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エピソード009 <バイリンガル>      

Osewaninarimasu. sennjitunoutiawasenikannsite までタイプして、 チッと舌打ちをして入力モードを日本語に変更し「 お世話になります。先日の打ち合わせに関して・・・」 とタイプし直します。これが一日に何度も起きることがあります。 度量の小さい私はこういうとき「 日本語だけタイプしている人たちには起きないことが、 オレには一日何度も起きる」とムカつきます。 英語でメールを送った後に日本語のメールをタイプするときには7 0%ぐらいの確率でこれが起きるので、 この作業のために生涯通算どのぐらいの時間を無駄にしたのかなど とくだらないことを考えてクサっています。 私にとってバイリンガルというのはアドバンテージのはずで、 20代のころは憧れの存在でした。 それがアメリカに駐在することになり、 何年かかかって一応バイリンガルと名乗れるところまできたとき、 日本語しか話さない当時勤務していた企業の社長に「おい、 ミスター○○にこう言ってくれ」 と5分ぐらいエンエンと話をされて・・・当然、 全部を覚えていて訳せるはずはありませんよね。 なんとか要点だけしゃべったら「そんなに短いわけが無い」 と両方に文句を言われて困り果てました。 「通訳」とは特殊に訓練された人たちのことで( 当然資格も持っておられます) OJTでそうなった私らそこらへんの野良バイリンガルとは全然違 います。悲しいかな、 そのように分かってくれている方は非常に少数派で、 大概の場合は途中で遮らないと前述の社長のように覚えられないほ ど一気に話されてしまいます。で、遮ると(誰でも、 話の途中で遮られると嫌なものですが) あからさまに嫌な顔をされることもあります。 なってみたらバイリンガルにはあまりアドバンテージはありません でした。 話は変わります・・・私の場合は日本語が母国語で、 大人になってから英語を覚えたという順番ですが、 逆の順番の人もいます。面白いもので、 こういう人たちとも私は話が合います。 先日も日本語を学んでいるアメリカ人の若者と話をする機会があり 、 新宿駅で小田急線に乗ろうとしたとき駅のアナウンスが「A駅、 B駅、C駅・・・・には 止まりません 」 と言ったので乗りかけていた電車から飛び降りた、 と言うので心から同感しました。 英語の語順だと最初に止まるかど

エピソード008 <接待>              

コロナ禍が長引いて取引先と飲食することがほとんどなくなりましたね。こういう生活に社会が慣れてしまって、コロナが終息しても「接待飲食」は非常に少なくなってしまうのだと思います。人生の目標に「好い酒飲みであること」を標榜する私にとっては大変残念な社会の変化です。 「接待」が死語になってしまわないうちに、まだ生き延びている昭和の営業マンから令和のビジネスを生きるあなたへ。 私のサラリーマン時代の会社オーナー氏は接待について独特の持論がおありの方で、接待費の領収書と決済書類を回すと何回かに一回社長室に呼ばれることがありました。 聞かれるのは「何を言うため」「何を聞くため」の接待だったのか、結果としてそれは「言えたのか」「聞くことができたのか」ということです。うまく答えられないと「それは接待とは言えない。会社のカネで飲み食いしただけだ」と叱責されました。 幸いにして、 私は先輩たちがそのように怒られているのを若手時代から何度も目撃することができたので、上記下線部の社長の傾向をつかんでいました。ですので、私はあまり叱責されることのない珍しい存在だったかも知れません。そればかりか、貴重な経験もさせていただきました。 あるとき、 私の担当している大手顧客から支払方法の変更(ターム延長)の要求があり、会社としては資金繰りの問題からお断りしなければならない、ということがありました。最初は、私が担当としてお断りした(もちろん、資金繰りが苦しいとは言えません)のですが、お客さんも側も簡単に諦めてくれず、では上司と話をさせて欲 しい、 役員と会わせて欲しい、ついには社長とアポを取って欲しいと言うことになりました。社長は「逃げるわけにもいかん。夕方、ウチの会社に来てもらって、その後会食ができるような段取りで設定しろ」と。 当日お客さんがお見えになる時間になると、社長は私を伴って会社の玄関まで出迎え「すみません、 今日はバタバタしていて昼飯を飛ばしてしまいました。腹が減ってどうもならんのでちょっと早いけど食事に行きませんか?」と。驚いているお客さんの前に社長専用のクラウンがすーっと止まります。まあまあ、お話はメシ屋でゆっくり伺いますのでとクルマに押し込んで「田中、場所はメシ屋だが会議だぞ。 きちんとメモ取れよ」とお客さんを安心させます。 一件目は寿司屋、ここでお客さんは何度も本題に入ろうとします

