ある年齢以上の方はイントロがなっただけで歌うことができる、ご存じ「巨人の星」のテーマソング・・・ジャーン、ジャカジャッカジャーン・・・♪思い込んだら試練の道を 行くが男のど根性・・・懐かしいですよね。私も子供のころ毎週欠かさず見ていました。 あるとき、ネットをザッピングしていたら「ぎなた読み」という言葉が出てきたので、何だろ、と読み進めると、本来は「弁慶が、なぎなたを持って」とすべき文章の読点の位置を間違えて「弁慶がな、ぎなたを持って」としてしまい・・・と説明されています。 そんなバカな話が・・・と思ってさらに読み進めると「例」として・・・テニス場などで使用する「整地ローラー」が最近「コンダラ」という俗称で呼ばれているのは、1968年放送開始の「巨人の星」の特訓シーンで、 飛雄馬少年が整地ローラーを引いているのを見た視聴者が「思い込んだら」を「重いコンダラ」と「ぎなた読み」したことが起源・・・とあります。ナニ、コンダラ? それで、さらにコンダラでググってみると、なんとなんとWikipediaでもWeblio辞書でもちゃんと掲載されている。もう日本語として認知されているんですよ。驚きました。でも・・・もしテニス場に行く機会があっても「すみませーん、コンダラ借りていいですか」とは、私は言えないかなあ・・・ コンダラほど完成度が高い話ではありませんが、私は「寡黙(かもく)」という言葉の意味が通じなくて、会話が成立しない現場を目撃したことがあります。場所は新大久保のお蕎麦屋さん。ここのおかみさんはがらっぱちだけど世話好きで、その日もお客さんの中年女性のお悩みを聞いてあげていました。 「・・・そうなの、アンタも苦労が多いねえ」「でしょう?私本当にアタマにきちゃって」「でも、そういう時、アンタの旦那さんは何も言ってくれないの?」「うちのはダメ。本当に寡黙だけだから」「あらあ、じゃ、ゲッスイキンは何をしているの?」 こういう話はいっぱいありますが、向田邦子にかかると人生のありふれた覚え違いにも突然セピア色のライトが当たります。彼女の随筆「夜中の薔薇」もシューベルトの歌曲の歌詞「・・・野中の薔薇」を長い間「夜中」と聞き違えていた、というお話で「童は見たり夜中の薔薇」という歌詞は、昔風の広い家で、 夜中にトイレに起きた子供が自分の寝室に戻る途中、子供が見てはいけない...