エピソード013 <社長と呼ばないで>

20年ほど前のITバブルの頃、立て続けに台湾に行く用事があり、そのたびにアテンドしていただいた現地企業の社長さんに毎晩のようにおもてなししていただきました。そして3回に1回ぐらい「二軒目」ということになり、 女性がいるお店でカラオケをしたりするのですが、彼のなじみの店に着く前に違うお店の看板の後ろから客引きが現れます。

「シャチョー、こっちよ。カラオケ、こっち。若い女の子たくさんいるよ!」

このころ私は「社長」ではなく、 アテンドしてくれている台湾人の彼の方こそれっきとした社長さんなのですが、客引きは私の腰に手を回して「シャチョー」を連発します。決まりが悪いことおびただしい。汗たらたらで脱出すると本物の社長さんの彼が「台湾の飲み屋、日本人、シャチョーと呼ばれるとうれしいと思っているから」とニコニコしています。 シャチョーと呼ばれるのはステータスなんだだなぁ、とそのとき初めて思いました。

が、時が流れ、本当に社長になったら、社長と呼ばれることはそんなにうれしくもありません。もっとも、創業以来、社員にも「田中さん」と呼ぶように頼んでいますので私のことを社長と呼ぶ方はもっぱら金融機関の方ぐらいです。

肩書きで人を呼ばないのは私のサラリーマン時代の上司の教えです。あるときある方と名刺交換する。その方の肩書きが分かる。肩書きで呼び始める。次回会うときには名刺交換しない。だからその方が以前の肩書きかどうか確認できない。なのに以前いただいた名刺の肩書きで呼ぶ。 ということは時に大変失礼なことになるかもしれない。「なるほど、そうですね、課長が部長になっていたら失礼ですよね!」と相槌を打つと、こう諭されました。「逆だよ、田中君。部長だった人が無役になっていた方が深刻だよ」

ただ、 初めてお目にかかって相手との距離感がつかめないうちは肩書きでお呼びするのが無難ですね。中には肩書きで呼ばれることの方がしっくりする方もおられると思います。ここで難しいのは、呼びにくい肩書きです。ナントカ代理、主査、主幹、理事補・・・若いときに部長心得という肩書きの方とお目にかかって、 どうお呼びしていいのかモダエた思い出があります。あれって未だにどんなお立場の方か分かりません。

話を「社長」に戻します。仲良くなった金融機関のご担当者が交代になるというので、個人的な送別会をしました。席上、 多少アルコールが回った私が「あなたがた金融機関の担当者は僕のことみんな社長って呼ぶのは、実は名前を覚えなくてもいいという生活の知恵なんじゃないの?会う人がほとんど社長さんだしさ」とかねてからの疑問をぶつけると「逆ですよ。支店内の稟議などでは『社長の田中氏』です。 単に「社長」だったら訳が分からなくなりますからね。でも、実際お目にかかってお話しするときは、フツーの社長さんは『社長』と呼ばれる方がうれしいと思うんですが」・・・フツーでなくて悪かったね。フツーでなくなった理由もあるのだよ。

お付き合いで国会議員の新年会に出席したことがありました。 某年1月2日午前11時、都内の大きな神社の催し物会場の3階。私が参加したのは2部制の第1部でした。窓の外はものすごい初詣客で、皆さん参拝後、すごく寒い中、長い列を作ってお守りを買っておられます。それを暖かい室内から見おろしているというだけで申し訳ないのに、 「○○議員新年会」の出席者には、お巫女さんが全種類のお守りをのせたお盆をもってきて注文をとっていってくれます。もちろんタダではないのですが、寒い中列に並ぶことなく、さらに一杯いただきながら・・・とても申し訳なく居心地が悪い思いです。

で、とにかく先生のお話が終わり、 秘書の方などが徳利やビール瓶を持って会場を回ります。当然、私のところにも「社長、いつも大変お世話になっておりまして」と如才なく挨拶にきます。あれ、お世話したことなんかあったっけ、などと言ってはいけません。宴もまだ序盤、皆さんお行儀よくしているのですから。でも・・・最初はおとなしくしていても、 やはりアルコールが回ってくるとイヤミオヤジの習性がアタマをもたげます。

「ねえ、○○さん(秘書の方の名前。見た目30代後半ぐらい)、ここに来ている方はみんな先生の支持者なの?オレ以外は」

「またまた社長、しゃれがきついですって」

「だってさ、 あなたはオレのこと社長、社長って呼んでるけど、オレの名前、知らないでしょう?」

「新宿1丁目のフューロジック株式会社の田中社長」

「お、すごいね。名刺は受付で一枚渡しただけだよね」

「私もプロの議員秘書ですから」

「そういうもんなの? 何かトリックあるんでしょ?」

「ないですよ。強いて言えば、コツは初対面の社長だけお名前を覚えておくんです。以前お目にかかった社長はもうここにインプットされていますから」と自分の頭を指さします。皆さん、日本の議会制民主主義はこの秘書氏の人面記憶力にかかっているのです。

「大変だね。これだけの人数・・・たまにしか会わないのに。たいしたもんだ。それでこれが終わったら夕方の部もあるんでしょう?お昼のアルコールも抜けないうちに。・・・呼び間違えたりしないの?」

「その辺はちょっと工夫があるんです。ここだけの話ですが」

「工夫? 」

「お昼の部の出席者はシャチョーさんだけ。夕方はセンセイだけにしているんです」

そのときは大笑いしましたが・・・こうなるともう「記号」に過ぎませんね。こういうことがあったからときどき思うのです。私を社長と呼ばないで。(了)



老いた電池売りの独白」...フューロジック代表・田中景が、日米で40年近く電池の営業をしてきて思う、電池の現在過去未来、営業とは、国際感覚とは、そして経営とは、、を綴った新連載です。

コメント

このブログの人気の投稿

エピソード037 <電池と巡り合ったころ(前編)>

エピソード039  <MOQ・PSE・EOL・・・>

エピソード040 <バッテリージプシー>