エピソード054 <ペン著>
電池の専門書とかビジネス雑誌とか、経営者(ハシクレですが)としてもっと他に読むべき本があるはずなのに、突然どうしても読みたくなって、向田邦子さんのエッセイ集「夜中の薔薇」をネットで買って高校時代以来久しぶりに読みました。かつては愛読書だったのですが、日本 → アメリカ → 日本 と10回以上の引っ越しで、持っていた本はほとんどその時々の周囲の人たちに譲ってしまったので、しょうがなく今回もう一度買ったのです。
向田邦子(むこうだ・くにこ)さんは1929年生まれの脚本家(「寺内貫太郎一家」など)兼エッセイスト兼小説家で、特にエッセイの達人として有名でした。1980年に短編小説集で直木賞を受賞しましたが、その翌年に台湾で航空機事故に遭い亡くなりました。もう43年も前のことですので、若い方はご存じないかもしれませんね。
再読してみると、今もモチーフの見つけ方と展開に翻弄されます。天才という言葉を乱用したくありませんが、ここに一人いた、という感じです。
今回、改めてハッとしたのは「・・・それでなくても汚い字の原稿を赤ペンでもっと汚くして・・・」という記述です。「そこかよ」と思われるかもしれませんが、私は「向田さんはペンで原稿を書いていたのだなあ」と、改めて茫然としました。
私が向田作品を初めて読んだとき(遠い昔です)は、PCはおろかワープロ(ワード・プロセッサ)すらなかった時代でした。そう思って調べてみると、日本語ワープロは1977年にシャープが開発し、 1980年ごろから徐々に普及し始めたそうですから1981年に亡くなった向田さんがペンで書いていたのとつじつまが合います。私たちの学生時代、学校からのいろんなお知らせは手書きのガリ版印刷(分からない人はネット検索してください)でしたし、就職後も報告書や週報を手書きしていました。だからこの1980年が「手書きからタイピング」のターニングポイントだったのだと思われます。「書き方」の歴史的革命の幕開けですよね。仕事の方では、この少し後からいろいろなワープロメーカーに電池を使ってもらいました。最初はニカドで、すぐにニッケル水素になって、リチウムイオンの時代が来て・・・そして間もなくPCの時代になっていきました。
・・・そして今、私はこの連載をそのPCで「書いて」います。
実際の自分の作業を思い返してみると、まず書きたいことを書きたいように思い切り自由に書き、そうして一度「書き手 田中」から「読み手 田中」に変身し、その上で修正・削除・書き足しを何度も繰り返し、「書き手」に戻り、また「読み手」の意見を聞き・・・つまり、ペンでは絶対にできない「書き方」を、向田さんのように赤ペンのお世話になることもなくやれているのです。「手書きからタイピング」の1980年には23歳で、ペン書きしか方法がなかった時代を生きてきた私なのに、今やすっかりPCの便利さに飼いならされていて、書き間違いは何度でもバックスペースキーで跡形もなくきれいに消し、あとで推敲(すいこう)する部分は黄色やピンクのハイライトを施し、「切り取り」「コピー」「貼り付け」の機能を駆使して、文章の順番を入れ替え、差し込み、また元に戻して・・・それでこの程度のブログをようやく書いているのです。だから今回「夜中の薔薇」を再読していて、名人向田邦子がPCで書いたら・・・と想像しました。好奇心旺盛で「汚い字コンプレックス」があった向田さんですから、あと数年生きていれば実現していたはずです。そうなっていたら、向田さんもPCに飼いならされていたのでしょうか。作風は変わっていたでしょうか・・・。
私が「ペンでは書けない」と思うもう一つの理由は「漢字が書けない」ということです。日常的にペンを使ってものを書かないから、大半の漢字は読めるけど書けない。書けなくてもPCが自動で変換してくれますから、たとえばここまでの文章で私が「翻弄」とか「好奇心旺盛」を自由に「書いて」こられたわけですが、あの時代に向田さんが漢字を忘れたとき、その都度「紙の辞書」で確認するしかなかったはず(電子辞書の普及は1990年以降)ですね。執筆中にそういう作業をはさむと文章の流れが滞ります。どうしても数分前の「筋」に戻れないこともあったと思います。PCではしなくていい漢字との格闘もしながら、どうやって文章の脈絡を維持できていたのか。すべもないことですが伺ってみたいものです。
