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エピソード033 <日本語バイリンガルの皆さんへ>

弊社とお取引のある企業で日本語を話してくださる日本人以外の皆さん、いつも大変お世話になっています。皆さんのおかげでコミュニケーションがとれ、毎日ビジネスをさせていただくことができます。本当に助かっています。 ありがとうございます。 今号をこのタイトルで書こうと思ったとき、冒頭は上記の文章にしようと決めていました。ビジネスのコミュニケーションをささえるバイリンガルの皆さんは、このように感謝されることが非常に少ないと思ったからです。 私はアメリカに住んでいたので、英語が話せないと生活できませんでした。だから感謝されるような立場ではありません。しかし、母国に住みながら日本語を勉強して読み書き会話をしてくれる日本語バイリンガルの皆さんの努力は、私の場合とは比較になりません。 日本語を使わなくても生活できる環境にいながら日本語を勉強されている。なかには日本に来たこともない方もおられる。それでも日本人と日本語で話をしたいと思っていただけるのは、とてもありがたいことだと私は思います。 ところで、アメリカ時代、私のアメリカ人上司はよくこんなジョークを言っていました。 「二カ国語を話す人を何と呼びますか?」 「Bilingual(バイリンガル)」 「その通り。では3カ国語を話す人は? 」 「Trilingual(トライリンガル)」 「ご名答。では1カ国語しか話さない人は? 」 「・・・Monolingual(モノリンガル)かなぁ」 「正解は・・・American(アメリカ人)」 アメリカ人に他国語を話す人が少ないことを皮肉る自虐的なジョークです。 ですが、 私はこの上司を含めて周囲のアメリカ人にはとても助けられました。私の英語の間違いを遠慮無く直してくれたからです。これは、私の英語の師匠だった専務(日本人)が私をアメリカに連れて行き、最初に会社のアメリカ人たちに紹介したときに「どんな些細な間違いでも指摘してやって欲しい」旨を言ってくれたからです 。 だから周囲のアメリカ人が頻繁に「You would better say・・・(・・・と言った方がいいよ)」と教えてくれました。ただし、そのあと「Don’t ask me why.(なぜかは聞かないでね)」と付け加えることが多かったことも思い出します。そうですよね、なんとなく感覚でおかしいと思っても、それがなぜかを文法的に説明するのは難し

エピソード032 <Show me the picture>

 私どもも年に何回かは展示会にブースを出して出展するのですが、その際、お客様から大事なポイントを聞き逃さないために「ヒアリングシート」とか「お引き合いシート」と呼ばれるフォームを、弊社の担当者が記入するようにしています。 電圧は○ボルトで容量は○ミリアンペアアワーで充電電流は○アンペアで放電電流は・・・という質問項目が20ほどあり、その穴埋めが用紙の3分の2ぐらいで、残りの3分の1は「特記事項」という白紙部分です。大きな展示会であれば、 記入済みのヒアリングシートは何百枚か集まりますが、「特記事項」が記入されたものはほんの一握り。ほとんどのフォームに書かれた文字は穴埋めの数字ばかりで文章は皆無、まあ味気ない紙の束です。ですから、後日の営業会議で記入済みのフォームを検討する際には、 その企業の規模とか引き合い数量の大きさだけが焦点になり、その製品がとのような魅力・市場性を持っているのかは、なかなか伝わってこない・・・ アメリカ時代、私の上司だったアメリカ人は、接待とプレゼント攻勢で構築した人間関係を駆使してビジネスをするアナログ型の人で(正直、苦手でした! )私が電池のスペックに関して説明しようとすると、たびたびこう言って遮るのでした。 Don’t give me boring numbers. Show me the picture. 「つまらない数字の話をするな。絵をみせてくれ」・・・彼にとって何ボルト何アンペアは単に数字の羅列に過ぎず、そんなものよりその製品は誰が使うのか、どう使うのか、そして、果たして売れる商品になるのかが問題でした。私は「基本的なスペックの数字をロクに理解しないで、 市場性もクソもあるか」と内心笑っていました。が、時を経て自分が会社を経営する身になってみると「売れるか、売れないか」は決定的であることに気づかないわけにはいきません。スペック的にいい製品ができても、売れなければ何にもならない。電池屋は部品屋ですから、採用していただいた製品が売れないと失敗です 。 電池が少々売れても、製品が売れてリピートされなければダメなんです。 10年ほど前、展示会の弊社のブースの打ち合わせテーブルで「ヒアリングシート」を一生懸命に記入しているスーツ姿の初老の男性がいました。通常、シートは弊社の担当者が書くのですが、 面識の無い中間商社の方が商談されていることも

