エピソード010 <イチモクノアミ>        

 20代の前半のころ、電気店の店員をしていました。その地域では一番大きな家電量販店でしたが、店長(50代前半ぐらいだったかなあ)はマメに売り場をチェックする方で、 展示している商品にプライスカード(値札)がついていないと頻繁に担当者を呼んで口やかましく注意をします。私たちは陰で「プライス店長」とささやきあっていましたが、この方がよく使うフレーズが「イチモクノアミ」でした。

同じトースターでも、赤・白・黒の3種類を展示する。 圧倒的売れ筋が白であっても3色すべて展示する。お客さんに選択肢を持っていただかないとダメ。「なあ、田中君、イチモクノアミだよ」。春、エアコンの集中販売をする。店長先頭に団地にチラシを撒きに行く。すべてのドアにチラシを入れる。でももうエアコンがついているお宅もありますが、 と言うと「イチモクノアミ。ほかのお宅を紹介していただけるかもしれないだろう。効率ばかり考えてもダメなんだよ」

 一目の羅は鳥を獲ず  (いちもくのあみはとりをえず)

店長室にはこう書かれた額(フリガナはない)が掲げられてあり、プライス店長の座右の銘だったのですが、浅学な私はこれがイチモクノアミの正体であることがしばらく分かりませんでした。ヒトメノラハトリヲカクズ?

「一目の・・・」は中国の古典思想書に出てくる言葉なのだそうです。大きなアミを使って鳥を取ろうとすると、いつもきまって同じ部分に鳥がかかる。だからと言ってその部分だけに一目しかないアミをかけることはできない(そもそも一目しかなければアミともいえない)。 まったく鳥がかからないたくさんの目があってこそ初めてアミであり、そうだから鳥がかかるのである。だからまったく鳥のかからない目を否定してはいけない。労力を惜しまず努力しなさい。一つの成功は多くの非成功に支えられている・・・という意味だと私は思っています。

電気店を辞め、 二次電池の商社に入社、31歳の時に私はアメリカに駐在することになり、渡米前に英語の特訓を受けました。先生は貿易部のトップで当時もう70歳に近かった専務でした。この方は大戦後に進駐軍でアルバイトして英語を身につけたというたたき上げで、発音も文法もスゴイ方でしたが、 何より驚かされたのは語彙力・・・ボキャブラリーでした。アメリカ人と話をしていて、アジサイ(Hydrangea)やつつじ(Azalea)のような植物名や、酒粕(sake lees)や算盤(abacus)のようなおよそ英単語の存在を疑うようなものまで自然に正確な発音で出てきます。そのあとで「田中君、Azaleaとはつつじのことだよ。よく美容室やケーキ店の名前になっているアゼリアは本当の発音はアゼイリア」と教えてくれました。

「専務、 そんな一生に一回使うかどうか分からない単語ではなく、もっと知っておかなければならない重要な単語を教えてください」と口をとがらせると「そういう単語は普通に生活していりゃ覚える。覚えないとアメリカで生きていけないから。でもこういう単語を覚えておいて実際使えたらうれしいもんだ。試しに、5 分間、 目に入るものは何でも英語で言えるようにしてみなさい。だまされたと思ってやってみなさい。ハイ、スタート!!」

そして単語帳を作る。それを一日一回見返す。英和辞典は真っ黒になるまで使いなさい。でも和英辞典は一日に一回だけ。 英単語が分からなくて和英辞典が使いたくなったら知っているほかの単語を使って説明してごらん。アメリカ人が教えてくれるから。

優しい顔して理不尽だなあ、と思いながら単語帳に書き込んでいきます。たまに専務のチェックが入るのでさぼれません。知らない単語ばかりなので書き込む量も多い。面倒くさい。 そのときふとプライス店長が浮かびました。イチモクノアミ、イチモクノアミ、労力を惜しむな。努力はいつか役に立つ。

  渡米して数か月。イチモクノアミは突然、思わぬ形で現れました。

新型のストロボを売り出したのですが、ニューヨーク州だけ売り上げが極端に悪い。カリフォルニアに次いで購買力のある州なので痛い。なんとかしなければならない。会議で「数万ドルかけて雑誌に広告を出す」雑誌派と「近いんだし、 手分けしてマンハッタンのカメラ店をしらみつぶしに歩いて展示をお願いする」行脚派に分かれて収集がつかなくなり、休憩となりました。当時の私はまだ会議で一言も発言できませんでしたので、会議室に残って議事録を書いていると、 行脚派の女性営業が私にコーヒーの紙コップを持ってきつつ「雑誌派は動きたくないだけなのよ。おカネかけても効果がなかったら無駄じゃない。効果があったかどうかも分からないし(もちろん英語。でも私にわかるようにゆっくりと)」「I think so, too」と私。「そんなに足を使って努力するのが嫌なのかしら」

確かに当時(インターネットがなかった時代)のアメリカ人の営業スタイルはコツコツ形ではなく、効果の測定ができない宣伝に大金をつぎ込む傾向が強かったと思います。この女性のようなタイプは貴重だと思いました。 この人にイチモクノアミを教えてあげたい、と思いましたが、もちろん英語で説明はできません。ホワイトボードに絵を描いて矢印を引いて「Net」とか「Bird」とか書きこんで・・・

会議再開。冒頭、彼女がすっくと立ちあがって「聞いて。 休憩中にミスタータナカが中国の古いことわざを教えてくれたわ。A single mesh net can never catch birds」

イチモクノアミはアメリカでシンプルで説得力あるフレーズになりました。彼女は続けます。「無駄なmeshはないのよ。 会ってオーナーと知り合いになるだけでも意味があるはず」

ちょうど日本から出張に来ていて会議の隅っこにいた専務が「ほう」という口をして私を見ていました。会議は行脚派が圧倒しました。(了)



「老いた電池売りの独白」...フューロジック代表・田中景が、日米で40年近く電池の営業をしてきて思う、電池の現在過去未来、営業とは、国際感覚とは、そして経営とは、、を綴った新連載です。

コメント

このブログの人気の投稿

エピソード037 <電池と巡り合ったころ(前編)>

エピソード029 <ニーハオ、台湾!>

エピソード030  <深くて暗い河>