エピソード057 <新大久保のダンディ>

 皆さんはビリヤードのスリークッションという競技をご存じでしょうか。穴ぼこ(ポケット)に球を落とすゲームではなく、ポケットの無いテーブル上でボール3個でするゲームです。今でも韓国などではメジャーですが、ルールが非常に複雑なせいか日本では競技人口が少なくなってしまいました。でも私は中学生の頃から大好きで、高校時代からビリヤード場に入り浸って・・・ご想像通り、あまりいい学生ではありませんでした。
 しかし、20年以上暮らしたアメリカではポケットばかりで(映画「ハスラー」もポケットですし)スリークッションのテーブルはほとんどありませんでした。だから15年前、アメリカから帰国した私が住居と仕事の拠点を確保して、次にしたのがスリークッションができるビリヤード探しでした。ネットで調べたところ、新大久保に元世界チャンピオンが経営しているビリヤードがあり、私も名前だけは知っていたので、さっそく出かけてみました。久しぶりのスリークッション、私はワクワクしていたのですが・・・そこにいたのは常連さんばかり、私のような見ず知らずの男と遊んでくれる人はいなくて、私は所在なく見学席で人のゲームを見ていました。もう帰ろうか、と思っていたところに・・・
 「お、見ない顔だね。初めて?」
突然、背後から男性としては高い声で呼びかけられました。振り向くと60がらみでツイードのジャケットを着た白髪交じりのダンディがニコニコしています。
 「いえ、初心者ではないのですが20年以上やっていないんです」
 「へえ、じゃ、海外赴任でしょう。どこ?」
 「アメリカのニュージャージーです。・・・え、海外赴任だって分かりますか?」
 「オレももとは商社だからね。で、相手がいないんだろう?オレがつきあうよ」
 この人が浅野さん・・・通称「アサヤン」でした。3ゲームほど終えると冗談が言い合えるようになっていました。そして「じゃあ、まだこの辺の店、全然知らないんだろう?教えてあげるからつきあいなよ」と、ビリヤード裏手の薄暗い地下の居酒屋に。並んでカウンター席に座ると、アサヤンはいきなり私をびっくりさせたのです。
 「田中ちゃん、オレね、もうすぐ死ぬの。ガンなの。だからおそらく田中ちゃんが人生最後の友達」
 「え、本当ですか?・・・またぁ、からかっちゃイヤですよ」
 「本当なの。冗談だったらいいんだけど、まだ64だからね。でも食道ガンでさあ、だからもう固形物は飲み込めないのよ。でも、液体はOK。だから、さあ、飲もう」
 私は半信半疑でしたが、とにかくアサヤンの言う「ここのこれがうまいのよ「こういうのはよそであまり食べられないぜ」というつまみでお酒は進みます。とは言っても自己紹介通りアサヤンは飲むだけで、料理には手を出しません。私が気にして箸を止めると「オレを気にするなって。正直、 クスリの副作用で食欲はゼロなのよ。腹は減らねえけど、でも自分でも大したもんだと思うね、真正の酒飲みなんだろうね、日が暮れてくると酒は飲みたくなるのよ」と笑います。でもその笑顔には、ことさら陽気を装う痛々しさがあるようで直視できません。するとそれに気づいたように「そんな顔するなって。医者の見立てでは、本当は去年死んでいたはずでさあ、田中ちゃんとは出会えないはずだったんだから。去年の暮、もう一回正月が来るってうれしくなってね、普通は休みの元旦のビリヤードを借り切ってね、常連を全部招待してゲーム代・飲み食い全部オレがカネ払って『みんな、ありがとう』って絶叫して、みんなで涙流して・・・でも、もう3月なのにまだ生きているのよ。なんだか恰好悪くなっちゃってさあ」
 思わず釣り込まれて笑ってしまいました。「じゃ、いいお医者さんにあたったんですね」と言うと「いいお医者さん?そうね、アイツは実にすばらしいアクトクだな」とウインクします。「だって、寿命を短めに言っておいて、それ以上に患者が長く生きればアイツの手柄だろう?その上、注射に行くたびに『まだ認可されていないけどこういう新しい薬が出ました。保険はきかないけど試してみますか』って聞きやがるの。で、そうすると『じゃ、先生、それもお願いします』ってウチのカアチャンが言っちゃうの。高いんだぜ。でもオレもカアチャンがそう言ってくれるとホッとするの。もう、アクトクの思い通りになっちゃうのよ」
 だからね、ガン保険は入っておくもんだぜ。そう言うと終末期患者とは思えない身のこなしで勘定を済ませ、大久保通りまで小走り、タクシーを止めます。さあ、次は歌舞伎町。運転手さん、西武新宿駅までお願い。
 数カ月の間にそういうこと・・・ビリヤードで会ってそのままハシゴ・・・が3回ありました。3回目の時はもうグデングデン、百人町のアサヤンのマンションまでタクシーで送り届けると、降り際に「さっきの店、勘定払ったの?」と聞きます。払いました、心配しないでください。それより部屋まで歩けますか?と聞くと、それには答えず「いくらだった?」とトロンとした目で私を見つめます。16000円でした。割り勘にしましょうね。「はいよ。次の時、払うね」とアサヤンは千鳥足でエレベーターに入っていきました。

