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エピソード043 <Youには複数形がない>

    1960年代、「ローンレンジャー」というアメリカのテレビドラマがありました。アメリカ西部開拓時代、ギャングたちと戦って平和な町を作っていく正義の味方「ローンレンジャー」の話です。ローンレンジャーには協力者のアメリカインディアン「トント」がいて、窮地に追い詰められてもいつもトントが機転を利かせて最後は助かります。まさに勧善懲悪、アメリカ版「水戸黄門」、いつも彼らは最後に窮地脱出・逆転勝利するのでした。  ところが私がアメリカにいた1990年代になると、南アからアパルトヘイト運動が始まり、人種差別撤廃の流れがアメリカを覆います。すると、かつての英雄の友人「トント」は白人にへつらう体制迎合の象徴として扱われるようになり、マイノリティ活動家たちは「私たちはトントではない」と叫びました。さらにこんな笑い話も・・・。  ある日、ローンレンジャーとトントは、彼らを正義の味方だと知らないインディアンの大群に包囲されてしまいました。ローンレンジャーはいつものようにトントに叫びます。「北からも南からも、東からも、おお、西からもインディアンが迫ってくる!トント、どうしよう?」  この「どうしよう」が、英語だとWhat can we do, Tonto? なのですが、この笑い話に出てくるトントは冷めた表情で「What do you mean by “we”, white man?(weとはどういう意味ですか?白人の旦那)」と返します。つまり、あなた(白人であるローンレンジャー)はweではなくIというべきでしょう。だって私はインディアンですからね、ヘッヘッヘ・・・。  私の幼少期のヒーロー「ローンレンジャー」とその最高の友達「トント」に対して何ともブラックすぎるジョークですが、これは英語に「I」とその複数形「We」が存在するから成立する笑い話で、「You」のように単複同形だったら意味が通じなくなります。   IはWe、HeやSheならTheyなのに、なぜYouには複数形がないのか?理由はともかく、私はアメリカ人たちがYouに複数形がないことを逆手にとって(?)あいまいな言い方をしているのをよく目撃しました。  ・・・アメリカの現地社員男女混合で5~6名と飲みに出かけた時のことです。そのレストランには中庭があって、われわれが座った席から少しからだをねじると見えるところにロマンチ...

エピソード042 <さあ、君の説明を聞こうか>

 今回は、最近読んだ2冊の本から考えたことを書くことにします。どちらも「説明」に関しての本です。毎日誰かに何かの説明をして、たくさんの説明を聞いているはずなのに、「説明」に関してしっかり考えたことがなかったなあ、と思いました。たとえば・・・  これは、弊社で日常的な光景ですが・・・朝、前日まで出張に行っていた部下とオフィスですれ違う時に「○○君、どうだった?いい出張だったかい」と聞きます。すれ違いざまですからこっちが期待しているのは「行ってよかったです。あとで報告します」的なポジティブな「反応」なのですが、彼は何かを思い出そうとする表情を見せ、「まずぅ・・・」と切り出します。今までなぜだか分かりませんでしたが、私にはこれがストレスでした。  まあ、これが会議室でじっくり話を聞こうというなら「まずぅ」もそんなに悪くない(よくもないけど)のですが、朝のカジュアルな会話の中で「まずぅ = 今から時系列で報告します」宣言をされると足を止めなければなりません。その時私はトイレに向かっているときだったりすると「え、今からそれが始まるの?」と戸惑います。が、だからと言って部下の報告は重要です。聞かないわけにはいきません。それにそもそも「どうだった?」と聞いたのは自分なのですからそこから5分10分話を聞かなければならないことになります。これが何とも言えないストレスなんです。でも、自分ながらなぜストレスを感じるのかを言葉で説明することができませんでした。  「一番伝わる説明の順番」(田中耕比古著 フォレスト出版)という本の中で、著者の田中氏は、説明の順番は「自分が説明したい順番ではなく、相手が聞きたい順番で説明をするべき」と言います。「時系列」は、うまく説明できない人や優先順位が決められないときに「致し方なく」使う極めて非効率的な説明方法・・・なるほどね。やっと「まずぅ」がストレスに感じる訳が分かりました。そういえば時系列の説明を聞いているとき「この情報は必要なさそうだけど『時系列』の途中だしなぁ」と我慢して聞いている時間が結構長いですもんね。  でも「相手が聞きたい順番で説明する」って簡単ではありません。相手が複数のこともありますし、初対面で何に重要度を感じておられる相手なのかがつかめていないケースもある。だから、これから誰に説明するかを明確に意識しておくことが必要です。そうすると...