エピソード031 <10人の議論より・・・>

皆さん、「熟考」していますか? 私は最近、「熟考」どころか「考える」ことも激減していることに気づきました。30代40代の頃は、朝、自分のデスクに座るとその日の段取りを「考え」て、自分で優先順位をつけてから仕事をしていたと思います。電車に乗っても、ラーメンを注文して待っているときも何かを「考え」ていました。「熟考」ができていいアイディアを思いついたこともあったと思います。 でも、最近はすっかり考えなくなってしまいました。朝出勤してきて「メールチェックして返信して」、お客さんがいらしてお帰りになって「メールチェックして返信して」、ランチに行って戻ってきて、WEB 会議を終えて、部下と打ち合わせをして「メールチェックして返信して」・・・来たメールに順番に返信して、聞かれたことをしかるべき相手に質問して、そうして時間が過ぎていきます。メールが作業(仕事とも言えない)の起点になっていて、メールが来ないとボーッとしてしまう。小一時間の打ち合わせから戻って「わ、もう20通もメールが入っている」と悲鳴を上げながら実は喜んで返信をしています。次に何をするのかを自分で「考え」なくてもいいのでうれしいのです。  思えば、ムカシは生活の端々に隙間時間があって「考え」ることができました。今はこの隙間時間にスマホが入りこんできて、みんな隙間時間を感じなくなっています。電車に乗ったらまずスマホ。ラーメンを注文して待っているときもスマホ。食べながら画面にスープを飛ばさないように気をつけながら、それでもまだスマホをしまおうとはしません。 会議でもスマホは手放せません。電池の世界では頻繁に新しい用語が出てきます。「電動ペデスタル」「バーチカルAGV」・・・すぐスマホで検索。「それ、何ですか」と聞く人はいません。私がスマホをズボンのポケットからゴソゴソ引っ張り出している間に「あ、これかぁ」とあちこちから声があがります。どんなものかを想像したり単語の意味から「考え」ることは誰もしません。スマホは、デジカメと電卓と腕時計と、公衆電話と地図帳とさまざまな辞書と、ウォークマンと文庫本と週刊誌と新聞とお化粧用のコンパクト鏡その他を存亡の危機に追いやっただけではなく、人間から隙間時間と想像力を奪ってしまったようです。  でも、人間がその気になって「考え」ようとすれば、スマホがあろうと無かろうと、いつでもどこでも「考

エピソード030  <深くて暗い河>

「黒の舟歌」という歌謡曲がありました。いろんな歌手が歌いましたが、私はサングラスがトレードマークだった小説家の野坂昭如バージョンが印象に残っています。 歌い出しが「♪男と女の間にィは~深ァくて暗い河がある・・・」というドンヨリしたザ・昭和歌謡です。男と女の間の「深くて暗い河」・・・トシはとりましたが、女性になったことはありませんから女性にはミステリアスな部分は確かに感じます。でも、他にも分かりあいにくい「深くて暗い河」を感じること、 皆さんにはありませんか? ~~   たばこを吸う人と吸わない人の間の「深くて暗い河」~~ 私はこの「河」の両側を何度も往復しました。トーマス・マンは「禁煙なら1万回はしている。一度や二度の禁煙を自慢するな」と言ったそうですが、私も10回ほど失敗して、結局は禁煙治療をして(薬を飲んで)、 13年前ようやく恒久的非喫煙者になりました。意思の力だけではどうにもならない根性無しだったのです。 たばこを吸っていた時代は、一日中たばこを吸うチャンスをうかがっていました。会議のトイレ休憩とか、ちょっとコンビニに行くときとか。喫煙所があればかなり急いでいるときでもとにかく一服。 新幹線や飛行機に乗る前は名残惜しくて2本3本。町を歩いていて「今、メールを送ったのですぐに見て」という電話が入ると「シメた!」と喫茶店に飛び込み、まず一服。スターバックスは全店禁煙なので入りません。 これが、やめてしまったら今度はあの匂いが迷惑です。 禁煙治療に頼った根性無しのくせに本当に身勝手ですよね。煙のにおいもそうですが灰皿に残った吸い殻の匂いがもっとダメ。喫茶店はスターバックスしか入りません。寒い喫煙所で襟を立てながらたばこを吸っている人々に対して感じるチッチャーイ優越感。この間まで自分もあの中にいたのに、 あきれたような顔して「やめればいいのに」・・・って自分ながら大きなお世話だと思います。だから居酒屋で隣の席のたばこの煙が流れてきてもできるだけ我慢するようにしています。喫煙者だった時代、周囲はずいぶん我慢してくれていたと思いますから。でも・・・長い旅でした。 もうこの「河」を渡って引き返すことは無いと思います。 ~~   65歳・・・高齢者の「深くて暗い河」~~ 昨年、私もこの「河」を渡り、押しも押されもしない「コーレーシャ」になりました。まず、誕生日の直前に肺炎球

