エピソード016  <タケちゃんの思い出>

「社員の給料に困って、カードローンで借金して給料を払ったことがあったなあ。今思い出すとよくあの時代を乗り切ったなあと思うよ。でもキビしいのはカードローンでカネを借りたことよりも、そのことを誰にも言えなかったことだね。 取引先の耳に入ったら信用なくしちゃうし、社員が知ったら辞めちゃうだろうし。孤独だったなあ」

私が起業したばかりの頃、ある先輩経営者に焼鳥屋でこんな話を聞きました。そうだろうなあと思いながらも、その時は社員を雇う(お給料を払う)予定が無かったので、漠然と相づちを打っているだけでした。

「田中さん、セミの羽はなぜ半透明か知っていますか」新大久保の行きつけの居酒屋で、タケちゃんがニコニコ笑いながら話しかけてきます。当時、もうタケちゃんは80歳ちかくで、小柄で銀色に近い白髪をきちっと七三に分けたかわいいジイサンでした。「分かりません。 僕はそういうアカデミックなクイズは苦手で」と言うと、タケちゃんは「あれはね、セミヌードっていうことでね」と自分で大笑いしています。その時の私はそんな話につきあっている精神状態ではなく、迷惑そうな顔をしてしまったのかもしれません。タケちゃんは「ははは、 これは失礼しました」と言ってほかの常連と話をし始めました。

この時弊社はすでに創業7年目、おかげさまで売り上げが1億円を超え、社員も二人採用することができて、私はお給料を払う立場になっていました。以前は当たり前のように25日に給料をいただいていたのですが、 いただくのと払うのでは大違いです。25日が近づくと何ともいえないプレッシャーを感じるようになって、行きつけの居酒屋で焼酎を飲みながらため息をつくことが多くなりました。あの先輩経営者の「孤独だったなあ」の意味がつくづく分かります。

それでもその後もおかげさまでビジネスは拡大し、 売り上げも増えていきました。するとどうしても運転資金が足りなくなります。弊社の場合は納期の長い製品を扱っているので、資金繰り表はきちんとつけていましたが、この年の秋、台風で香港発の船の出航が大幅に遅れ、このままでは2ヶ月後に確実に資金ショートするという大ピンチが来てしまいました。 仕入れ先は海外企業なので「待って」と言える相手ではありません。早めのお支払いをお願いするにしてもお客様の方も今月は資金が大変だと言っていたし、新規融資と言っても・・・と、くだんの居酒屋でいつもより深いため息をついていると「田中さん」とタケちゃんが肩をたたいてきました。 私はいっぱいいっぱいでしたがなんとか社交用の笑みを浮かべて「セミヌードはこのあいだ聞きましたよ」と振り向くと・・・

「田中さん、つかぬ話を申しますが、僕が口座を置いている○○銀行のXX支店の担当者がですね、新規の貸出先を紹介してくれってしつこいんです。 ご迷惑でなければ田中さんを紹介したいんですが、どうでしょう?」


タケちゃんが資産家であることは聞いていましたが、どの程度かは知りませんでした。しかしタケちゃんの紹介、というのは相当影響力があったようで、あれよあれよという間に今までお付き合いのなかった銀行の担当者が来てくれて、 新規口座が開設され、ピンチ脱出には十分以上の融資が実行されました・・・こんなことってあるでしょうか?顧問税理士には「飲み屋で金融機関を見つけて融資してもらったのは田中さんぐらいでしょうね」と言われましたが、見つけたわけでも相談したわけでもありません。ため息をついていただけです。お礼をしたいと 言うと、 じゃあボトルを一本入れてくださいと言って、タケちゃんはサントリーの角を薄めの水割りにして、うれしそうに飲んでいました。

それから数年後、タケちゃんは身体を壊し、居酒屋に来てもすぐに酔ってしまうようになりました。地下にあるその居酒屋の階段を登ることができなくなって、 誰かがお尻を押してあげなければなりません。「タケちゃん、来てる?」というのがしばらく私の挨拶代わりになっていたのですが、ある晩、店のおばちゃんが「亡くなったのよ」と。「常連が集まって『偲ぶ会』をやるから、田中さんも来てね」

最近はおかげさまで金融機関とのお取引も拡大し、 居酒屋でため息をつくこともあまりなくなりました。金融機関の方からは「銀行融資以外の資金ゼロで10年以上事業をされてきたのは大変なことですよ」とお世辞を言っていただけるようにもなりました。「でも、社長、13年の中には厳しい局面もあったのではないですか?」

ありましたとも。 でも最大のピンチで弊社には神風が吹いたのです。幸運でした。しかし金融機関の皆さんにタケちゃんの話はあまりしません。あれは私の資金予測が甘かったのです。あのあと私は、二人目のタケちゃんはいないことを肝に銘じたのです。

『偲ぶ会』は盛況でした。別の飲み屋に広めの座敷を借り、 タケちゃんの遺影を置いて線香を立て、みんなで思い出話をしました。

「で、田中ちゃんはタケちゃんに世話になったんだろう?」古株の常連が私に声をかけます。

「助けられました。銀行を紹介してもらって・・・」

「・・・だよな。 田中ちゃんのところが困っていたのを知っていたのかな」

  わかりません。それを聞いたとき、タケちゃんはニコニコして答えませんでした。

「で、田中ちゃんがタケちゃんのことで一番思い出すことって何?」

「・・・皆さん、セミの羽はなぜ半透明か知っていますか?」

それ、オレも聞いた。オレなんか3回は聞いた。 得意だったよなあ。遺影のタケちゃんは銀色に近い白髪をきちっと七三に分けてニコニコしています。タケちゃん、本当にありがとうございました。。(了)



老いた電池売りの独白」...フューロジック代表・田中景が、日米で40年近く電池の営業をしてきて思う、電池の現在過去未来、営業とは、国際感覚とは、そして経営とは、、を綴った新連載です。

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