エピソード007 <学校で教わりたかった>

日本の学校教育って役に立たない、とよく言われますよね。あんなことを勉強させられる代わりに、こういうことを教わっておきたかったなあ、と60代半ばにして思うことを、今日はいくつかお話ししたいと思います。 ・・・20人ぐらいの3歳児の前で金髪の大柄な女先生が、傘に雨が降り注いでいる絵のカードをマグネットで貼って尋ねます。What is this? 子供たちはRain!!と大きな声で答えます。まだアメリカに着いたばかりのわが息子は廻りをキョロキョロ見回して、3秒ほど遅れてレイーン!!と真似をしています。この日はニュージャージーの保育園で息子の体験入学をしていたのです。 次に先生は弓矢の絵をボードに貼りながら弓の方を指さしてWhat is this, now?と尋ねます。子供たちはBow!!と答え、息子もボウ!!とまねをしています。このときはまだ20年以上もアメリカに住むことになるとは思ってもみませんでしたから、息子は英語になじむことができるかしら、と不安になっていました。しかし彼女は私のそんな思いには頓着せず、次のカードを裏返しにして貼り、What kind of bow do you see after the rain?(雨の後で見える弓ってなーに?)と聞きます。子供たちはRainbow!!と答えます。 先生はThat’s rightと微笑みながら裏返しのカードをひっくり返して虹の絵を子供たちに見せます。え、そうなの?レインボウって「雨」と「弓」の合成語だったの?そういえば弓の形だなあ・・・私は3歳児よりも英語力が無いことを悟られないように、ぎこちなく笑っていました・・・皆さんはこれ、ご存じでしたか?この日私はパイナップルもPine(松)とApple(リンゴ)、カクテルもCock(おんどり)とTail(尻尾)の合成語であると言うことも知りました。ついでにカクテルはお酒以外の意味もあることも。こういうの学校で教えてくれたらよかったのに・・・3歳児のお教室で、私は苦笑いを繰り返していました。 ・・・日本ではまず見ることの無い、果てしない人の群れです。そしてすべての人々が急いでいる。まさに無限の雑踏の中で、私は誰にもぶつからないように羅湖(ローフー)駅をよろよろと歩いていました。 60 歳になる直前のこのとき、私は椎間板ヘルニアを患い、出張先の中国恵州で激痛発作に襲われました