ところで・・・今年の春、初めてプロの編集者と対峙することになって、その細かな指摘には驚かされました。私の文章では「ころ」と書いてみたり「頃」と書いてみたり、「あいだ」だったり「間」だったり、一人が書いたとは思えないほど文字使いが揺らいでいたのです。おそらくブログの読者も気が付いていない(失礼ながら)と思われるのに編集者は決然と「統一が必要」とおっしゃいます。でも、これは私が間違って揺らいだのではなく、PCがそう変換したのです。変換が「こと」になっても「事」になっても、そこにこだわりも意図もなかったからそのままになってしまっただけ。しかし、ペン書きの時代は著者が意識して字を選んでいたのでしょう。「ない」にすべきか「無い」なのか、隅々まで書き手のこだわりや意図が込められていたと思うと、本当に頭が下がります。
以上のいろいろな理由で、ペンで書かれた著作はワープロ・PCで書いた作品と一段違う評価をされるべきだと思うのです。どうでしょう、これからの出版物には作品の最後に「ペン著」「PC著」「タイプライター著」のような表記を加えたら。絵画には「水彩」「油彩」、彫刻には「木彫」「青銅」などとタイトルの横に書かれているように。
さらに「筆著」。大河ドラマで吉高由里子さん演じる紫式部を見ていたら、平安時代には向田さんが駆使した赤ペンすらない。越前から取り寄せた(当時はとても貴重品の)和紙に筆で下書きもなくすらすらと・・・「源氏物語」「枕草子」以前から昭和初期までの「筆著」時代は「書き直しができない」重圧の中で書かれていた・・・そう思うと気が遠くなります。その後「ペン著」時代を経て、ついに出現したPCがもたらした「何度でも書きかえられる」という書き手の心の自由は、高価なフィルムを使わないデジカメが、すべてのフォトグラファーにもたらした心の自由に匹敵すると思います。
最後に、向田さんのエッセイから引用させていただきます。これを学生時代に読んだはずなのに今日(こんにち)の私はなんという言葉使いか・・・と思わせてくれる一文です。
<前略> ・・・自分に似合う、自分を引き立てるセーターや口紅を選ぶように、ことばも選んでみたらどうだろう。ことばのお洒落は、ファッションのように遠目で人を引きつけはしない。無料で手に入る最高のアクセサリーである。流行もなく、一生使えるお得な「品」である。ただし、どこのブティックをのぞいても売ってはいないから、身につけるには努力がいる。本を読む。流行語は使わない。人真似をしない ?? 何でもいいから手近なところから始めたらどうだろうか。長い人生でここ一番というときにモノを言うのは、ファッションではなくて、ことばではないのかな。 (「ことばのお洒落」PHP/1975年8月号)
もちろん「ペン著」のはずです。僭越のそしりを恐れずに申しますが、今、私にはこのようにきちんと構成された文章をペンで書くことは絶対にできません。私が今日こうしてブログやメールを何とか書くことができているのはPCがあるおかげです。
それにしても・・・最後の「ではないのかな」という問いかけは、いきなり読者をただの聴衆から当事者にしてしまいます。ペンだろうとPCだろうと、こういう終わり方は私などには到底思いつきません。やっぱり、ここに一人いました。 (了)
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「老いた電池売りの独白」...フューロジック代表・田中景が、日米で40年近く電池の営業をしてきて思う、電池の現在過去未来、営業とは、国際感覚とは、そして経営とは、、を綴った連載です。
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