エピソード041 <EVが売れない>

 そりゃそうでしょうね。そう思っていました。だって、周囲を見回しても「次、EVに乗り換えたい」っていう人いませんもん・・・と、日本に住んでいるあなたはかるーく受け流すかもしれませんが、ニューヨークタイムスは2月、 「EV販売は2024年に前年割れするのか」という記事を載せました(3月4日プレジデントオンライン 岩田太郎氏の記事)。え、前年割れ?これはかなり深刻です。電池業界、大丈夫かなあ?  EVは年々2桁(時に3桁)パーセントの伸びであることが当然と言われてきました。何をやるのも遅い日本政府も他国に押されて2035年までにガソリンエンジン車の新車販売停止、東京都は2030年までに中止、諸外国も同じようなタイムテーブルでEVへの移行を推進しています。なぜ、 ここに来て「前年割れの可能性(米国市場)」のようなことになっているのでしょうか。以下、3つの大きな理由を考えてみたいと思います。  ★理由1  『充電が不便である』  これはもう言い尽くされているのでさらっと触れますが、「充電設備が少ない」と「充電時間が長い」という2つの問題が解消されていません。もうすぐ解消される見込みも見えてきません。400キロ離れた出先で充電器が見つからない、 あるいは充電器があくまで3時間待ち・・・のような状況を思い浮かべるだけで腰が引ける人が多い。それはごく普通の「恐怖」だと思います。  ★理由2  『低温に弱い』  今年1月、シカゴやニューヨークで記録的な寒波が観測され、そのエリアのテスラスーパーチャージャー(急速充電ステーション)が次々に「故障」し、充電切れのクルマが続出した・・・という報道を見ましたが、少しでも電池を勉強した人ならこれは「故障」ではないということが想像できるはずです。 電池は「化学反応の缶詰」、低温だと分子運動である化学反応は起きにくくなります。ましてマイナス20℃を下回る気温であれば、電池を危険な状態から守るために充電を開始しない回路が充電器側に入っていてもおかしくない。仮にうまく充電できたとしても、 低温環境下では常温時に比べて2割~3割放電できる時間が短くなりますし、寒ければ(たくさん電力を消費する)エアコンやシートヒーターも使うでしょう。それによってますます走行距離は短くなります。  だから「低温では充電できないですよ」「低温では走行距離が短くなりますよ」と...

