エピソード059 <な形容詞>

  「て形(てけい)」という言葉、聞いたことありますか?私も知りませんでしたが、外国人が日本語を勉強するときに教科書の中で使われている文法用語なのだそうです。ほかにも「連濁(れんだく)」「な形容詞・い形容詞」など、外国人に日本語を習得してもらおうとする現場では、私たち日本人が聞いたこともないような言葉が飛び交っているようで・・・

 まず「て形」ですが、動詞の活用の一種で「教えます」「食べます」が「教え(ください)」「食べ(ほしい)」のように変化することとのこと。つまり「ます」をとって「て」をつければいい・・・なのに「行きます」は「行きて」とはならずに「行って」となるから、法則として理解することが難しい。これが日本語学習のごく初期に出てくると聞くと、「これがごく初期?」と聞き返したくなります。隣のコンビニのロンちゃんや居酒屋の謝さんたちもこんな勉強をして日本語を習得してくれたのか。すごいなあ・・・
 そんなため息をついている暇もなく、次は「連濁」ですって・・・サクラやキクは葉桜(ハクラ)や春菊(シュンク)のように頭に何かがにくっつくと「サ」「キ」に濁点がつく。でも冬のツバキはカンツバキで濁点がつかない。麻婆豆腐はドウフだけど麻婆春雨はバルサメにはならない。マツタケやシイタケは濁らないのにマコモダケやキヌガサダケは濁るし・・・「どうしてですか?あなた日本人でしょう?教えてください」と外国人の方に迫られたら、走って逃げたくなるのは私だけではないでしょう。(※1)
 日本に住んでいる外国人の皆さんがこのように日本語と格闘していることを思えば、ちょっとした間違いで笑ったりできません。「きれい」は「な」をつけられるから「な形容詞」で「美しい」はつけられない「い形容詞」・・・外国人に「これ、美しいな花ですね」と言われて、どのぐらいの日本人が「『美しい』は『い形容詞』だから『な』はいらないですよ」とアドバイスできるか・・・多分、限りなくゼロに近いと思います。(※2)

 少子高齢化が進み、日本の人口は激減します。1970年代には200万人以上産まれていた赤ちゃんが昨年は70万人。仮に、今後も出生数70万人がずっと続いて全員100歳まで生きた(あり得ないけど)としても100年後の人口は7000万人。実際はその半分ぐらいになっちゃうでしょうから、経済規模を維持していくには外国人頼りになるしかない。今ですらロンちゃんや謝さんのお世話にならないわけにいかないことを考えると、外国人の方に日本語を学習してもらうことはとても大事。だから外国人に日本語を教える日本語教師という職業があり、北村浩子氏もその一人です。彼女が書いた「日本語教師、外国人に日本語を学ぶ」(小学館)という本を読んで、私は初めて前述の「て形」以下を知ったのですが、読んで改めて、いや初めて日本語教師の大変さと重要さが分かりました。
 でも、何でもかんでも教えればいいというわけでもないようで、きちんとした語彙と言い回しを覚えてもらいたいからこそ教えてはいけない単語もあるといいます。それは「めっちゃ」「超(チョー)」「ヤバい」など。これらはあまり便利過ぎて、覚えてしまうと本来使うべき言葉を習得できなくなるからだそうです。とくに「ヤバい」は肯定にも否定にも使えてしまい、言い手の気持ちがポジティブなのかネガティブなのか分からないことがよくあります。私たち日本人も封印した方がいいかもしれません。

