投稿

エピソード014 <ぬかみそ>

突然ですが、皆さんはぬか漬けを召し上がりますか? 都会に住んでいると家にぬか床がある家は少ないと思いますが、 好きな方は好きですよね。 これからの季節「アンド日本酒」でいただくのは最高です。 古典落語の「酢豆腐」の前半に、 町内の若いもんの一人が寄り合いで、 ぬか床からぬか漬けを取り出してくれと集まった若者たちに頼む下 りがあります。 頼まれた方は「 ぬかみそかき回すなんざぁいい若えもんのやることじゃねえや」 とか「親の遺言でそれだけは勘弁してくれ」 とか言ってだれもやろうとしません。 江戸時代のお話ですからゴム手袋もありませんし、 爪の間に入ったぬかみそはしばらくクサかったでしょうから「 町内の女の子にモテねえや」てなことになったのでしょう。でも、 それでもぬか漬けは食べたい。 どうにかして誰かに取り出させようとするところにこの話のおかし さがあります。 ぬか漬けはぬか床を毎日かき回してやらないと腐ってしまう面倒く さいやつでもあります。 おいしいぬか漬けが食卓に出てくるためには、 誰かが毎日手を突っ込んで手入れをしているわけで、 袋詰めでない本物をいただくときはそういうご苦労に感謝しないと いけませんね。 最近知り合った老舗のうなぎ屋さんに聞いたのですが、 店に来たらまずぬか床をかき回すのだそうです。 うなぎは調理に時間がかかる。 お待たせの間をつないでもらうぬか漬けはとても大切。 お盆や正月などの休みにはぬか当番がそのためだけに出勤して世話 を焼く。ですから、 うなぎが到着する前の一皿は心していただかないといけません。 閑話休題、このトシになると、 かつての仕事仲間もどんどん周りからいなくなります。 完全リタイアして田舎暮らししたり、どこかの顧問になったり、 ときには亡くなってしまったり・・・ ですから油断していると連絡が取れる知り合いが日に日に減ってい きます。若い方だって転職されたり、部署を異動になったり、 起業して独立されたり・・・ 何かを頼みたくなって電話やメールをしたらその方はもうその会社 にはいなかった、と言う経験、ありませんか? その人にでなければ頼めないことがあって、 思わず天を仰いだ方もいると思います。 私も何度も痛恨を味わいました。 だから最近、私は誰かと疎遠になりかけると焦ります。 ネットや新聞でちょうどいい話題を見つけられると喜んで「

エピソード013 <社長と呼ばないで>

20年ほど前のITバブルの頃、 立て続けに台湾に行く用事があり、 そのたびにアテンドしていただいた現地企業の社長さんに毎晩のよ うにおもてなししていただきました。そして3回に1回ぐらい「 二軒目」ということになり、 女性がいるお店でカラオケをしたりするのですが、 彼のなじみの店に着く前に違うお店の看板の後ろから客引きが現れ ます。 「シャチョー、こっちよ。カラオケ、こっち。 若い女の子たくさんいるよ!」 このころ私は「社長」ではなく、 アテンドしてくれている台湾人の彼の方こそれっきとした社長さん なのですが、客引きは私の腰に手を回して「シャチョー」 を連発します。決まりが悪いことおびただしい。 汗たらたらで脱出すると本物の社長さんの彼が「台湾の飲み屋、 日本人、シャチョーと呼ばれるとうれしいと思っているから」 とニコニコしています。 シャチョーと呼ばれるのはステータスなんだだなぁ、 とそのとき初めて思いました。 が、時が流れ、本当に社長になったら、 社長と呼ばれることはそんなにうれしくもありません。もっとも、 創業以来、社員にも「田中さん」 と呼ぶように頼んでいますので私のことを社長と呼ぶ方はもっぱら 金融機関の方ぐらいです。 肩書きで人を呼ばないのは私のサラリーマン時代の上司の教えです 。あるときある方と名刺交換する。その方の肩書きが分かる。 肩書きで呼び始める。次回会うときには名刺交換しない。 だからその方が以前の肩書きかどうか確認できない。 なのに以前いただいた名刺の肩書きで呼ぶ。 ということは時に大変失礼なことになるかもしれない。「 なるほど、そうですね、課長が部長になっていたら失礼ですよね! 」と相槌を打つと、こう諭されました。「逆だよ、田中君。 部長だった人が無役になっていた方が深刻だよ」 ただ、 初めてお目にかかって相手との距離感がつかめないうちは肩書きで お呼びするのが無難ですね。 中には肩書きで呼ばれることの方がしっくりする方もおられると思 います。ここで難しいのは、呼びにくい肩書きです。 ナントカ代理、主査、主幹、理事補・・・ 若いときに部長心得という肩書きの方とお目にかかって、 どうお呼びしていいのかモダエた思い出があります。 あれって未だにどんなお立場の方か分かりません。 話を「社長」に戻します。 仲良くなった金融機関のご担当者が交代になると

