エピソード011 <どうせ・一応・ふつう>

 お察しの通り、 今回のタイトルの3語は私ができるだけ使わないようにしている言葉です。この3語が会話の中で使われると私はちょっと身構えてしまいます。使いたくない程度を私なりに順番にすると「どうせ」>「一応」>「ふつう」でしょうか。なかでも「どうせ」はできるだけゼロにしたいと思っています。

どうせ一生懸命やっても・・・という言い方をするとすべての努力を事前に否定することができますよね。まさに悪い意味で魔法の言葉です。私も何度妻にダイエットの決意をこの言葉で踏みにじられたことか(笑)。

それはともかく、 精神科医の和田秀樹先生は東洋経済オンライン(2022年7月14日)で「国政選挙のたびに投票率の低さが話題になるのは、多くの人が『誰が議員になっても、どうせ世の中なんて変わらない』と最初から諦めて、投票に行かないからです」と、どうせ感が蔓延する日本に警鐘を鳴らします。 どうせ感が蔓延する日本・・・という言い回しが妙に腑に落ちてしまうところが本当に怖いところかも知れませんね。研究者が「どうせこんな研究をしても」技術者が「どうせこんな開発をしても」なんて思ったら日本経済はどうなるか。 政治家が「どうせ政策なんか考えても票にならないし」なんて思っていたら・・・

「一応」の方は「どうせ」よりも不快感は低いですし、私自身(気をつけて)使うこともありますが、問題はこれが口癖になっている人ですよね。立場的に注意できる人には僭越ながら注意させてもらうこともありました。 ようするにYesかNoかを断言したくないからニュアンスを薄めることばなのでしょう。もともとは、あとで反論があった時に「だから『一応』と言ったでしょう」と言えるようにしておく布石だったのかもしれませんが、口癖になっているともう支離滅裂です。 損害保険の代理店の方にこの口癖があった時には閉口しました。こういう場合は保険で一応カバーされますが、こういう場合カバーは一応されません。そういう規約に一応なっていますので。でも御社にとって一応有用な保険商品に一応なっています。・・・んんん、一応カバーされるって、つまり・・・?

「ふつう」は使わないわけにはいかない言葉ですので、ある時まで私もそれこそふつうに使っていました。ところがあるときある企業の会議に出席していて、そちらの社長がご自分の部下の技術者を激しく叱責する場面を見て「ふつう」の怖さを知りました。こういう流れです。

私どもはその企業に電池(セル)を販売しており、その企業はそのセルを使って製品を作っている。なのでセルの様々なデータを要求されるのですが、セルメーカーには期待通りのデータがそろっていない。その会議では、こちらとしては正直に「申し訳ありませんが」と申しあげるしかありません。 するとこの技術者の方が「そのぐらいのデータはふつうセルメーカーが準備しておくべきではないか」「ウチは特殊な製品をつくっているのではなくふつうの製品をつくっているのだから、ウチの要求は度をこしたものだとは思えない」ときびしく追求してきます。 私も同席していた部下も、持ち帰ってセルメーカーに相談するしか無いと考え始めていました

するとそちらの社長が以下の論点でその技術者を叱責されたのです

  • あなたが言うふつうとはだれにとってのふつうなのか?
  • ふつうセルメーカーが準備しておくべき」とは、他のセルメーカーの実態も把握した上で言っているのか?
  • 「ウチはふつうの製品を作っている」とは、だれが評価してふつうなのか?

彼は続けました。 あなたは、フューロジックを通してセルメーカーから情報を引き出すために、自分をふつうとする根拠の無い基準を作って、必要以上に強い言葉で要求をしている。小学生がよく言う「みんな持ってるから僕にも買って」と同じ理屈で、自分のあいまいな基準を相手に押しつけている。幼稚だ。 私だったら「弊社はこういう製品を作りますので、こういうデータを提供してください」と素直に頼むが。

この日から私の「ふつう」に対する考えが変わりました。また、 自分の価値観や基準を相手に押しつけるという効果という点では「常識的に」や「一般的に」も「ふつう」の同族であることがのちのち分ってきました。

・・・電池の世界は急激な変化の真っ最中です。弊社の主力仕入れ先である老舗セルメーカーさんの「ふつう」は新進メーカーさんの「ふつう」とは相容れません。 老舗は既製品セルの数ヶ月分のローリングフォーキャストを要求し、それに基づき生産し在庫して(彼らにとっては極めてふつうに)ビジネスを進めてきました。一方、新進メーカーには既製品という概念がそもそも無く、オールカスタムメイドで在庫など持ちません。 正式な注文を入れないと「ふつう在庫がある」ことも「通常の次回生産」すらもありません。

お客様の方も、最近になって電池をお使いになることになった企業(ソーラー蓄電とかドローンとか)には従来の電池屋の「ふつう」は通用しません。過剰に放電すると電池が発熱発火する可能性があるから、 ある電流値で回路が放電をストップさせる、などという従来の電池屋の「ふつう」を押しつけるとドローンが落ちてきます。

私たちのビジネスは今、「ふつう」という概念が許されない多種多様な背景の時代・・・diversity・・・に入ったのだと思います。

そんなことを考えていて、 先日得意先の若い方にちょっとしたプレゼントをしたら「わぁ、ふつうに嬉しいです」・・・ん?これは正しい日本語??(了)



「老いた電池売りの独白」...フューロジック代表・田中景が、日米で40年近く電池の営業をしてきて思う、電池の現在過去未来、営業とは、国際感覚とは、そして経営とは、、を綴った新連載です。

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