エピソード040 <バッテリージプシー>

   確かにアメリカは日本より転職が多いと思いますが、実質的なクビも多いんです。特に営業職は数字が上がらないとかなりドラスティック。もちろん、何回か「なぜ売り上げが上がらないのか」言い訳を聞いてもらえるチャンスがありますが、3ストライクでアウトが普通です。すると対象の社員はどういう行動をとるか・・・大半が2ストライクぐらいで転職活動を始めます。で、転職先が見つかり辞表を提出。こういう場合は「辞めた」というべきか「クビ」というべきか・・・多額の給料で華やかに引き抜かれることよりも、実際はこういう微妙な転職が多いのです。もちろん給料が下がることだってあります。  で、彼らはどこへ行くかというと、現職と全然関係ない企業に行くことはまれで、同じような製品を扱っている企業に転職することが多い。培ってきた専門知識も生かせますし、なにより、現職で築いた人間関係を駆使して顧客企業にアプローチもしやすい。まあ、平たく言うとお客さんを盗みやすいですからね。電池業界だとプレーヤの数が少ないので、この傾向がますます強い。この前までウチで営業をやってたアイツ、先月からあのライバル企業に移ってウチのお客さんの○○社にちょっかい出しているんだってよ。あの野郎・・・という話は珍しくありません。  そんな時、よく使われた言葉が「バッテリージプシー」です。そうか、アイツもバッテリージプシーになっちゃったんだなあ。ウチに来たときは電池のデの字も知らない奴だったのに・・・。  1984年に電池業界に入ってから、私は何人ものバッテリージプシーを送り出し、受け入れ、競い合い、協力してきました。それでも、1999年までは自分自身がジプシーになるとは思っていませんでした。ところがこの年、考えてもみなかった理由で私はそういう流れに引きずりこまれていきます。  当時私が所属していたのは三洋電機の代理店で、私はアメリカ現法の営業責任者をしていました。ですからセルは三洋の米国現法に売っていただく(この表現が適切でした)わけです。当時はアナログ携帯電話、いわゆるセルラーフォーンの全盛期で、ほぼすべての電話メーカーが同じようなサイズのニッケル水素電池を使用していたので供給が全く追いつきません。どの電話メーカーも「電池待ち」の端末在庫が積みあがっている状態でした。  この頃、アメリカ市場ではノキアとモトローラの2強がセ...

エピソード039  <MOQ・PSE・EOL・・・>

      会議で、用語の意味が分からないまま議論が進んでいくと不安になりませんか?意味を聞きたくても話の流れを切っちゃうのが失礼だと思ったり、ほかの出席者は知っていそうだから聞きにくかったり・・・特に最近はアルファベット 3 文字に短縮された用語が必要以上に飛び交って、   これって何の略だろうと思うことがありますよね。  私は、最近家内がしきりに TKG という言葉を使うので、勇気を出して「それ、何」と聞いたら「タマゴかけご飯」とのこと。後日叱られないために聞いておいてよかったです。     今号タイトルの 3 つの略語にピーンときた方は我々と同じ業界人ですね。3つそれぞれに苦労させられています・・・まず、今、電池の仕事で最初にぶち当たる壁が MOQ です。 Minimum Order Quantity の略で「最小 発注 数量」という意味ですが、現実はメーカー側が「 ○○ 個以下なら販売しません」という意味で使われることが圧倒的に多いので「最小 受注 数量」と意訳した方がいいかもしれません。   500 個しかいらないのに MOQ が 1000 個ですと言われたら、今の電池業界では交渉の余地はほぼありません。いつ使うか分からないけど 1000 個買わざるを得ない。では 50 個しかいらない場合はどうするのか・・・ニカド時代は小分け販売する代理店さんがあったものですが、   使い方次第で事故につながるイオン電池には小口販売を堂々とはできず、怪しげなネット販売しかありません。わが電池産業はすっかり小口需要に冷たい業界になってしまいました。  なんとか MOQ を突破すると今度は PSE です。日本でリチウムイオン電池を流通させる場合は(例外も少々ありますが)電気用品安全法に基づいた試験を実施したうえで PSE マークを付けなければいけません。これは Product Safety Electrical appliances and materials の頭文字・・・ということのようですが、どうしてもアルファベット 3 文字に縮めたかったんですね。とはいえ、これは法律ですからちゃんと費用をかけて試験しなければなりません。そんな費用、なんでウチが払わなければならないんだよ・・・というお客様も多いので、営業としては...

