エピソード027 <ミカちゃんは追わない>

 前にも申し上げましたが、私の人生の目標は「良い酒飲みになること」です。でも、良い酒飲みになるための教科書なんてありませんから、自分の中でいくつかのルールを決めています。例えば「飲めない人に無理にすすめない」とか「他人の会話に割り込んでいかない」とか。 経験ありませんか、見ず知らずのよその人にウンチクを聞かせようとする酔っ払い・・・迷惑ですよね。


・・・この季節、ベイスターズの試合のテレビ放送がある日には、私は新大久保の行きつけの居酒屋で焼酎片手にテレビ観戦をします。私は夏でもビールではなく焼酎。おなかにたまらないので。 店の常連には他にもプロ野球好きがいて、いつもはディープな野球談義ができるのですが、その日は店がヒマで、私は一人でテレビ前のテーブル席を独占していました。

そこに3人、常連ではないお客さんが入ってきました。50がらみのボス的雰囲気の男性と同年代ぐらいの女性、 そして30才ぐらいのモミアゲの長い若者。全員胸にネームの入った作業服の上下を着ています。ボスが首からかけたタオルで汗を拭きながら生ビールを3杯注文して、私の隣のテーブル席に座りました。なんだか、良い酒飲みのルールに反しそうな危険な匂いがする人物です。まず、声が大きい。 それでなくともテーブルは1メートルぐらいしか離れていませんから、普通に話をしていてもすべて内容が聞こえます。

「・・・で、サンコーシャから注文とれたのかい」とボス。

「いえ、イワイさんと2回飲んだけど、注文、出してくれないんですよ」とモミアゲ君。 どうもサンコーシャという会社のイワイさんを、モミアゲ君は2回接待したにも関わらず、イワイさんはつれないらしい。私は四球を連発するベイスターズ先発の浜口に舌打ちしながら、モミアゲ君に少し同情していました。

「あの人は取引先と飲むのが仕事だもん、そう簡単にはいかないだろう。で、お前、 注文出してくれってちゃんと頼んだの?」

「頼みましたよ。現場でも頼んだし、オオゼキ(飲み屋の店名らしい)でも」

「オオゼキで?ダメだよ、そんなの。飲むときゃ飲むだけにしろよ。飲み屋でそんなこと頼まれたらイワイさんだって酒がうまくないだろうよ」

「でも、 そのために飲んでるんだし・・・」

「ダメダメ、そんなに簡単にミカちゃんエリちゃんは来てくれないの」

「え、なんスか?キャバクラっすか?」

テレビでは浜口がジャイアンツに打ち込まれてワンサイドになりつつあり、 私の興味は野球から急ハンドルでミカちゃんエリちゃんに向かいます。それ、誰?

「バーカ、何で今キャバクラの話なんだよ。違うよ。一回や二回飲んだぐらいで見返り(ミカ・エリ)を期待するのはゲスだって言ってるの。 どこからキャバクラが出てきたんだよ」

「だってミカちゃんとかエリちゃんとかって・・・」

「シャレなんだよ。分かれよ。『見返り』って言うとズバリすぎて生々しいだろう?だからミカちゃんエリちゃんって・・・もう、 何でこんなことまで説明しなくちゃなんねえのかなぁ」

私は思わず吹き出してしまいました。うまいこと言うなあ。

すると黙って座っていた紅一点が私に向き直って「すみません、声が大きくて」と謝ってから、ボスとモミアゲ君に「他のお客さんもいるんだからさ、 あんたたち・・・」とたしなめます。「いえいえ、聞こえちゃったもんですからすみません。でもうまいこと言いますね」ボスもぺこりと頭を下げ「センパイ、すみません。ちょっとこいつに説教しちゃってて。静かにやりますから勘弁してください」

見た目と違って、そんなにタチの悪い酒飲みではないようです。 私も良い酒飲みのオキテを守り、テレビに視線を移しながら軽く敬礼をしました。が、浜口はいよいよ乱調で、ついに齋藤コーチがマウンドに行きボールを取り上げました。交代です。あーあ。

隣の席ではボスが音量を半分にして説教の続きです。「そもそも飲んだ見返りに仕事を出すような世の中じゃないよ、今は。 コンプラとかってあるだろう。でもな、オレはお前にイワイさんと仲良くして欲しいわけよ。だからガッついてミカちゃんのケツ追っかけてないで、イワイさんに、あ、またお前と飲みたいなぁって思ってもらって欲しいのよ。飲みながら『注文出してください』なんて絶対ダメ」

私は、 目はテレビの野球中継を見ながら耳だけで説教を聞いていました。だから表情は分かりませんが、モミアゲ君には説教があまりしっくりきていないようです。

「何だよ、口とんがらせるなよ。分かってくれよ。一杯ごちそうしたらご褒美に注文もらえるって、お前はサザエさんちのカツオか?お使い行ったらお駄賃か? 仕事ってそんなに単純じゃないだろ」ボスの声がまた少し大きくなりかけて、紅一点が私の方をチラチラ気にしているのが分かります。気がついたのか、ボスもちょっと小声になりました。

「お前、な、ゴミが落ちてると拾うでしょ。普通、拾ってゴミ箱に入れるでしょ。そういうときも『ゴミ拾ったんだから、 神様が何かご褒美くれるかもしれない』って、お前、思ってたりしない?エンゼルスの大谷がゴミ拾ってカッコイイのは、何気なーくさりげなーく拾うからでしょ。人は、そういう人とつきあいたいもんなんだよ」

そうか。しかし、私自身はどうだろう。何気なーくさりげなーくゴミを拾えているだろうか? 見返りを求めず、物欲しそうにならずに取引先とお付き合いできているだろうか?

テレビでは、浜口の後に出てきた二線級もカツンカツン打たれ、とうとうゲームセット。隣の席も説教が終わり、名物の豚の麹漬け焼きを3 人ご機嫌で食べていましたが、しばらくして「お姉さん、お会計お願いします」と。 野球が全然面白くないので、私はもうちょっとボスの説教を聞きたかったのですが「明日も早いから」と言い合いながら3人は去って行きました。

・・・と思ったら、突然ボスが帰ってきて、私に「センパイ、ビール飲みますか?」と尋ねたのです。「ごめん、センパイ、オレ声がデカいからうるさかったよね。 野球も負けちゃったし」

なぜかベイスターズの敗戦の責任も取りながら、ボスは再び店から出て行きます。同時に、私の前に生ビールの大ジョッキが届きます。いつの間に注文したんだろう。「ごちそうさん」と大声で追いかけましたが、 ボスは振り返らずにササっと右手を振って小走りにモミアゲ君たちを追いかけていきました。

席に戻ると、テレビではレフトスタンドのジャイアンツファンが「闘魂こぉめぇてぇー」と気持ち良さそうに歌っています。私は良い酒飲みのルールを一項目追加していました。

ミカちゃんは追わない。 ミカちゃんのために何かをしない。飲み屋でも、普段も。

「おー、おー、ジャーイアンツ・・・」気がつけば私も釣り込まれて敵の応援歌を口ずさんでいました。そして、普段は飲まないビールを美味しくいただきました。(了)



「老いた電池売りの独白」...フューロジック代表・田中景が、日米で40年近く電池の営業をしてきて思う、電池の現在過去未来、営業とは、国際感覚とは、そして経営とは、、を綴った新連載です。


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