エピソード018 <評価とは>

私が20代前半のころ勤めていた家電量販店では、私たち店員に「ナントカ売り場」と呼ぶことを禁じていて、テレビフロアとか冷蔵庫フロアと呼ばせていました。そこはお客様がお買い物をしてくださる場所であって「売り場」というのはお客様に失礼である、という考え方です。 「買い場」ではおかしいからフロア。昭和っぽい教訓的な言葉遊びと思われるかもしれませんが、当時の私に、何気ない慣用的な言葉遣いが礼節を欠いているものもある、ということを考えさせてくれました。40年経った今でも覚えているのですから印象が強かったのでしょう。 いまだにデパートで「・・・○○売り場までお越しください」というアナウンスが流れると少し違和感があります。

「供給」という言葉にも似たような違和感を覚えることがあります。 「○○社には弊社がセルを供給しています」とそのセルを作っている電池メーカーの方がおっしゃるのは「売り場」のときと同じような一種の傲慢さを感じるのです。新聞が「A社がB社にセルを供給している」というのは思考停止の新聞用語でどうしようもありませんが、 少なくとも売っている当事者が言う場合は「採用していただいている」「お使いいただいている」あたりが妥当な表現ではないでしょうか。英語のSupplyの訳として使っているのでしょうが、Supplyには「対価をともなう」というニュアンスが強くあり(Supply Chainという言葉があるぐらいですからね)ますが、それに対して日本語の「供給」はソナエ・タマウですから元々はおカネの匂いはしなかった言葉だったはずです。おカネをいただいておいて「供給」って何だよ、と私は思うのです。

では、「評価する」と言う言葉はどうでしょう? エラそうな響きがありますよね。政治家が別の政治家の発言に対して「一定の評価をする」なんて言うのは、キミよりボクの方が上の立場だよ、と言っているのでしょうね。先生が生徒を、面接官が応募者を、バイヤーが見積もりを評価する・・・いつも「評価する」方が「評価される」方より立場が上ですから。
・・・だから私は、来年から私どもが始める新規事業(エピソード017参照)を「評価事業」と呼びたくなかったのです。それどころか、私としてはいろんなメーカーさんがご苦労されて、おカネをかけ、リスクをとって生産されたセル、パックを「評価させていただく」のだと考えています。 立場が上だと勘違いしてふんぞり返って「評価する」ことを無思考に続けるとどうなるか・・・

2012年のことです。その後ノーベル化学賞を受賞された吉野彰先生が神奈川県産業技術総合研究所で講義をされました。私も聴講し、懇親会にも参加させていただいたのですが、 先生の周りにはたくさんの素材メーカーの方がおられて「EV 量産化への課題は何か」という熱い議論をされていました。素材の専門用語が分らない私は遠巻きに話を聞いていましたが、バインダーや添加剤のメーカーの方々は「国内のセルメーカーに評価用のサンプルを提出しても評価結果がフィードバックされてこない。 本当に評価しているかどうかも分からない。韓国のメーカーからは非常にスピーディな反応があるのに」と嘆いておられました。そのサンプルが有償でも無償でも、あるいは素材メーカーからの売り込み用に送ったものでも、セルメーカーの方から依頼されたものでさえも、ほぼ例外なく「日本のメーカーからはなしのつぶて 、 韓国からは時には測定データ付きの丁寧な評価報告がされる」という状況であったようです。吉野先生は腕組みをして聞いておられましたが「彼ら(日本勢)は、自社の立ち位置を理解していないな。評価するということがどういうことなのか分かっていないのだろう」とおっしゃいました。 素材の進化無くしてセルの性能向上は無く、評価結果のフィードバックが無ければ素材メーカーは開発が正しい方向を向いているのかが判断できない。素材メーカーがどの企業にサンプルを送りたくなるか、ということを考えれば当時日本のセルメーカーがしていたことは非常に危険なことだったと言わざるをえません。 リチウムイオン電池の市場占有率は、このころから韓国勢の猛烈な追い上げが始まり数年で日本を抜き去っていきます。評価に対する姿勢と国際占有率の激変は無関係であったとは、私には思えないのです。

もう一つ印象的な光景があります。2015年頃でしょうか、 私は中国深センのホテルのロビーのソファで通訳の中国人女性と他のメンバーを待っていました。お疲れ様の夕食会に出かけることになっていたのです。3メートルぐらい離れた別のソファには年配の日本人一人と、作業服を着た中国人男性が3人座って話をしており、 私たちが腰を下ろしたタイミングで日本人男性が立ち去りました。残った中国人3人が何か中国語で話をしているのですが、会話の中に「ヒョーカ」ということばが何度も出てきます。あれ、日本語の「評価」じゃないの、と通訳の女性に聞くと彼女は頷きながら、 ちょっと言いにくそうに「日本人は自分では何も作らないでヒョーカするからサンプル持って来い、早く持って来い、何種類も持って来いと言うけど、ヒョーカっていったい何をしているんだろうね。いつになったら注文くれるんだろう・・・と言っています」
確かに、OEMとかODMとか言って、 よそ様が作ってくれるものを「評価する」のが先進国の仕事だと勘違いするようになって、日本の製造業はメンタルから弱くなっていったように思います。海外メーカーが開発費をかけリスクをとって作ってくれた製品サンプルを前にして、そのクリエイティブネスに敬意を払わず、腕組みをしながら「じゃ、 評価しようか」では相手にされなくなります。そんなヤツにかぎって大した数量も買わないし・・・と、そのうち見抜かれてしまうでしょう。

弊社は事業としてメーカーさんが作ってくれた製品を「評価させていただきます」が、心構えは、お取引先様から「評価していただく」企業でありたいと考えています。 (了)



老いた電池売りの独白」...フューロジック代表・田中景が、日米で40年近く電池の営業をしてきて思う、電池の現在過去未来、営業とは、国際感覚とは、そして経営とは、、を綴った新連載です。

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