エピソード038  <電池と巡り合ったころ(後編)>

 「Kと申します。ビデオフロアの田中さんをお願いします」  彼と会ったことを忘れかけたころ、外線から電話がかかってきました。  「お電話ありがとうございます。田中は私です。思い出しました。電池でご相談がおありなんですよね」  見てもらいたいものがあるから横浜駅西口の事務所に来てほしいということで、私は指定日に各社のポータブルビデオのカタログを持って出かけました。こういうときはハンテンを着なくてもいいので、少し解放されたような気がします。指定されたビルに着くとK氏はエントランスで待っていました。連れて行かれたのは事務所ではなく2階のレストラン。挨拶を終えると、彼はある企業の会社案内を私の前に置きました。知らない社名でした。  「二次電池と言ってね、充電できる電池を専門に扱っている商社なんだけど、田中さん、興味ないかな。電池の基礎知識がある人を探しておられるんだけど」  考えていたことと現実との間のギャップに、私はカタログを入れた茶封筒を持ったまましばらく何も言えずにいました。引き抜き?  「・・・電気屋さんの店員がいけないっていうわけではないけど、ああいう仕事って若いうちだけだと思うよ。お給料も高くないと思うし。それに、土日にきちんとお休みがある仕事の方がいいでしょう?」  土日が休みでないというのは不便でした。ちゃんとしたガールフレンドができないのも休みが合わないというのが大きな障害でしたし。  「田中さん、年齢は? 大学は出ているんでしょう?」  「26歳です。大学は行っていません」大学受験しなかった話、配管工になったら革命が起きて仕事がポシャった話を正直に話しました。すると彼は難しい表情になり「高卒かぁ」とつぶやきました。高卒が問題で、なぜ高卒なのかはあまり関係ないという感じです。  「田中さん、じゃあ、こうしてくれませんか。ウチに来ている求人票は大卒が条件になっているんだけど、もし、あなたが転職したい気持ちがあったら履歴書を送ってください。私は企業さんに『高卒だけど電池に詳しい人がいる』って言ってみるから」テレビコマーシャルをガンガンしている人材紹介会社のロゴが入った名刺を私に差し出しました。  呼び出されて、土日休みと給料アップの夢を見せられて、そして高卒の店員という自分の現在地をこっぴどく知らされただけでした。私は履歴書を送りませんでした。  年が明け、そ...

エピソード037 <電池と巡り合ったころ(前編)>

    1983年の年末、26歳の私は、 派手な黄色いハンテンを着て横浜の家電量販店のテレビ・ ビデオ売り場に店員として立っていました。デンキ屋は「 雰囲気が第一。お客様の購買意欲を盛り上げよう」 という精神論大好き店長の指示で、 私たち店員はみなネクタイの上にハンテンを着せられていたのです 。 「ハンテンでモノが売れるわけないじゃん」・・・ 私は冷めた気持ちで、ハンテンの上に「専門相談員 田中(景)」 という大きな名札まで付けられてフロアに立っていました。  そもそも店で「待つ」 しかできない店員稼業が性に合わないのは最初から分かっていまし た。だからお客様には申し訳ありませんが、内心「 なぜこんなことやっているんだろう」 という気持ちで接客していたのです。   なぜこんなことやっているんだろう・・・その数年前、 高校を卒業して、なにしろ人と違う生き方をしたかった私は、 大学受験をせず配管工見習いになりました。 知り合いに総合商社系のイラン天然ガス採掘プロジェクトを教えら れ「これだ」と応募し、イランで仕事をすることにしたのです。 一人前の配管工になれば現地に数年間行き、 学校や病院の建設で働ける。「 あっちではお金の使いようがないから、 3年も行ったらまとまった額の貯金ができる」と言う話でしたが、 国内の現場研修を重ね、 パイプレンチの扱い方も一丁前になった1978年、 イラン革命が起きました。宗教家と民衆が蜂起し、 親日的だった国王は追放されて、あっさりプロジェクトは中止。・ ・・外国に行けないのだったら重労働の配管工なんてまっぴら、 すぐにやめました。電気店の店員は、だから「仕方なく」「 とりあえず」の職業で、誇りもやりがいも感じていませんでした。 お酒を覚え麻雀にはまり、 とんがっていた青年もみるみる愚痴っぽいサラリーマンになってい きます。今思えば「配管工もイヤだけど店員もイヤ」 という辛抱のない若造だったのです。   ・・・「今、電話があって、Mさんのビデオ、 また録画時間が短くなっちゃったんだって。 後でお店に来るってよ」裏でタバコを吸って売り場に戻ると、 同僚が私にメモを渡します。Mさんはポータブルビデオ一式( ビデオカメラ+ビデオデッキ+カバン・電池など。 私の月給が手取り15~ 16万円のころ一式60万円ぐらいでした) を買ってくれた私...