エピソード006 <2時間28分>            

それが文明の進化というものかも知れませんが、ものを考えなくなりました。地下鉄でどこかに行く場合も行き方を自分では考えません。スマホの乗り換えアプリが頼り。こういうの昔は駅の券売機の上の路線図をにらんで自分で考えていましたよね。 何か知らないことを調べようとするときはGoogle。図書館に行って調べようなんて考えもしません。

30年以上前の話ですが、当時勤務していた会社のゴルフコンペは若手社員にとって悪夢でした。今度の土曜日、A社のX部長をナントカ通りの歩道橋の下で、 B社のY専務をカントカ街道の公衆電話のところで、C社のZさんは最寄り駅のロータリーでピックアップして午前6:30までに○○カントリークラブに到着すること・・・。繰り返しますが30年以上前です。携帯電話もナビもありません。 金曜日は仕事どころではなく社有車から引っ張り出してきた地図(その頃の社有車には地図が必ず一冊載せてありました)で翌日の道順を「考え」なくてはなりません。

そんなこんなで当日その場所に行くと歩道橋の下には誰もいない。携帯電話がないから時計を見ながらジリジリするしかありません。 こっちが場所を間違えたのか、向こうが寝坊しているのか、ああ、あの気難しいY専務はもう待ち合わせ場所に来てイライラしているのではないだろうか。気の弱いZさんは途方に暮れているのではないか・・・現代ではしなくてもいい心配をしていました。実に多くのことを想像し悲観し心配して「考え」ていたように思い ます。

スマホやGoogleやナビは私たちから「考える」という「苦痛」から解放してくれたのかも知れません。ではなぜ「考える」ことは苦痛なのでしょう?これは私の考えですが、いくつかの選択肢を想定してその中から一つを選択しなければならない場合、将来「なんでこんな選択をしてしまったんだ? 」という後悔するかも知れないという恐怖と戦わなければならない。それが苦痛なんだと思います。

その課程で過去の間違った選択を思い出して苦い思いをしなければならないし、その時自分を非難してきた人々の苦々しい、あるいは困り切った、あるいはライバルの勝ち誇った顔も思い出すでしょう。 場合によっては小さくない額の金銭的な損も出でしまったかも知れないし、今度もそうなったらどうしよう。その上「セオリー的にはAだがやりたいのはBである」とか「自分はこうだと思うが信頼する人のアドバイスは違う」とか。面倒くさいし、だれか決めてくれないかしら。

だから、 自責をこめて告白しますが、部下に「そのぐらい、ちょっと考えれば分るじゃないか」と目をむくときは、私自身が苦痛をともなう「考える」ことを拒絶しているのだと思います。それが分っているのに今日も「おい、1分考えれば分りそうなことをオレに聞かないでくれよ」とあきれた顔をして見せたりしています。 悪気ではない(その時は他に考えなければならないことがあったり)のですが、事ほどさように「考え」て結論を出すのにはエネルギーが必要です。それこそ1分考えるのにも、です。

『藤井聡太九段、2時間28 分の長考の末に・・・』という見出しを見ると、だから私は呆然としてしまいます。 一つのことを2時間以上考え続けることができる方がいる。すごい。映像を見ると、藤井さんは両目を片手で覆い、もう一方の手で首の後ろを叩きながら集中しています。忍び込もうとするあらゆる雑念・・・セオリーとか、こうした方が格好いいとか、日本中の観戦者を驚かせることができるとか、 おおよそ「勝つ」という目的以外のすべてのこと・・・を頭から追い出して考え続ける。これを2時間以上続けることができるのは才能だと思います。

現代は「反射神経の時代」で、次々と現れる課題に瞬間的に結論を出して行かなければならないことが多いですね。たとえばお笑いでも、 何十分もフリを聞かせて最後にオチで笑わせる落語はテレビで見ることがなくなりましたし、漫才でさえもナントカ大会以外では見かけなくなりました。その代わり、台本のないトーク番組で気の利いたひと言で「うまい」を勝ち取るパネラー芸人さんは大忙しですね。観客は「考え」なくても笑わせて欲しいのでしょう。 しかしこういう傾向は我々の日常のビジネスには応用できそうもありません。やっぱり難しい問題ほど自分で考えないと。

でも、そうは言っても中小企業のオヤジの一日は大小取り混ぜた「決断の連続」です。いろいろ考えているところに部下は突然切羽詰まった顔で相談に来て、そして即断を求めます。 そうすると私のかんしゃくがはじけます。「1分考えれば分りそうなもんだろ?」・・・この循環はダメですね。そもそも1分考えれば分るようなことは相談には来ないでしょうし。

言い古されているかも知れませんが、こういう場合は材料集めです。 「分っていることと分っていないことは整理できているか」「いつまでに結論を出さなければならないのか(いつまで引っ張れるか)」「選択肢は何と何か」「各々の選択肢についてメリットとデメリットを検証してあるか」・・・部下の切羽詰まった感に惑わされず冷静に対応したいですね。まず、 手持ちの材料をテープルに並べる。そして考える。お互い、2時間28分考え続けて結論にたどり着く天賦の才には恵まれていないのですから。(了)



「老いた電池売りの独白」...フューロジック代表・田中景が、日米で40年近く電池の営業をしてきて思う、電池の現在過去未来、営業とは、国際感覚とは、そして経営とは、、を綴った新連載です。

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