コロナ禍が長引いて取引先と飲食することがほとんどなくなりましたね。こういう生活に社会が慣れてしまって、コロナが終息しても「接待飲食」は非常に少なくなってしまうのだと思います。人生の目標に「好い酒飲みであること」を標榜する私にとっては大変残念な社会の変化です。 「接待」が死語になってしまわないうちに、まだ生き延びている昭和の営業マンから令和のビジネスを生きるあなたへ。 私のサラリーマン時代の会社オーナー氏は接待について独特の持論がおありの方で、接待費の領収書と決済書類を回すと何回かに一回社長室に呼ばれることがありました。 聞かれるのは「何を言うため」「何を聞くため」の接待だったのか、結果としてそれは「言えたのか」「聞くことができたのか」ということです。うまく答えられないと「それは接待とは言えない。会社のカネで飲み食いしただけだ」と叱責されました。 幸いにして、 私は先輩たちがそのように怒られているのを若手時代から何度も目撃することができたので、上記下線部の社長の傾向をつかんでいました。ですので、私はあまり叱責されることのない珍しい存在だったかも知れません。そればかりか、貴重な経験もさせていただきました。 あるとき、 私の担当している大手顧客から支払方法の変更(ターム延長)の要求があり、会社としては資金繰りの問題からお断りしなければならない、ということがありました。最初は、私が担当としてお断りした(もちろん、資金繰りが苦しいとは言えません)のですが、お客さんも側も簡単に諦めてくれず、では上司と話をさせて欲 しい、 役員と会わせて欲しい、ついには社長とアポを取って欲しいと言うことになりました。社長は「逃げるわけにもいかん。夕方、ウチの会社に来てもらって、その後会食ができるような段取りで設定しろ」と。 当日お客さんがお見えになる時間になると、社長は私を伴って会社の玄関まで出迎え「すみません、 今日はバタバタしていて昼飯を飛ばしてしまいました。腹が減ってどうもならんのでちょっと早いけど食事に行きませんか?」と。驚いているお客さんの前に社長専用のクラウンがすーっと止まります。まあまあ、お話はメシ屋でゆっくり伺いますのでとクルマに押し込んで「田中、場所はメシ屋だが会議だぞ。 きちんとメモ取れよ」とお客さんを安心させます。 一件目は寿司屋、ここでお客さんは何度も本題に入ろうとします

エピソード007 <学校で教わりたかった>

日本の学校教育って役に立たない、とよく言われますよね。あんなことを勉強させられる代わりに、こういうことを教わっておきたかったなあ、と60代半ばにして思うことを、今日はいくつかお話ししたいと思います。 ・・・20人ぐらいの3歳児の前で金髪の大柄な女先生が、傘に雨が降り注いでいる絵のカードをマグネットで貼って尋ねます。What is this? 子供たちはRain!!と大きな声で答えます。まだアメリカに着いたばかりのわが息子は廻りをキョロキョロ見回して、3秒ほど遅れてレイーン!!と真似をしています。この日はニュージャージーの保育園で息子の体験入学をしていたのです。 次に先生は弓矢の絵をボードに貼りながら弓の方を指さしてWhat is this, now?と尋ねます。子供たちはBow!!と答え、息子もボウ!!とまねをしています。このときはまだ20年以上もアメリカに住むことになるとは思ってもみませんでしたから、息子は英語になじむことができるかしら、と不安になっていました。しかし彼女は私のそんな思いには頓着せず、次のカードを裏返しにして貼り、What kind of bow do you see after the rain?(雨の後で見える弓ってなーに?)と聞きます。子供たちはRainbow!!と答えます。 先生はThat’s rightと微笑みながら裏返しのカードをひっくり返して虹の絵を子供たちに見せます。え、そうなの?レインボウって「雨」と「弓」の合成語だったの?そういえば弓の形だなあ・・・私は3歳児よりも英語力が無いことを悟られないように、ぎこちなく笑っていました・・・皆さんはこれ、ご存じでしたか?この日私はパイナップルもPine(松)とApple(リンゴ)、カクテルもCock(おんどり)とTail(尻尾)の合成語であると言うことも知りました。ついでにカクテルはお酒以外の意味もあることも。こういうの学校で教えてくれたらよかったのに・・・3歳児のお教室で、私は苦笑いを繰り返していました。 ・・・日本ではまず見ることの無い、果てしない人の群れです。そしてすべての人々が急いでいる。まさに無限の雑踏の中で、私は誰にもぶつからないように羅湖(ローフー)駅をよろよろと歩いていました。 60 歳になる直前のこのとき、私は椎間板ヘルニアを患い、出張先の中国恵州で激痛発作に襲われました

エピソード006 <2時間28分>            

それが文明の進化というものかも知れませんが、ものを考えなくなりました。地下鉄でどこかに行く場合も行き方を自分では考えません。スマホの乗り換えアプリが頼り。こういうの昔は駅の券売機の上の路線図をにらんで自分で考えていましたよね。 何か知らないことを調べようとするときはGoogle。図書館に行って調べようなんて考えもしません。 30年以上前の話ですが、当時勤務していた会社のゴルフコンペは若手社員にとって悪夢でした。今度の土曜日、A社のX部長をナントカ通りの歩道橋の下で、 B社のY専務をカントカ街道の公衆電話のところで、C社のZさんは最寄り駅のロータリーでピックアップして午前6:30までに○○カントリークラブに到着すること・・・。繰り返しますが30年以上前です。携帯電話もナビもありません。 金曜日は仕事どころではなく社有車から引っ張り出してきた地図(その頃の社有車には地図が必ず一冊載せてありました)で翌日の道順を「考え」なくてはなりません。 そんなこんなで当日その場所に行くと歩道橋の下には誰もいない。携帯電話がないから時計を見ながらジリジリするしかありません。 こっちが場所を間違えたのか、向こうが寝坊しているのか、ああ、あの気難しいY専務はもう待ち合わせ場所に来てイライラしているのではないだろうか。気の弱いZさんは途方に暮れているのではないか・・・現代ではしなくてもいい心配をしていました。実に多くのことを想像し悲観し心配して「考え」ていたように思い ます。 スマホやGoogleやナビは私たちから「考える」という「苦痛」から解放してくれたのかも知れません。ではなぜ「考える」ことは苦痛なのでしょう?これは私の考えですが、いくつかの選択肢を想定してその中から一つを選択しなければならない場合、将来「なんでこんな選択をしてしまったんだ? 」という後悔するかも知れないという恐怖と戦わなければならない。それが苦痛なんだと思います。 その課程で過去の間違った選択を思い出して苦い思いをしなければならないし、その時自分を非難してきた人々の苦々しい、あるいは困り切った、あるいはライバルの勝ち誇った顔も思い出すでしょう。 場合によっては小さくない額の金銭的な損も出でしまったかも知れないし、今度もそうなったらどうしよう。その上「セオリー的にはAだがやりたいのはBである」とか「自分はこうだと思うが信