エピソード012 <きょう電池屋でいられること>

以前、ある方に「自分を『電池屋』と言い切れる田中さんがうらやましい」と言われたことがあります。電池屋だから電池屋と言っているだけで、うらやましがられることはないと思っていたのですが、今年の正月、 古い知り合いから年賀状をいただきちょっと考えさせられました。紹介します。 ・・・謹賀新年、ご無沙汰しております。相変わらずのご活躍〇〇様から伺っています。お元気でお過ごしですか。私は株式会社〇〇を昨年無事定年退職し、趣味の麻雀にうつつを抜かす毎日です。 思い返せばCRTの負荷で田中さんにご迷惑をおかけし続けたディスプレイ事業部に在籍していたころが一番楽しかったです。(中略)CRTが突然なくなって以後のサラリーマン人生は、いろいろやらせてもらったのですが、なんだかついでのようでした。 電池をかついだ田中さんとCRTをかついだ私・・・ずいぶん違う人生になったような気がしています・・・(後略) CRTとはCathode Ray Tube・・・平たく言うとブラウン管ですね。チューブというとゴムのクダなどを連想しがちですが、このチューブはガラスの管(かん)のことで、真空管も蛍光管もチューブです。なかでもブラウン管はチューブの花形とも言うべきチューブで、YouTubeもこれに由来(かつてテレビをTubeと呼んだ。 三角ボタンのロゴもブラウン管テレビの形から)しているそうです。それほど隆盛を誇ったCRTは2000年以降急激にLCD(液晶)パネルに置き換わってしまい、今ではブラウン管のテレビが現役で映っているところなど見られなくなりました。が、昭和の時代のテレビはすべてブラウン管でしたし、 何なら我が家は私が中学生まで白黒でした。 私に年賀状をくれた方は大手電機メーカーの技術職で、入社してからCRT一筋、社内の生き字引のような方でした。みんながこの方にいろいろな質問をするために集まってくるので、当時ご自分のことを「ブラウン管の人気者」と言い、 私は結構笑わせてもらいました。そのころテレビによく出る俳優や歌手を、そう呼ぶことがあったのです。そのCRTはあっという間に絶滅に近い状態となり、彼の知識やノウハウはほぼ使い道が無くなりました。会社は彼を別の部署で定年まで働かせてくれたようですが、 年賀状の文面だとあまり充実はしていなかったようです。かたや私は38年の長きに渡り電池に携わり続けている。

