エピソード046 <電話の発明>
「どうして私は電話なんか発明したんだろうね」
電話を発明したグラハム・ベルはこう嘆いたそうです。こちらの都合も考えず突然かかってくる電話への困惑から、ベル自身、自分の書斎に電話を設置することを拒んだとか。本当は、とてもロマンチックな動機で始めた研究・・・最初、彼は耳の不自由な彼の恋人(後に妻となる)と話をする機器を開発しようとしたのです・・・だったのに、巨万の富と引き換えに彼はパンドラの蓋をあけたがごとき非常識人として扱われることになります。曰く「人類は今まで何千年も不便を感じなかったのに、遠くの人と会話ができるようになる必要があったのか?」
ところで、狭き門を突破して念願のテレビ局に入社できた若者が、かなりの割合で1年目に退職してしまうのだそうです。理由はやっぱり電話。彼らは誰からの電話か分からない電話にとりあえず出るという免疫がなく、番組ごとに割り当てられる部屋に置かれたプッシュホンの受話器を取り上げるのが何しろストレス。決死の思いで受話器を耳に当てた瞬間「あのさあ、◯◯いるぅ?いないの?しょうがねえなあ。じゃ言っといてよ・・・」とやられると完全にパニック。メモを取るのも忘れ「あの、◯◯さん、さっきお電話がありまして」「誰から?」「わかんないです」「使えないなあ。学校で何をならってきたの」みたいなことが毎年繰り返されるとか。
この時代、若者は着信相手が表示され、相手の電話番号や通話時間も記録も残るスマホでしか話をしたことがないのです。
彼らの感じるストレスは「甘ったれるんじゃないよ」と言って笑えるようなものではなく、せっかく入った会社(それもあこがれの放送局)を辞める理由にも十分なりうるほどなのです。あきれているだけではダメで、そういう「人」が電話の向こうにいることをわれわれオトナも認識しないといけませんね。
思えば、われわれ年代は電話では鍛えられてきました。
オフィスの電話がダイヤル式からピカピカのプッシュホンに交換された時、※00から※19まで20個の短縮ダイヤル機能がついていて、みんな自席の電話機によくかける電話番号を登録していたのですが(テレビコマーシャルもありました・・・「長い電話番号を覚えなくても、プッシュホンならピッポッパッ」)わが営業部長氏は大反対。部下に短縮ダイヤルの登録を禁止しました。曰く「お前ら、得意先の電話番号ぐらい暗記していなくてどうするんだ?外で公衆電話からかけなきゃいけないとき困るだろう。オレなんか指が覚えているんだぞ」と体育会系指令。上司に逆らえない時代でしたから、せっかくプッシュホンになったのに市外局番からの長―い番号をボールペンのお尻で押していました。だから、よく間違い電話をかけていましたよ。「ピッポッパッ」ならしなくていいミスなのに。
それにしても「電話機に電話番号を覚えさせてはいけない」って、今のスマホ世代から見たら正気の沙汰ではないでしょうね。
電話に鍛えられたと言えば、やはり携帯電話の無い時代、ガールフレンドの家に電話をかけるときのことを思い出さないわけにはいきません。何度も一人でリハーサルをしてからかけるのですが、相手の第一声が男の声だとやはり声が裏返ってしまいます。もしもし、ボ、ボク、タナカアキラと申しますが、○○さん、いら、いらっしゃいますか?
若い皆さんに説明しておきますが、当時電話は廊下とか玄関とか、なにしろ居間でない場所に設置されているのが普通で、それは一応通話内容が家族に聞こえない配慮からそうであったのだと思いますが、日本の住宅のことですから普通に話せば大体が聞こえてしまいます。だから彼女の声は小さくなり「今度の日曜日だけど、会える?」「・・・よ」「え?」「・・・だってば」「今、何て?」「だから・・・」こっちはおふくろに聞かれるのが嫌で公衆電話を使っています。道路っぱただからかなりうるさい。まだるっこしいやり取りが続き、そのうち彼女のお母さんが「いつまで電話しているの?」と言っている声が後ろで聞こえたりして・・・。
でも、そうやってようやくデートにこぎつけたのですから、待ち合わせ場所に彼女が来た時は、それだけでうれしかったものです。時には、来るだろう方向に向いて背伸びして待っていると、いたずらな彼女に背中からワッとやられて飛び上がったりもして、そういうのも、鮮明に覚えています。
で、現代です。LINE一本で目指す相手に直通。お父さんお母さんに聞かれることもありません。彼女が待ち合わせ場所になかなか来なくてもスマホを取り出して「今どこ?」ワクワク感が無いことはなはだしい。私は、これが現代の非婚率増加と関係があるとニラんでいますが考えすぎでしょうか?だって、電話の機能が便利になり過ぎて「愛をささやく」ということが無くなっていますもの。
先日もテレビを見ていたら、若いカップルが並んで海辺で夕焼けを見ていて・・・夕日に照らされた彼がスマホを取り出し操作すると、彼女に「好き」と着信・・・すると彼女が2メートル横の彼に返信・・・「わたしも」
おい、おまえら、しゃべらんかい!!
こうなるとキスのきっかけまで心配になりますが、これなんか発明者が考えもしなかった弊害(?)かもしれません・・・なにはともあれ、電話の発明は文明の飛躍的発展に大きく貢献したことは間違いなく、私ども電池業界も莫大な恩恵を受けました。
しかし、一方で電話に嫌悪感を持つ方もおられます。特殊詐欺の被害者の方などは「電話というものさえ無ければ」と思うでしょう。正しく使ってこその大発明なのですが。
ただ、電話害悪論は今に始まったことではなく、発明からたった16年後の1890年にはマーク・トウェインが新聞社に「クリスマスに何を願うか」と問われてこう答えています。
「クリスマスの私の願いと望みは、みんながいずれ天国に集い、永遠の安らぎと平和と至福を手にすることである。ただし、電話の発明者をのぞいて」
まだ存命だったグラハム・ベルは何を思ったでしょうか。(了)
「老いた電池売りの独白」...フューロジック代表・田中景が、日米で40年近く電池の営業をしてきて思う、電池の現在過去未来、営業とは、国際感覚とは、そして経営とは、、を綴った連載です。
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