エピソード058 <河川敷のグラウンド>

 イチロー、松井秀喜、大谷翔平、吉田正尚・・・以上は日米両方のプロ野球で活躍した(している)日本人の野手の一部です。彼ら全員に共通する身体機能的な特徴があるのですが、お分かりになりますか?

 答えは「右投げ左打ち」・・・右手で投げるけど左打席に入って(つまり右肩を投手に向ける)打つ。人間、右利きの場合は右手主導の方が動きやすいので、普通にしていればほとんどが自然に「右投げ右打ち」に育ってしまうものですが、今までメジャーリーグに行った日本人野手18人のうちなんと11人が「右投げ左打ち」(※1)。日本人の「左利き率」は約1割といわれているので、これだけ多くの選手がすべて「右投げ左打ち」であることは、おそらく偶然ではありません。少年期に、おそらく自分(あるいは指導者)の意思で故意に左打ちにしたのだと思います。それはなぜなのでしょうか。
 野球は、面白く不公平なスポーツで、右投げなら9つのポジションすべてが問題なく守れますが、左投げだと捕手・二塁・三塁・遊撃の4つのポジションは、原則守ることができません(※2)。つまり右投げの選手の方がレギュラーポジションを獲得しやすいのです。ですから「投げる」方に関しては持って生まれた右投げを修正する必要はありません。
 しかし「打つ」方は左打ちの方がいろんな理由で断然有利。まず、投手は右投げが多いので、左打席からだと右投手のボールの軌道がよく見えます。また、右打席よりも一塁までの距離が一歩半近いし、スイングした後自然に体が一塁に向くので、走りながら打つ(イチローが得意でした)こともできます。つまり「右投げ左打ち」であれば攻守両方でアドバンテージがあるのです。
 思えば、私が子供のころは「右投げ左打ち」の選手はジャイアンツの森昌彦ぐらいで、非常に珍しい存在でした。大打者を例にとると長嶋茂雄も野村克也も「右投げ右打ち」、王貞治や張本勲は「左投げ左打ち」です。近年、急に「右投げ左打ち」が増殖した理由として考えられるのは、 2001年からメジャーで大活躍したイチローの影響でしょう。当時のイチローの圧倒的な活躍ぶりを見ていたら、自分も左打ちに変えてあの舞台に行きたい・・・と考える野球少年が、2000年代前半、日本中にいたことは想像に難くありません。その頃に少年期を送ったのが大谷翔平であり、吉田正尚なのです。

 ところが今、日本のプロ野球では左打ちの野手が多くなり過ぎました。大学や社会人で活躍しても、左打ちの選手はちょっとやそっとの成績だとドラフトで指名されなくなってしまったほどです。左打ち選手は供給過剰状態なのです。
 たとえば、わがベイスターズの野手を見ても「右投げ右打ち」は13人に対して「右投げ左打ち」は14人。そのほかに「左投げ左打ち」が2人いますので左打ちの方が3人も多い。左打者は右投手に対して有利であることは前述しましたが、逆の見方をすると「右投手を苦にしない右打者」はかなりの割合で存在しますが、不思議なことに「左投手を苦にしない左打者」は非常に少ない。
 一方で、左ピッチャーはかなり増えています。日本人の左利き率10%に対して、ベイスターズでは35人のピッチャーの中で左投げは7人でピッタリ20%。ジャイアンツにいたっては31人中12人で39%もいます。ぐんぐん増えた左打ちの野手対策として、各チームとも左投手を積極的に指名・獲得してきたのでしょう。
 この結果、プロのスカウトは左のアマチュア好打者を見ても「いい選手だけど、ウチには左はもういらないからなあ」と嘆くことが多くなったそうです。現実に昨年のドラフト会議では立正大の飯山、大阪経大の柴崎、立命大の竹内など大学日本代表の中心だった外野手3人が(おそらく左打ちであるという理由で)指名漏れしたことがニュースになりました。この3選手は全員社会人野球のチームに進むことになりましたので、2年後24歳になる年にもう一度ドラフトで指名されるチャンスがありますが、どうでしょうか・・・その時までに右打ちに変えることはしない(できない)でしょうし、その時は2年後輩の選手たちと指名枠を争うことになる。それでなくとも短い選手寿命なのに、2年のハンデは厳しいですよね。