エピソード011 <どうせ・一応・ふつう>

  お察しの通り、 今回のタイトルの3語は私ができるだけ使わないようにしている言 葉です。 この3語が会話の中で使われると私はちょっと身構えてしまいます 。使いたくない程度を私なりに順番にすると「どうせ」>「一応」 >「ふつう」でしょうか。なかでも「どうせ」 はできるだけゼロにしたいと思っています。 どうせ一生懸命やっても・・・ という言い方をするとすべての努力を事前に否定することができま すよね。まさに悪い意味で魔法の言葉です。 私も何度妻にダイエットの決意をこの言葉で踏みにじられたことか (笑)。 それはともかく、 精神科医の和田秀樹先生は東洋経済オンライン( 2022年7月14日)で「 国政選挙のたびに投票率の低さが話題になるのは、多くの人が『 誰が議員になっても、どうせ世の中なんて変わらない』 と最初から諦めて、投票に行かないからです」と、 どうせ感が蔓延する日本に警鐘を鳴らします。 どうせ感が蔓延する日本・・・ という言い回しが妙に腑に落ちてしまうところが本当に怖いところ かも知れませんね。研究者が「どうせこんな研究をしても」 技術者が「どうせこんな開発をしても」 なんて思ったら日本経済はどうなるか。 政治家が「どうせ政策なんか考えても票にならないし」 なんて思っていたら・・・ 「一応」の方は「どうせ」よりも不快感は低いですし、私自身( 気をつけて)使うこともありますが、 問題はこれが口癖になっている人ですよね。 立場的に注意できる人には僭越ながら注意させてもらうこともあり ました。 ようするにYesかNoかを断言したくないからニュアンスを薄め ることばなのでしょう。もともとは、あとで反論があった時に「 だから『一応』と言ったでしょう」 と言えるようにしておく布石だったのかもしれませんが、 口癖になっているともう支離滅裂です。 損害保険の代理店の方にこの口癖があった時には閉口しました。 こういう場合は保険で一応カバーされますが、 こういう場合カバーは一応されません。 そういう規約に一応なっていますので。 でも御社にとって一応有用な保険商品に一応なっています。・・・ んんん、一応カバーされるって、つまり・・・? 「ふつう」は使わないわけにはいかない言葉ですので、 ある時まで私もそれこそふつうに使っていました。 ところがあるときある企業の会議に出席していて、

エピソード010 <イチモクノアミ>        

  20代の前半のころ、電気店の店員をしていました。 その地域では一番大きな家電量販店でしたが、店長( 50代前半ぐらいだったかなあ) はマメに売り場をチェックする方で、 展示している商品にプライスカード(値札) がついていないと頻繁に担当者を呼んで口やかましく注意をします 。私たちは陰で「プライス店長」とささやきあっていましたが、 この方がよく使うフレーズが「イチモクノアミ」でした。 同じトースターでも、赤・白・黒の3種類を展示する。 圧倒的売れ筋が白であっても3色すべて展示する。 お客さんに選択肢を持っていただかないとダメ。「なあ、田中君、 イチモクノアミだよ」。春、エアコンの集中販売をする。 店長先頭に団地にチラシを撒きに行く。 すべてのドアにチラシを入れる。 でももうエアコンがついているお宅もありますが、 と言うと「イチモクノアミ。 ほかのお宅を紹介していただけるかもしれないだろう。 効率ばかり考えてもダメなんだよ」  一目の羅は鳥を獲ず  (いちもくのあみはとりをえず) 店長室にはこう書かれた額(フリガナはない)が掲げられてあり、 プライス店長の座右の銘だったのですが、 浅学な私はこれがイチモクノアミの正体であることがしばらく分か りませんでした。ヒトメノラハトリヲカクズ? 「一目の・・・」 は中国の古典思想書に出てくる言葉なのだそうです。 大きなアミを使って鳥を取ろうとすると、 いつもきまって同じ部分に鳥がかかる。 だからと言ってその部分だけに一目しかないアミをかけることはで きない(そもそも一目しかなければアミともいえない)。 まったく鳥がかからないたくさんの目があってこそ初めてアミであ り、そうだから鳥がかかるのである。 だからまったく鳥のかからない目を否定してはいけない。 労力を惜しまず努力しなさい。 一つの成功は多くの非成功に支えられている・・・ という意味だと私は思っています。 電気店を辞め、 二次電池の商社に入社、 31歳の時に私はアメリカに駐在することになり、 渡米前に英語の特訓を受けました。 先生は貿易部のトップで当時もう70歳に近かった専務でした。 この方は大戦後に進駐軍でアルバイトして英語を身につけたという たたき上げで、発音も文法もスゴイ方でしたが、 何より驚かされたのは語彙力・・・ボキャブラリーでした。 アメリカ人と話をしていて、

