エピソード001 <ビッグマック指数 その1>

1988年、私は勤務していた企業のアメリカ駐在員としてニュージャージー州の現地法人に派遣されました。31歳でした。

このとき、その現地法人は大赤字状態で新たに人員を増やせるような財務状態ではなかったにも関わらず、日本側の事情で私は赴任したのでした。この「日本側の事情」も今思えばかなりドラマチックだったと思うのですが、そのあたりのお話は後日改めてとさせていただきます。

とにかく、日本人2人とアメリカ人8人ほどで毎月膨らむ赤字を止められずにいたところに送り込まれてきた私は、疫病神以外の何者でもありませんでした。何しろ、当時私が勤務していた企業の日本本社は恐ろしく封建的で、本社から仕入れた商品代金の対価は「円換算されたドル払い」であり、当時の猛烈な円高(1985年5月末に1ドル=251.78円だったものが3年後の1988年5月には124.80円まで高騰 ※)でアメリカ現地法人は売っても売っても赤字。現法の経営は青息吐息です。

そこに、頼んでもいないのに送り込まれてきた(仕事レベルでは)英語力ゼロの日本人にはとにかくカネがかかる。通勤に必要な車は会社が支給しなければならない(当時、会社貸与のクルマ・・・カンパニーカーは企業上層部のエリートだけのものでした)し、アパート探しも一人で行けないし、なにしろ当時の日本円の給料をドルで換算した給料は現地人社員のレベルとはかけ離れたものでした。つまり、まったく戦力にならない若造にアメリカ現法は相当な費用をかけなくてはならない、クビにもできない、送り返すこともできない、という状況です。

で、送り込まれた当人はと言うと、ゴルフを始めようとか、マンハッタンに飲みに行こうとか、太平楽なものです。5番街に行けばブランドショップには日本からの女子大生が闊歩しブランドものを買いあさる一方で、日本では大企業の工場長が円高を苦に飛び降り自殺したりしたころです。アメリカに引っ越した私にとってはスーパーで買い物しても何でも安い。ゴルフのプレイフィーもステーキも韓国料理も円換算すればおそろしく安い。マンハッタンの日本の女の子のいるクラブに行くと、金融機関や商社の駐在員でギュウギュウでした。円高は企業の国際競争力をそぐとかなんとか言いながら円高を享受できていたのです。


・・・あれから34年、ここ数年はアメリカどころかコロナ禍で日本国内にいざるを得ない。そんな中、アメリカ時代に知り合いになった総合商社幹部の方と食事をする機会があり、こんな話を伺いました。「今、駐在しているヤツはかわいそうだよね。昼飯でもマンハッタン島内であれば安くても20ドル。円換算したら気が狂いそうだから弁当持ってくるやつが多いって。田中さんや俺たちがいた頃と違っちゃっているんだよ」

私が永住帰国したのが2009年で、そのときまで「違っちゃっている」とは思わなかったので、ここ10年ちょっとのあいだに日本は相対的に貧しくなったと思わざるを得ません。急激な変化です。

「日本が先進国から脱落する日」(野口悠紀雄 著  プレジデント社刊)に面白い指標が紹介されています。アメリカで買うビッグマックの価格を100としてその国での販売価格がいくらになったか、というもので「ビッグマック指数」と呼ばれる・・・私は不勉強で知りませんでしたが、1986年に考案された経済指標であるとのこと・・・のだそうです。今、日本のビッグマックは390円。アメリカでは5.65ドルだそうで、野口先生がこの本を執筆されていた昨年6月時点の為替レート1ドル=110円で計算すると日本のビッグマック指数は▲37.2(62.8%)。今、アメリカ人が東京に来てビッグマックを買うとメチャクチャ安い!と感じるわけですね。この指数は世界中57カ国で調査されていて昨年6月の時点で日本は31位、日本より上位にはアメリカよりも指数が高いスイス、ノルウェー、スエーデンのほか、アメリカよりは安いが日本よりは高い国として韓国、アルゼンチン、タイ、パキスタン、サウジアラビアがあるんだそうです。パキスタン人さえ日本のビッグマックは安いと感じる!?・・・さらに私がこの原稿を書いている2022年3月のレート(=121円)で計算すると▲43(57.%)です。おそらく中国よりも下位になっているらしい・・・。コロナ前、中国人観光客が大勢「爆買い」に来てくれたのは、日本はおもてなし上手で治安が良くて清潔で・・・以外の理由も見えてきませんか?


私がアメリカ生活を始めたと1988年のビッグマック指数は+25程度だと思われます(※2)ので、34年間で68ポイントも下落したことになります。なるほど、私がアメリカ生活を始めた頃は円高メリットを享受できたわけです。今、問題はビッグマックだけでなく、日本の国としての購買力が円安によって失われてしまったということでしょう。この4月からいろいろなものが値上げされますよね。これは急激な円安と無関係ではありません。ではなぜ円安になってしまったか・・・は次回考えてみることにします。(了)


「日本銀行 時系列統計データ検索サイト」による。

※2  https://www.trgy.co.jp/media/economic/bigmac-shisu の数値を再計算したもの。



老いた電池売りの独白」...フューロジック代表・田中景が、日米で40年近く電池の営業をしてきて思う、電池の現在過去未来、営業とは、国際感覚とは、そして経営とは、、を綴った新連載です。

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