エピソード029 <ニーハオ、台湾!>

  コロナ禍もようやく下火になり、 各国の入国制限も緩和されてきました。さあ、 ご無沙汰している台湾の皆さんにお目にかかって、 対面で挨拶をして、 これからの変わらぬご支援をお願いしなければならない。 6月某日、 私は3年半ぶりに台北桃園国際空港に降り立ったのでした。 ニーハオ、台湾、久しぶり!! ・・・最初にぶち当たった感覚は円安。 先行して台湾に出張した部下からは「何でも高くなりました」 とは聞いてはいましたが、 為替レートは2020年1月の公式レート1台湾ドル=3. 6374円が、現在は4.6122円。 円の価値は27パーセントも下がったのですから当たり前ですよね 。私は成田空港で両替をしたのですが、 1台湾ドルは5円以上でした。ですから、 この旅では20台湾ドル=100円と考えることにしました。 到着。桃園空港からMRTと呼ばれる電車に乗り、台北駅へ。・・ ・便利になったものです。昔は台北駅からの交通手段は( スリが多いと悪名高かった)バスが主で、私は当時、 分不相応ながらハイヤーで移動していました。今、 MRTは30分ちょっとで台北まで快適に連れて行ってくれます。 3年半机の引き出しで眠っていた悠遊(ヨーヨー)カード( 台湾のSuica)に残高が残っていたので感覚としてはタダ。 快適な電車を降りて蒸し暑い台北中央駅に到着し、外に出ると・・ ・前回まで、 こっちが恥ずかしくなるほどたくさんあった、 卓球の福原愛さんをイメージキャラクターにした家電品の宣伝ポス ターが一枚もありません。思いがけない大変化です。 そりゃそうだよね、愛ちゃんもこの3年の間に色々あったしね。 そんなこと思いつつ初日はホテルにチェックインのみ。 翌日は「新幹線」で台中市に移動。 乗車前に買った朝食用の海苔巻きは日本のコンビニとほとんど同じ サイズで60ドル。300円かぁ、安くはないよね。 台中では台湾のとある上場企業の幹部と面談。 最初の5分で感じたのは「オレの英語、 錆びちゃったなあ・・・」 会話のスピードに英単語を掘り返す時間がついて行きません。 耳は生きているので「反応」はできるのですが、 ストーリーを語れない。まだるっこしいことおびただしい。 たかだか3年半でも「放置された鉛電池」 のように頭が不活性化してしまっています。それに対して、 コロナ期間中もほぼ毎日欧米のお客さんとW

