エピソード012 <きょう電池屋でいられること>
以前、ある方に「自分を『電池屋』と言い切れる田中さんがうらやましい」と言われたことがあります。電池屋だから電池屋と言っているだけで、うらやましがられることはないと思っていたのですが、今年の正月、 古い知り合いから年賀状をいただきちょっと考えさせられました。紹介します。
・・・謹賀新年、ご無沙汰しております。相変わらずのご活躍〇〇様から伺っています。お元気でお過ごしですか。私は株式会社〇〇を昨年無事定年退職し、趣味の麻雀にうつつを抜かす毎日です。 思い返せばCRTの負荷で田中さんにご迷惑をおかけし続けたディスプレイ事業部に在籍していたころが一番楽しかったです。(中略)CRTが突然なくなって以後のサラリーマン人生は、いろいろやらせてもらったのですが、なんだかついでのようでした。 電池をかついだ田中さんとCRTをかついだ私・・・ずいぶん違う人生になったような気がしています・・・(後略)
CRTとはCathode Ray Tube・・・平たく言うとブラウン管ですね。チューブというとゴムのクダなどを連想しがちですが、このチューブはガラスの管(かん)のことで、真空管も蛍光管もチューブです。なかでもブラウン管はチューブの花形とも言うべきチューブで、YouTubeもこれに由来(かつてテレビをTubeと呼んだ。 三角ボタンのロゴもブラウン管テレビの形から)しているそうです。それほど隆盛を誇ったCRTは2000年以降急激にLCD(液晶)パネルに置き換わってしまい、今ではブラウン管のテレビが現役で映っているところなど見られなくなりました。が、昭和の時代のテレビはすべてブラウン管でしたし、 何なら我が家は私が中学生まで白黒でした。
私に年賀状をくれた方は大手電機メーカーの技術職で、入社してからCRT一筋、社内の生き字引のような方でした。みんながこの方にいろいろな質問をするために集まってくるので、当時ご自分のことを「ブラウン管の人気者」と言い、 私は結構笑わせてもらいました。そのころテレビによく出る俳優や歌手を、そう呼ぶことがあったのです。そのCRTはあっという間に絶滅に近い状態となり、彼の知識やノウハウはほぼ使い道が無くなりました。会社は彼を別の部署で定年まで働かせてくれたようですが、 年賀状の文面だとあまり充実はしていなかったようです。かたや私は38年の長きに渡り電池に携わり続けている。ありがたいこと、という一言では済まないほどありがたいことです。
ニッカド、ニッケル水素、リチウムイオンと扱うケミストリは移り変わりましたが、 私はずっと電池のそばにいることができました。ところが前述のCRT技術者のように人生の半ばで自分の意思とは関係なく、努力して身に着けた専門知識や経験が役に立たなくなってしまう方も少なくない。私の電気店時代の先輩は転職組でしたが、前職はレコード針の会社に勤務していました。 CDがレコードを駆逐していったスピードは、後年LCDパネルがCRTを絶滅させたスピードに匹敵します。そのCDも今では配信サービスの影で色あせています。私の周りではこんなこともありました。
1996年、アメリカで電池パックの製造をしていた(当時の)我が社に、 日本のプラスチックメーカーの方が訪ねてきてくれました。我が社は彼の会社からプラスチック材料を買っていたのです。訪ねてきてくれた方はそのとき、まだアメリカに駐在して数か月しか経っていないとのことで「田中さん、僕は最短でも10年駐在するアジェンダで赴任してきました。 アメリカでABSプラスチックの工場を拡大して、10年で売り上げを100倍にします」と非常に元気がいい。10年で娘をバイリンガルに育て、自分もゴルフのシングルプレーヤーになる。緻密な計画のもと、 お子さんを現地校に入れ(駐在予定が短い人は日本人学校に入れることが多い)奥様用にローンで新車を買い、長期駐在の準備万全です。すぐに仲良くなり食事やゴルフをご一緒しましたが、それからほんの数か月、がっくり肩を落として「帰国することになりました」とあいさつに見えました。
彼の事業計画の大部分はVHSビデオテープのカセット用のABSプラスチックだったのです。VHSカセットの黒いハコはABSで作られており、アメリカでは1軒に100本以上のVHSカセットがあると言われた時代ですので、その需要規模は莫大なものでした。しかし、 その年に発売されたDVDのメディアはABSプラスチックを全く使いません。彼の会社の予想では、DVDが数年でVHSに置き換わり、結果VHSグレードのABSはその9割の需要を失うだろうというものでした。とはいえ、 当時私たちはまだVHS全盛の中にいましたので「置き換わる」実感は全くありません。子供たちもディズニーやトトロのVHSテープをそれこそすり切れそうになるほど毎日見ています。本当にDVDに置き換わるのか?・・・その答えは、今、皆さんが知っているとおりです。しかしそのときの彼は、 ゲームチェンジを実感しないまま、納得できない表情で帰国していきました。
それからすでに20年以上。私はまだ電池屋を続けられています。繰り返しになりますが、ありがたいことです。が、それが今回のお話の終点ではありません。むしろ、明日、 私たちにCRTやABSに起こったことが起こらないという保証なんてない、ということを言いたかったのです。たとえば「テスラは自動車の部品点数を徹底的にしぼる・・・6万社の下請けを持つトヨタにはできない」(8月9日プレジデントオンライン 竹内一正氏の記事から)のだそうです。イーロン・マスクがいつも正しいとは限りませんが、もしテスラ方式がデファクトになれば、トヨタと6万社は今まで通りというわけにはいかないでしょう。これは私たちには関係ないことでしょうか?きょうも電池屋でいられることはとてもありがたいことですが、 明日はどうか分からない。本当に分からないのです。安住することなく、ゲームチェンジの兆しを見逃さないようにしていきたいものです。(了)
老いた電池売りの独白」...フューロジック代表・田中景が、日米で40年近く電池の営業をしてきて思う、電池の現在過去未来、営業とは、国際感覚とは、そして経営とは、、を綴った新連載です。
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