エピソード006 <2時間28分>            

それが文明の進化というものかも知れませんが、ものを考えなくなりました。地下鉄でどこかに行く場合も行き方を自分では考えません。スマホの乗り換えアプリが頼り。こういうの昔は駅の券売機の上の路線図をにらんで自分で考えていましたよね。 何か知らないことを調べようとするときはGoogle。図書館に行って調べようなんて考えもしません。 30年以上前の話ですが、当時勤務していた会社のゴルフコンペは若手社員にとって悪夢でした。今度の土曜日、A社のX部長をナントカ通りの歩道橋の下で、 B社のY専務をカントカ街道の公衆電話のところで、C社のZさんは最寄り駅のロータリーでピックアップして午前6:30までに○○カントリークラブに到着すること・・・。繰り返しますが30年以上前です。携帯電話もナビもありません。 金曜日は仕事どころではなく社有車から引っ張り出してきた地図(その頃の社有車には地図が必ず一冊載せてありました)で翌日の道順を「考え」なくてはなりません。 そんなこんなで当日その場所に行くと歩道橋の下には誰もいない。携帯電話がないから時計を見ながらジリジリするしかありません。 こっちが場所を間違えたのか、向こうが寝坊しているのか、ああ、あの気難しいY専務はもう待ち合わせ場所に来てイライラしているのではないだろうか。気の弱いZさんは途方に暮れているのではないか・・・現代ではしなくてもいい心配をしていました。実に多くのことを想像し悲観し心配して「考え」ていたように思い ます。 スマホやGoogleやナビは私たちから「考える」という「苦痛」から解放してくれたのかも知れません。ではなぜ「考える」ことは苦痛なのでしょう?これは私の考えですが、いくつかの選択肢を想定してその中から一つを選択しなければならない場合、将来「なんでこんな選択をしてしまったんだ? 」という後悔するかも知れないという恐怖と戦わなければならない。それが苦痛なんだと思います。 その課程で過去の間違った選択を思い出して苦い思いをしなければならないし、その時自分を非難してきた人々の苦々しい、あるいは困り切った、あるいはライバルの勝ち誇った顔も思い出すでしょう。 場合によっては小さくない額の金銭的な損も出でしまったかも知れないし、今度もそうなったらどうしよう。その上「セオリー的にはAだがやりたいのはBである」とか「自分はこうだと思うが信

エピソード005 <真偽は定かでないお話>          

なにせ21年もアメリカにいたので、日本ではあまり聞けないこともいろいろ聞きかじってきました。そのなかで「へぇー」と思ったけど真偽を定かにすることができなかったお話を3つ紹介します。繰り返しますが真偽のほどは定かではありません。 ① 「キャンベルとスーパーマーケット」 キャンベルは日本のスーパーマーケットでも売られているスープ缶の会社(Campbell Soup Company)です。1869年創業の老舗で現在でも超優良企業です。ただ(この辺が「真偽が定かでない」部分ですが)1970年代ぐらいまで商品管理が恐ろしくいい加減な会社であったようです。 当時、キャンベルは数十種類のスープの缶詰を主にスーパーマーケットに卸していたわけですが、どの缶を何個どの店に出荷するのはキャンベル次第となっていて、スーパー側はいちいち在庫調べなんかしないから、トマト味が欠品してクリーム味が在庫過剰であっても放ったらかし。すなわち、キャンベル側は作ったスープ缶を片っ端から出荷すればいいので、在庫など持たなくていいのです。今回はコンソメ味を作りすぎたなあ・・・と言うことがあってもどこかに出荷してしまう。70年代まではこれでよかったらしいのです。力関係で言うと圧倒的にキャンベルの方が強かった。 ゲームを変えたのはバーコードでした。スーパー側は「レジ打ち」をなくしたい・・・人件費削減はいつも進化の出発点で、社会的コンセンサスも得やすい。あらゆるものにバーコードがつくようになり、当然キャンベルも全製品にバーコードをつける。するとこれまた当然ながらスーパーの各店舗では何味が何個売れたかの記録が残ります。この記録が発注に反映されるようになると、何味を何個出荷するのかはスーパー側の注文によるようになります。キャンベルの思うようには行かなくなりました。今までは今月はチキンスープを○万個ぶっ続けで作り、来月はマカロニスープを・・・ではなくきちんと需要予測しなければならなくなった。 特定の商品に注文が入らなければ在庫になってしまう。消費期限までに売れなかったら廃棄のリスクもある。そのうちPOS(Point Of Sales)システムやクレジットカード決済が広まって、スーパー側にはいつどこでどういう商品がどういう人に・・・その日の天気や気温なども取り込んで・・・売れるのかのデータが積み上がっていきます。スーパーが

