エピソード002  <ビッグマック指数 その2>              

前回、この34年間で「ビッグマック指数」は68ポイント下がってしまい、いまやアメリカだけでなくいろいろな国から見て日本のビッグマックは驚くほど安くなった、というお話をしました。つまり日本円で何かを買おうとすると、他の通貨よりも相対的に負担が大きいと言うことで、これは10年前には感じなかったことです。

前回も引用させていただいた「日本が先進国から脱落する日」(野口悠紀雄 著  プレジデント社刊)によると、この円安は「① 日本政府が意図的に続けてきた」ことと「② 企業がそれに安住し技術開発を重視しなかった」ことが原因であると言うことです。どういうことでしょうか?

私はここで一つ大きな反省をしなければなりません。

以下は2013年2月に私が配信したメルマガで、タイトルは『「アベノミクス」と「バッテリージャパン」』。この中で私は2011年に出版された財部誠一さんの「パナソニックはサムソンに勝てるか」(PHP出版)から「・・・リーマンショックの前年の2007年1月、円レートは1ドル=120円、韓国ウォンは1ドル=937ウォンだった。それがリーマンショック翌年の09年には、円は90円まで上昇、逆にウォンは最大1450ウォンまで急落。円は25%の円高、ウォンは54%のウォン安になっている・・・」と引用し、三洋(当時は独立した企業)やパナソニックなどの日本の電池メーカーはサムソン、LG.などの韓国メーカーに対し為替で79%の為替ハンデ戦を余儀なくされた・・・円高に対する政府の無策が日本メーカーの収益を圧迫し、三洋電機を消滅に追い込んだ・・・と嘆いて見せました。さらにこのメルマガの前年12月に阿倍首相が再登板して早々に円安傾向になっていきましたが(日銀の「異次元緩和」が効きました)、私はこれを実に好意的に「アベノミクスと呼ばれる効果が早くも出てきたかもしれません。今こそ韓国勢に対してバッテリージャパンの猛反撃が・・・」などとはしゃいでいます。


前述の野口先生は「円安は麻薬」だと言います。

そもそも自国通貨の価値が高い(つまり円高)のは国力を反映したもので、海外の製品・・・日本の場合は特に原油・天然ガス、小麦など食料・・・を安く買えることは喜ばしいことであるはず。ところが輸出型企業にとって円高は収益のマイナス要因であるので、そうなると税収が減ってしまう政府と利害が一致し、官民合わせて「円安にしろ」という大合唱になります。せっかく国力で勝ち取った有利なポジションである円高のメリットを享受することを放棄したわけです。そして誠に残念ながら私自身もその大合唱に加担していたわけです。10年後に何がおきているかをあまりにも楽観的に見てしまっていた。ついにバッテリージャパンの猛反撃は起きませんでした。

そして話をビッグマック指数に戻すと、なぜ日本では390円なのか、という議論が残っています。それはおそらくそうでないと売れない、と日本マクドナルドが判断したのでしょう。なぜなら日本人の賃金が安いから。これは私自身びっくりしたのですが、「1990年(つまり私がアメリカに行った2年目)から2020年までの30年で、平均的な日本の労働者の賃金はほとんど変わっていないが、韓国の労働者の賃金は2倍になっている」(東洋経済2022年3月7日リチャード・カッツ氏記事)のだそうです。これを知ると日本のビッグマック指数がこれほど低いのも納得できますね。


要するに日本企業は目先の収益を求めて円安という麻薬を選んだのでしょう。「円安になった」⇒「企業の収益が好転した」⇒「国としては税収が増えた」・・・で、ここで本当は収益の一部を使って「労働者の賃金が上がった」「研究開発費が増え製品の競争力が高まった」とならなければならなかったのにそうならなかった。そしてさらなる円安を望んだ。なにせ企業努力しなくても収益が上がる。なにせ「麻薬」ですから。


先々を考えないで目先の収益を追う・・・私にはいつも思い出される原風景的なシーンがあります。それは私がアメリカに駐在に出る直前の1986年頃です。そのころの私の上司は取締役営業部長氏で、なぜか私を「た~なかぁ」と妙なフシをつけて呼ぶ方でした。

「た~なかぁ、何か中国で作るものはないかよ?」「何か中国に持って行ける案件はない?た~なかぁ」。当時、その企業には宮城と中国に工場があり、宮城で作っていた製品を中国に生産移管して利益を増やしたいのが彼の立場。しかしわれわれ営業マンはイヤ。品質も不安だったし、輸送にかかる時間を考えると及び腰になります。それでなくとも日常的にお客さんに納期で怒られていましたから。

しかししかし、数年後には大半の製品の生産が中国に移管されてしまいました。あっという間です。そのころ宮城の工場に特急のサンプルを依頼しようとすると、サンプル生産に必要な設備まで中国に送っちゃったからムリ、みたいな話がかなりありました。そして宮城の工場は作るものがなくなり、雇用も維持できなくなりかけ、外注業者さんたちにも迷惑をかけます。一方、中国に生産移管した製品で収益が出たかというとそうではない。ライバルも中国で生産するようになったから値下げ競争です。もと取締役営業部長から宮城工場長になっていた件の元上司から「た~なかぁ、何か宮城で作るものないかぁ」と電話がくるようになりました。

中国で作れば安くなる。なにせコスト表の「人件費」の部分は中国生産の場合「誤差の範囲」だから記入しなくていい、とまで言われた時代です。こうして私たちは10年後20年後をろくに想像しないで、みんなで「中国生産」という麻薬を飲んだのです。


「円安誘導」も「中国生産」も企業努力をしないで収益を上げる麻薬でした。その結果が今のビッグマック指数に反映されています。私も経営者として自分の引退後、さらには死後のことまで考えて、目先の収益より大事なものがあることを考えなければならない。そうでなければこのビッグマック指数はいつまでも改善されない、貧しい日本を後世に渡すことになると思います。ビッグマック指数から企業努力の重要性を学ばせてもらいました。(了)



老いた電池売りの独白」...フューロジック代表・田中景が、日米で40年近く電池の営業をしてきて思う、電池の現在過去未来、営業とは、国際感覚とは、そして経営とは、、を綴った新連載です。

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