エピソード004 <羽織を脱ぐ>             

古典落語が好きで、たまに寄席に行きます。噺家はまず羽織を着てあらわれ、今日の天気とか昨日の新聞とか当たり障りの無いところから入り、まくらと言われる落語本編ではない話で雰囲気を盛り上げます。客席は笑いの準備体操みたいなもので、噺家は「かるくお客をあっためて」というのだそうです。ただしちゃんとあっためられればスムーズに本編に入れますが、そうでないこともある。寄席はテレビと違って編集がありません(当たり前ですが)からシラケたってスベったってやり直しはききません。そのままの空気を引きずることになって、なかなかペースを取り戻すことができない高座を何度か見ました。

これがまくらでちゃんとあっためられると噺家はちょっといい顔をします。客席がまだ笑いを引きずっている中、きゅっと表情が締まって心なし目がキラリとしたようにみえます。さあ、本編へ。このとき羽織を脱いで少し前のめりになります。


最近は、単独でなく若い営業マンと同行してお客様を訪問させていただくことが多くなりました。二次電池の営業はお客様との信頼関係が一番重要。おそらく製品仕様の根幹をなす「消費電力」や「放電電流」を伺わなければ安全にお使いいただけないかもしれない。でもそれはかなりの割合で企業秘密だったり、その時点では決まっていなかったりします。メールではなく昔ながらのFace to faceで、なぜそれを伺わなければならないのかを丁寧に説明して、ときにはNDAを結んででも情報をいただかなければならない。お互いストレスフルですが、製品化したいというベクトルは共有していますからなんとか話をすすめることができるわけです。若い営業マンと同行訪問する場合、たいていここまでが私の担当で、実際の数字の話になると会話の主導権を営業マンに渡すようにしています。


しかし、いきなり本題に入らざるを得ない場合があります。次の会議があるから30分で終わらせてほしいとか、ですね。そういう場合は「早速ですが」といきなりセンシティブなところをやらないといけない。しかし、まだお互いをよく知らない状態なので、この方がおっしゃる500mAは控えめなのか最大なのか適当におっしゃっているのか判断がつかない。いきおい同じことを何度も違う表現で確認したりして回りくどい打ち合わせになる傾向が大きいように思います。


逆に十分時間があり、さらに相手をよく知っている場合は打ち合わせが冗長にならないよう気をつけないと、帰ってきたら最重要項目を聞きそびれた、などと言うことがあります。Preparation is everything 準備ですね。

私の場合は小さな手帳と小型ボールペンをいつも携帯していて、明日あの方とこれをしゃべろうというポイントをメモっています(打ち合わせでメモをとるのは当たり前ですが、打ち合わせの前にメモるのです)それで手帳を広げて「今日、ポイントは○個あって・・・」と目次を申し上げます。が、肝心なのはおそらくその前でしょう。やはりネットや新聞で相手の方が気にされるような話題をいくつかピックアップして、準備する。まくらですね。

まくらは、相手に「早く本題に入りたい」という気分にさせてはいけません。本題もしなければならないが、もうちょっとこの話をしていたい、と思っていただく。ちょっと深刻になったり、笑ったり。


話が一段落つけば自然に本題に入っていけます。心の距離も縮まっています。そろそろ手帳を開き「・・・で、今日はお話ししなければならないポイントが○個ありまして」。このとき私は心の中で、さあ羽織を脱いだぞ、と感じます。背もたれからすっと背中が離れます。(了)



「老いた電池売りの独白」...フューロジック代表・田中景が、日米で40年近く電池の営業をしてきて思う、電池の現在過去未来、営業とは、国際感覚とは、そして経営とは、、を綴った新連載です。

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