エピソード004 <羽織を脱ぐ>             

古典落語が好きで、たまに寄席に行きます。噺家はまず羽織を着てあらわれ、今日の天気とか昨日の新聞とか当たり障りの無いところから入り、まくらと言われる落語本編ではない話で雰囲気を盛り上げます。客席は笑いの準備体操みたいなもので、噺家は「かるくお客をあっためて」というのだそうです。ただしちゃんとあっためられればスムーズに本編に入れますが、そうでないこともある。寄席はテレビと違って編集がありません(当たり前ですが)からシラケたってスベったってやり直しはききません。そのままの空気を引きずることになって、なかなかペースを取り戻すことができない高座を何度か見ました。 これがまくらでちゃんとあっためられると噺家はちょっといい顔をします。客席がまだ笑いを引きずっている中、きゅっと表情が締まって心なし目がキラリとしたようにみえます。さあ、本編へ。このとき羽織を脱いで少し前のめりになります。 最近は、単独でなく若い営業マンと同行してお客様を訪問させていただくことが多くなりました。二次電池の営業はお客様との信頼関係が一番重要。おそらく製品仕様の根幹をなす「消費電力」や「放電電流」を伺わなければ安全にお使いいただけないかもしれない。でもそれはかなりの割合で企業秘密だったり、その時点では決まっていなかったりします。メールではなく昔ながらのFace to faceで、なぜそれを伺わなければならないのかを丁寧に説明して、ときにはNDAを結んででも情報をいただかなければならない。お互いストレスフルですが、製品化したいというベクトルは共有していますからなんとか話をすすめることができるわけです。若い営業マンと同行訪問する場合、たいていここまでが私の担当で、実際の数字の話になると会話の主導権を営業マンに渡すようにしています。 しかし、いきなり本題に入らざるを得ない場合があります。次の会議があるから30分で終わらせてほしいとか、ですね。そういう場合は「早速ですが」といきなりセンシティブなところをやらないといけない。しかし、まだお互いをよく知らない状態なので、この方がおっしゃる500mAは控えめなのか最大なのか適当におっしゃっているのか判断がつかない。いきおい同じことを何度も違う表現で確認したりして回りくどい打ち合わせになる傾向が大きいように思います。 逆に十分時間があり、さらに相手をよく知っている場合は打ち

エピソード003 <振込手数料>               

ビジネスとは究極、売り手と買い手がいないと成立しないわけです。日本には上り坂と下り坂でどちらが多いか、という子供のなぞなぞがありますが、それと同じように世の中の売り手と買い手は同数であると考えるのが妥当でしょう。1つのお店で1000人に何かを販売する場合でも、一つ一つが取引だと考えればお店は1000回売り手になったと考えるべきですね。 では、どちらが強いのでしょう?年末のアメ横みたいに大量に商品が山積みされてどう見てもお客さんより商品が何倍も多い場合や、旧式の電化製品の一掃セールの場合は買い手が強い。しかし、本日発売の人気ゲームには皆さん早朝から並ぶし、おととしの一時期、東京ではトイレットペーパーが(デマにより)超品薄になって、こういう場合は売り手の方が圧倒的に強いわけです。そうです、需要と供給の関係です。封建時代じゃあるまいし、今どき買い手の方が売り手より強いと考えているビジネスマンはいないですよね。 なら、振込手数料はどう説明しますか?そもそも、あなたはあなたの会社が仕入れ先への支払から毎月「振込手数料」という名目で数百円差し引いていることを知っていますか? 2010年、日本法人フューロジック株式会社を作って最初の取引が成立し、最初に戸惑ったのがこれでした。ウチは100万円分の商品を納入して不良品があったなどと聞いていないのに翌月末に振り込まれた金額は99万9230円。何、これ。 私はその前年までアメリカで仕事をしていました(それも21年。だからその年私は浦島太郎状態でした)ので、なぜ770円が差し引かれていたのかまったく分りませんでした。お客さんに問い合わせて仕入担当者が(この人も自分の会社が770円差し引いていることを知りませんでした)経理に聞いてくれて、ようやく日本の商取引では買い手が振込手数料を支払金額から差し引いてもいいという「習慣」があることを知りました。私はちょっと怒りました。が、先方さんは「そういうものだから」と。交渉しようにももう商品は納品してしまっているので値付けを変えることもできません。そういうもの、と言う分に飼い慣らされていくしかないのです。 私は、これは日本ではなんとなく買い手が売り手よりも強い、と思い込まれている証左だと思っています。だって自社の社員に給料を振り込むときは手数料を差し引かないんでしょう?なるほど、毎月末にこちらから交通