エピソード050 <ダチョウ的>

  ダチョウは、危機が迫ると砂の中に頭を突っ込んで危機が去るのを待つんだそうです。時速60~70Kmで走ることができるのに、逃げずにそういうことをするのは「体のわりに脳が小さくてバカだから」だとか。確かに砂に首を突っ込むと目の前の危機は見えなくはなりますが、 砂から首を出した時にはボディは焼き鳥になっているかもしれないのに、不思議な習性です。

 このことは英語圏でもよく知られているようで、A man like an ostrich(ダチョウなような男)といえば「意図的に無計画なヤツ」「肝心なものをわざと見えない振りをするヤツ」ということになるそうです。あなたの周りにその傾向がある人物、いませんか?・・・ほかにもオーストリッチを使ったいろいろな英語のフレーズがあるようで・・・

 Ostrich Effect(ダチョウ効果)・・・たとえば健康診断で「要診察」ポイントがあるのに奥さんに検診結果を見せないで隠してしまう、とか。

 Ostrich Peace(ダチョウの平和)・・・たとえばウクライナやパレスチナの問題を国会で質疑する立場なのにエッフェル塔で写真を撮ってSNSにあげる、とか。

 Ostrich Policy(ダチョウ主義)・・・事なかれ主義。たとえばきょう結論を出さないといけない喫緊の課題の激しい議論を「まあまあ」となだめて先送りしようとする、とか。

 そんな中で、私たちが特に気を付けなければならないのがOstrich Management(ダチョウ的経営)です。その典型的な例だと言われるのがカメラ用フィルムの最大手メーカーだったコダック(Eastman Kodak Co.)です。


  コダックは1892年設立のアメリカの名門企業ですが、2012年に倒産しました。理由は、1990年代から爆発的にデジタルカメラが普及して、主力製品である銀塩フィルムの販売数が激減したため・・・と一般には理解されています。が、実はもっとずっとダチョウ的だったようで、 まさか・・・と思うかもしれませんが、世界で初めてデジタルカメラを開発したのもコダックだった(1975年)のです。しかし、最大の収益源である「フィルムの売り上げに悪影響を及ぼすから」発売どころか発表もしなかった・・・一方、 そのころコダックに次ぐ世界第2位のフィルムメーカーだった富士写真フイルム(現在の富士フイルム)は、1988年に果敢にも世界初のデジタルカメラを発売し、それまでフィルムから得ていた収益を液晶パネルの保護フィルムや化粧品などの新規開発で補って、脱フィルムの体質を作っていきます。 銀塩フィルムに未来がないことを、この時点ではっきり認識していたのでしょう。それに対してコダックは、デジカメを他社に先駆けて開発しておきながら、砂に頭を突っ込んだのでした。

  そういえばリチウムイオン電池の普及が進み始めたころ、ニカド電池を売り続けたい(とっくに工場の減価償却が終了しているので利潤が大きい)からと電動工具用のリチウムイオン電池に積極的にとりくまず、後発のリチウムイオン専業メーカーに市場を明け渡してしまった電池メーカーもありました。 フィルムやニカドのようなそれまでの優良な収益源にしがみつきたい気持ちは分からないではありませんが、両方の場合に共通して言えるのは、ゲームチェンジ後の主役となるデジカメ・工具用リチウムイオン電池を、その企業自身がすでに確立した技術として持っていたのに・・・ということです。 かじ取りさえ間違えなければ莫大な収益を上げることができたのに、砂に頭を突っ込んでしまったことは「もったいない」という一語ではとても足りません。コダックの場合では、開発した技術職に経営陣が「面白い。だがこのことを誰にも言ってはいけない」と口止めしたとか。


  電池業界では最近「リン酸鉄系リチウムイオン電池」という製品が脚光をあびています。一般的なリチウムイオンと比べると大きくて重いのですが、最大の特長はサイクル寿命・・・何回充電・放電ができるか・・・が長いというものです。 パソコンなどの要求スペックは500サイクル後(500回の充放電のあと)に初期の70%ぐらいの容量が残っていればOKでしたが、このリン酸鉄系は3000サイクルとか5000サイクルとか桁が一つ(中には二つ)違います。 最初に話題になったころは「こんな電池を売ったらリピートオーダーが来る前に自分が死んでしまう」と言って、電池業界が破壊されないために普及を阻止しないと・・・という人がいましたが、これもダチョウ的ですよね。電池が長持ちすることはいいことで、 誰にも望まれていることですから「リピートが来なくなるから取り扱いしない」なんて言っていると、自分だけビジネスのループからはずされてしまいます。電池や電球は、クレームにならないギリギリのところで寿命が来て使えなくなることが「業界としては望ましい」という方もいなくはありませんが、 それでは技術も文明も進化しません。電池の世界はもうリン酸鉄リチウムがなかったころには戻れないのです。


  ところで、ここまで読んでいただいてから申し上げるのも気が引けますが・・・最初からお気づきの方もたくさんおられると思いますが、冒頭の「ダチョウは、危機が迫ると砂の中に頭を突っ込んで危機が去るのを待つ」というのは、実は迷信なんだそうです(!)。 だから「体のわりに脳が小さくてバカだから」というのもそれらしく作られたウソ・・・ダチョウさんたち、本当にごめんなさい。もう金輪際「ダチョウ的」なんて言いませんから許してください。

 じゃあ、「無計画なヤツ」「肝心なものを見えない振りをするヤツ」をこれから何と呼びましょうか?

  かつて銀塩フィルム全盛のころ「決定的瞬間」「最高のシャッターチャンス」をコダック・モーメントと呼んだ時代がありました。これはまさにコダック・モーメントをとらえた1枚である・・・という評価を受けるのはすべてのフォトグラファーのあこがれ・目標でした。 2009年まで私はアメリカに住んでいましたので、カメラ店のショウウィンドウや写真専門誌のグラビアに「The Kodak Moment Award of This Month(今月のコダック・モーメント賞)」のように傑作写真が紹介されていたのをよく覚えています。

  しかし、コダックの倒産を機に、経済学者たちは「破壊的イノベーションの接近に気づきながら対策をとらずに、取り返しがつかなくなったポイント」という意味でコダック・モーメントを使うようになります。「ダチョウ的」を言い換える言葉として有力な候補だと思いませんか。

  将来「今考えると、あの時があの会社のコダック・モーメントだったよなあ」・・・とは言われたくないものです・・・考えるとゾクッとします。 (了)



「老いた電池売りの独白」...フューロジック代表・田中景が、日米で40年近く電池の営業をしてきて思う、電池の現在過去未来、営業とは、国際感覚とは、そして経営とは、、を綴った連載です。

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