エピソード028 <マイクロマネージ>

 右手の人差し指と親指で丸を作り、 両方の指のあいだに1ミリぐらい隙間をあけます。 この状態でその微妙に不完全な輪っかを右目の前に持ってきて、 左目はつぶり、その1ミリの隙間を猫背になってのぞき込みます。 このポーズが、 アメリカ人が自分の上司の陰口を言うときの定番で、口では「He (She) micro micro micro manages in everyway」 などとマイクロを3回以上繰り返して言います。「 ウチの上司は細かくて嫌になっちゃうよ」という感じでしょうか。 「細かい」上司が嫌われるのは日本もアメリカも同じですね。 私もこれをずいぶんやられました。A社向け電池パックの生産量、 昨日より200個ほど減っているのはなぜ? などとプロダクションマネージャーに聞くと、最初ぽかんとして、 それから「Let me find it out(調べてみます)」とどこかに行きます。 彼は倉庫で作業中の彼の部下に歩み寄り、 遠目にも分かる例のポーズを作ります。 会話なんか聞こえなくても分かります。 またタナカのマイクロマイクロマネージが始まっちゃったよ。 悪いけど昨日から生産量が減った理由を調べてくれないか・・・ こうして、 無限にタナカのマイクロマイクロが伝播していきます。 私は、 部下にマイクロといわれることは仕方ないと思っていました。 そりゃ中にはイチを言うだけでジュウを察してくれるような部下を 持っている人もいるかもしれないが、 私はそういう幸運に恵まれていないので、 ある程度マイクロにならざるをえない。 こっちよりキミたちの方に問題があるんだからしかたないでしょう 。とは言え、肩をすぼめ、声を裏返してマイクロマイクロ・・・ とやられるのは気持ちのいいものではありません。 時は流れ、日本に帰ってきて起業することになり、 社員を採用するようになったときも私は依然としてマイクロの呪縛 下でした。 細かいことを極力言わず、部下の裁量に任せて、そうそう、 現在地を確認させ、目的地を明確に指示するだけ。 途中の道順は部下に任せればいいのではないか。 そうすればマイクロの陰口をたたかれずにすむのではないか。 ところが、ちょうどこの頃ある方から1 冊の本をプレゼントしていただいたのです。 タイトルは「経営の神は細部に宿る」。 当時テキサス大学の教授をされていた清水勝彦先生の

エピソード027 <ミカちゃんは追わない>

  前にも申し上げましたが、私の人生の目標は「 良い酒飲みになること」です。でも、 良い酒飲みになるための教科書なんてありませんから、 自分の中でいくつかのルールを決めています。例えば「 飲めない人に無理にすすめない」とか「 他人の会話に割り込んでいかない」とか。 経験ありませんか、 見ず知らずのよその人にウンチクを聞かせようとする酔っ払い・・ ・迷惑ですよね。 ・・・この季節、ベイスターズの試合のテレビ放送がある日には、 私は新大久保の行きつけの居酒屋で焼酎片手にテレビ観戦をします 。私は夏でもビールではなく焼酎。おなかにたまらないので。 店の常連には他にもプロ野球好きがいて、 いつもはディープな野球談義ができるのですが、 その日は店がヒマで、 私は一人でテレビ前のテーブル席を独占していました。 そこに3人、常連ではないお客さんが入ってきました。 50がらみのボス的雰囲気の男性と同年代ぐらいの女性、 そして30才ぐらいのモミアゲの長い若者。 全員胸にネームの入った作業服の上下を着ています。 ボスが首からかけたタオルで汗を拭きながら生ビールを3杯注文し て、私の隣のテーブル席に座りました。なんだか、 良い酒飲みのルールに反しそうな危険な匂いがする人物です。 まず、声が大きい。 それでなくともテーブルは1メートルぐらいしか離れていませんか ら、普通に話をしていてもすべて内容が聞こえます。 「・・・で、サンコーシャから注文とれたのかい」とボス。 「いえ、イワイさんと2回飲んだけど、注文、 出してくれないんですよ」とモミアゲ君。 どうもサンコーシャという会社のイワイさんを、 モミアゲ君は2回接待したにも関わらず、 イワイさんはつれないらしい。 私は四球を連発するベイスターズ先発の浜口に舌打ちしながら、 モミアゲ君に少し同情していました。 「あの人は取引先と飲むのが仕事だもん、 そう簡単にはいかないだろう。で、お前、 注文出してくれってちゃんと頼んだの?」 「頼みましたよ。現場でも頼んだし、オオゼキ( 飲み屋の店名らしい)でも」 「オオゼキで?ダメだよ、そんなの。 飲むときゃ飲むだけにしろよ。 飲み屋でそんなこと頼まれたらイワイさんだって酒がうまくないだ ろうよ」 「でも、 そのために飲んでるんだし・・・」 「ダメダメ、 そんなに簡単にミカちゃんエリちゃんは来てくれないの」