 私はある光景を想像しています・・・夕暮れの河川敷のグラウンド、少年が一人だけ残って、決意したように左打ちで素振りを始めます。最初はぎこちなく、右手が左手の下になるようにバットを握ることもいちいち確認しなければなりませんが、彼の心の中にはイチローや松井秀喜の姿がまぶしく輝いています。ボクもいつの日か・・・。そして、数日、数週間、数か月後、チームメートが投げてくれたボールにバットが当たるようになり、やがてショートの頭上に鋭い打球が飛ぶようになります。そしてついに一二塁間をきれいに破るようになり、彼はチームの中心メンバーとなって、栄光の時間が始まります。地元中学、高校では「貴重」な左打ちの打者として活躍し、やがてスポーツ推薦で有名大学に進学・・・しかし、そこには全国から集まった右投げ左打ちの選手がすでに大勢いて、左打ちは全然「貴重」ではなくなっていました。まして相手投手が左投げだと出番がなくなり・・・そしてドラフト会議、右打ちのスラッガーが上位で指名される中、自分の名前は呼ばれない・・・15年前の、あの夕方の河川敷のグラウンドでの決意とその後の努力。あれは何だったのだろうか。頑張って左打ちに改造しないで右打ちのままだったら・・・

 15年後の「需要と供給」を考えて行動していたら・・・というのは、小学生だった彼に求めるのは酷でしょう。それに、彼が右打者だったとしても指名されていたかどうか分からない。しかし、彼の心には漠然とした後悔が残っているかもしれません。
 今、私たちがベターだと思って下している決断。それが15年後どのように評価されているか。そんなことを考えてみるのも悪くないかもしれません。本当に再生可能エネルギーの方が環境負荷が小さいのか。多くのEVを走らせることに負の側面はないのか。トランプタリフを恐れて中国から生産拠点を移すのは是か非か。15年後、私たちはどんな思いで「河川敷のグラウンド」を振り返ることになるのでしょう。今、それを考える私たちは、あの時の少年よりも判断材料をもっていそうです。さあ、どんな練習を始めましょうか。 (了)


(※1)ここでは大谷翔平も野手としてカウント。「右投げ左打ち」は文頭に挙げた4人の他に青木宣親、福留孝介、筒香嘉智、田中賢介、秋山祥吾、岩村明憲、川崎宗則の計11人。「右投げ右打ち」は井口資仁、城島健司、新庄剛志、田口壮、中村紀洋の5人だけ。松井稼頭央と西岡剛は「右投げ両打ち」。左投げの野手は一人もいない。

(※2)ルール的には当該4ポジションに左投げ選手を配置できないことにはなっていない。しかし捕手の場合、左投げ(つまり右ミット)だとタッチプレーが逆になり、内野手の場合は一塁送球の時に投げにくいので、一瞬を争う競技の性質上、配置されることは非常に少ない。

 ★ 文中、各選手の敬称は略しました。

 ★ NPBチーム内の選手数は2月28日現在の支配下登録選手のみ。


★★★ 本連載をまとめた書籍『デンチンカン主義』が、11月15日に文芸社より出版されました! ★★★

・・・取扱書店・・・

  • オンライン
    AmazonUNEXT楽天koboDMMブックスBOOK WALKER・・・
  • 書店店舗
    紀伊国屋書店(新宿本店)、三省堂書店(池袋本店)、文教堂書店(中野坂上店)、丸善(日本橋店)、書泉芳林堂書店(高田馬場店)・・・他 全国の110の書店

電子書籍版も近日販売予定!(kindle、Google Play ブックス、UNEXT、楽天kobo・・・他)



「老いた電池売りの独白」...フューロジック代表・田中景が、日米で40年近く電池の営業をしてきて思う、電池の現在過去未来、営業とは、国際感覚とは、そして経営とは、、を綴った連載です。

★★★ 最新エピソードがメールで届きます。登録フォームはこちら ★★★

コメント

このブログの人気の投稿

エピソード054 <ペン著>

エピソード055 <昭和デンキ屋ドタバタ年末年始>

エピソード050 <ダチョウ的>