 そして、それが最後になりました。

 あの後すぐ入院して、奥様に看取られて亡くなったとビリヤードで聞きました。しかし、お葬式が海外出張と重なって失礼してしまい、なんだか現実感がなく、喪失感も感じないでいました。ひと月ほど経って、ようやく私も常連として扱ってもらえるようになったビリヤードでテーブルがあくのを待っていると、ボーイに「田中さんにって預かっています」と封筒を手渡されました。おカネと、手紙が入っていました。


・・・浅野の家内でございます。主人とお付き合いいただきありがとうございました。主人は「人生の最後に面白いやつと出会えた。田中君というアメリカ帰りの男でウマが合う」と申しておりました。今年に入ってからは家に縛り付けないように好きにさせておりましたので、きっと飲み過ぎてご迷惑をおかけしたと思います。手帳に「田中8000借」とありましたので、きっと飲み代が足りなくてお借りしたのでしょう。借りっぱなしになるとは本人も思っていなかったと思いますので、遅くなりましたがお納めください・・・


 「田中8000借」か。あんなに酔っていたのにどこで書いたんだろう。すると突然、エレベーターの壁に手帳を押し付けて、トロンとした目で書きにくそうにメモしているアサヤンが思い浮かびました・・・ター、ナカ、ハーッセン、カーリっと。よぉし、これで忘れねえ・・・「次の時、払う」って言ってたね。だから忘れないように必死で手帳に書いたんだよね、アサヤン・・・そう思うと、初めて猛烈にこみ上げてきました。

 では、アサヤンが連れて行ってくれた店を本人コメント付きでお教えしましょう。
 まず、百人町の居酒屋「越路」。今や私のホームグラウンドです。「ここはね、冬の塩辛と夏の根曲がり竹(細いタケノコ)の焼いたやつ。季節ものだから無い時はあきらめるしかない。だからあったらうれしいのよ」
 次に大久保二丁目の「焼肉美苑」。「ここの海鮮チジミはよそと違うの。フッカフカで厚いのよ。冬は牡蠣チジミがあるからこっちもいい。接待なんかの時、最初にチジミを食わせちゃうと肉が減るから経費も助かる(笑)」
 最後は新大久保駅改札正面の「百人町近江家」。「蕎麦屋なのに蕎麦だけ食って帰るヤツはいないのよ。みんな長ッ尻(ナガッチリ)だから人数が多いときゃ予約した方がいい。つまみならさつま揚げ。できたのを焼いて出すんじゃなくて、注文してから揚げてくれるから旨い。蕎麦はみんな旨いけどオレは鴨せいろ。それから、ここは駅の真ん前だから待ち合わせにもいい。ここなら迷うヤツはいないから」
 自分はもう何も食べられなかったのに、こういう情報を正確に伝えていってくれました。「本当に旨いですね」とパクパク食べる私を、アサヤンは焼酎を飲みながら嬉しそうに見ていました。今でもたまに、駅前のマツモトキヨシの角を曲がると「よっ」と声を掛けられる気がします。短いおつきあいでしたが、とても素敵な奥様をお持ちの、とても素敵な人でした。 (了)


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