 しかしその一方で、生成AIの進歩で「外国語で話ができる」というのは、人類がどうしても取得しなければならない能力ではなくなったという主張も聞くようになりました。書いたり読んだりはもとより、今ではしゃべったり聞いたりする方もすごい。最新の外国語翻訳機ならA語で話しかければB語で訳を言ってくれるまでコンマ数秒の処理スピードです。なのに、外国人がこのような努力を重ねて日本語を学習するということが、これからも重要であり続けるのでしょうか。
 私は「重要であり続ける」に一票を投じます。だって翻訳機がしてくれる「訳」って言葉だけでしょう?ウソがばれそうでキョトキョトする目の動きや不満そうにとがらせる口、うれしいのに首を振る彼女、いやなのに「もちろん、喜んで!」と言わされる部下・・・ニュアンスです。この点は避けて通れないと思いますから。
  AIがニュアンスを伝えられるか・・・面白い話があります。前述の北村氏の著作「日本語教師・・・」によると、日本語には英語のFワードのような汚い言葉が少ないのだそうで(でも私はその分野ではなかなかの使い手のつもりですが)外国人たちが驚くのは、日本人の口論で相手への非難がシリアスになればなるほど言葉が丁寧になっていくことで、たとえば「あなた、昨日はずいぶん遅くまでお楽しみでよろしかったですねえ」「よく帰りの道順を覚えていらっしゃいましたこと」「どんなごちそうを召し上がったんですか」などとやられること、ありますよね(ない?そりゃ・・・覚えてないだけじゃないですか?)。こっちは「いつまでふらふら飲み歩いてんだよ、このアル中ジジイ」の方が気が楽ですが、それはともかく、AI翻訳機に向かって「あなた、昨日はずいぶん遅くまでお楽しみで・・・」としゃべりかけたら、そのイヤミでネチネチなニュアンスで外国語に訳してくれるのでしょうか。私はかなり難しいと思います・・・(※3)
 それでも、AI翻訳の進化によって「外国語をしゃべる」人間の必要絶対数は少なくなったのかもしれません。苦労して何とか英語を話せるようになった私の願望から申し上げると、極端に需要が減らないでほしいし、だから外国人の方にももっと日本語を学習してもらいたい。さらに日本語教師ももっと増やしてもほしい。そうでないと逆に正しい日本語が失われてしまうのではないか・・・とも思います。今、日本人自身が日本語を大事にしていないように思われてならないからです。

 ところで、同著によると日本語の「複数形」も外国人を惑わす要因のようです。え、複数形?日本語にはそんなのないよね。複数形って日本人が英語を学習するときに苦労するやつじゃないの・・・と思いませんか。意外かもしれませんが、母国語に複数形がキッチリある外国人のほうが、日本語の単複のユルさに戸惑っているのだそうです。例えば彼ら外国人は「公園に猫がいます」と言われると混乱するらしいのです。情景が浮かばないのだと。猫?一匹?たくさん?・・・でも「公園に猫がいます」と言われると、私たち日本人には猫一匹の情景が思い浮かびますよね。だって3匹いたら「猫が3匹・・・」たくさんいたら「猫がたくさん・・・」って日本人は言いますから。そうそう、いい機会ですから外国人の皆さんにちょっと詩的で擬人的な表現を教えてあげましょう。「公園に猫たちが・・・」だと何匹かいることになるんですよ。
 すると外国人があなたに質問します。「猫たち・・・ですか?」そう、日本語の複数形ですね。「たち」とか「ども」を付けると複数になります。英語でいう「s」的な。なるほど、と外国人は深くうなずいてくれるでしょう。あなたもちょっと鼻が高い。でもこういう質問が続きます。「『たち』や『ども』が付くと複数形になる・・・じゃあ『友だちが一人できました』とか『ウチには子どもが一人います』って間違いなんですね。ええとそれから『子どもたち』って・・・?」
 さあ、どうしましょう。もちろん「その質問、ヤッバーい」・・・なんてことは言えません。ロンちゃん、助けて。 (了)


(※1)連濁は日本語の一大テーマのようで、それだけを書いた専門書があるほど複雑な仕組みがあるということです。外国人には甚だ理不尽ですが、各々の単語が連濁するかしないかをまるまる暗記するしかないようです。気が遠くなりますね。

(※2)正式な日本語の文法には「な形容詞」「い形容詞」という品詞はなく、前者を「形容動詞」、後者を「形容詞」としているようです。私見ですが「な形容詞」の方が日本人学習者にも直感的に入ってくると思います。専門教育はともかく、入り口の用語としては日本人にもこちらの方がいいような気がします。

(※3)ChatGPTで実験してみました・・・なかなかいい仕事をして、イヤミやネチネチも上手でした。が、それは「遅くまで飲み歩いて帰宅した夫に対し、妻がイヤミをいうニュアンスで訳してください」とプロンプトしたとき。普通に頼んだら平凡な事務的な翻訳になってしまいました。翻訳機を使う時には「・・・のニュアンスで」などといちいち言っていたら会話の鮮度が落ちてしまうので、現時点では「音声翻訳機には細かいニュアンスは訳せない」でいいと思います。


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