エピソード009 <バイリンガル>      

Osewaninarimasu. sennjitunoutiawasenikannsite までタイプして、 チッと舌打ちをして入力モードを日本語に変更し「 お世話になります。先日の打ち合わせに関して・・・」 とタイプし直します。これが一日に何度も起きることがあります。 度量の小さい私はこういうとき「 日本語だけタイプしている人たちには起きないことが、 オレには一日何度も起きる」とムカつきます。 英語でメールを送った後に日本語のメールをタイプするときには7 0%ぐらいの確率でこれが起きるので、 この作業のために生涯通算どのぐらいの時間を無駄にしたのかなど とくだらないことを考えてクサっています。 私にとってバイリンガルというのはアドバンテージのはずで、 20代のころは憧れの存在でした。 それがアメリカに駐在することになり、 何年かかかって一応バイリンガルと名乗れるところまできたとき、 日本語しか話さない当時勤務していた企業の社長に「おい、 ミスター○○にこう言ってくれ」 と5分ぐらいエンエンと話をされて・・・当然、 全部を覚えていて訳せるはずはありませんよね。 なんとか要点だけしゃべったら「そんなに短いわけが無い」 と両方に文句を言われて困り果てました。 「通訳」とは特殊に訓練された人たちのことで( 当然資格も持っておられます) OJTでそうなった私らそこらへんの野良バイリンガルとは全然違 います。悲しいかな、 そのように分かってくれている方は非常に少数派で、 大概の場合は途中で遮らないと前述の社長のように覚えられないほ ど一気に話されてしまいます。で、遮ると(誰でも、 話の途中で遮られると嫌なものですが) あからさまに嫌な顔をされることもあります。 なってみたらバイリンガルにはあまりアドバンテージはありません でした。 話は変わります・・・私の場合は日本語が母国語で、 大人になってから英語を覚えたという順番ですが、 逆の順番の人もいます。面白いもので、 こういう人たちとも私は話が合います。 先日も日本語を学んでいるアメリカ人の若者と話をする機会があり 、 新宿駅で小田急線に乗ろうとしたとき駅のアナウンスが「A駅、 B駅、C駅・・・・には 止まりません 」 と言ったので乗りかけていた電車から飛び降りた、 と言うので心から同感しました。 英語の語順だと最初に止まるかど

エピソード008 <接待>              

コロナ禍が長引いて取引先と飲食することがほとんどなくなりましたね。こういう生活に社会が慣れてしまって、コロナが終息しても「接待飲食」は非常に少なくなってしまうのだと思います。人生の目標に「好い酒飲みであること」を標榜する私にとっては大変残念な社会の変化です。 「接待」が死語になってしまわないうちに、まだ生き延びている昭和の営業マンから令和のビジネスを生きるあなたへ。 私のサラリーマン時代の会社オーナー氏は接待について独特の持論がおありの方で、接待費の領収書と決済書類を回すと何回かに一回社長室に呼ばれることがありました。 聞かれるのは「何を言うため」「何を聞くため」の接待だったのか、結果としてそれは「言えたのか」「聞くことができたのか」ということです。うまく答えられないと「それは接待とは言えない。会社のカネで飲み食いしただけだ」と叱責されました。 幸いにして、 私は先輩たちがそのように怒られているのを若手時代から何度も目撃することができたので、上記下線部の社長の傾向をつかんでいました。ですので、私はあまり叱責されることのない珍しい存在だったかも知れません。そればかりか、貴重な経験もさせていただきました。 あるとき、 私の担当している大手顧客から支払方法の変更(ターム延長)の要求があり、会社としては資金繰りの問題からお断りしなければならない、ということがありました。最初は、私が担当としてお断りした(もちろん、資金繰りが苦しいとは言えません)のですが、お客さんも側も簡単に諦めてくれず、では上司と話をさせて欲 しい、 役員と会わせて欲しい、ついには社長とアポを取って欲しいと言うことになりました。社長は「逃げるわけにもいかん。夕方、ウチの会社に来てもらって、その後会食ができるような段取りで設定しろ」と。 当日お客さんがお見えになる時間になると、社長は私を伴って会社の玄関まで出迎え「すみません、 今日はバタバタしていて昼飯を飛ばしてしまいました。腹が減ってどうもならんのでちょっと早いけど食事に行きませんか?」と。驚いているお客さんの前に社長専用のクラウンがすーっと止まります。まあまあ、お話はメシ屋でゆっくり伺いますのでとクルマに押し込んで「田中、場所はメシ屋だが会議だぞ。 きちんとメモ取れよ」とお客さんを安心させます。 一件目は寿司屋、ここでお客さんは何度も本題に入ろうとします