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エピソード020 <何を読まされているのか>

以前は、新聞の主要6紙のうちどれをとっているかで、 その方の考え方がだいたい分かると言われていました。 リベラルな記事が好きな方は朝日・毎日・東京新聞、 保守層は読売・産経新聞の記事が読みやすいのでしょう( 日経については後述します)。 スポーツ新聞も阪神ファンはデイリー、 巨人ファンは報知と決まっています。 ところが、今、「紙の新聞」をとっている家庭が非常に少ない。 ニュースはもっぱらスマホ。 そうするとニュースの見出しで読みたいニュースを拾い出して読む ことになりますが、 見出しだけ見てもその記事が何新聞の記事なのか分かりません。 それどころかネットニュースには新聞だけでなく大小様々なメディ アの記事も同列に掲載されるので、 記事を開いて出典を確認してもそのメディアのポジションが分から ないことも多いですね。 「紙の新聞」では、 当たり前ですが読んでいる時点で何新聞を読んでいるのか分かって いるわけですから、 たとえば国会論戦の記事を朝日新聞で読んでいるなら野党側に寄っ ているだろうし、産経新聞なら多分政府側だろうから、 読者がそれぞれのニュアンスを割引き・ 割増しして理解を調整することができるわけです。しかし、 私もスマホニュースには毎日お世話になっているのですが、 その記事をだれがどんな立場で書いたものなのか、 結局分らないということもよくあります。 これだとどこまで客観的な記事なのかの判断ができません。 さらに私が危険だと思うのは、 スマホのニュースは(たぶん)AIが判断して私が「 興味を持ちそうな」「読みたそうな」 情報を重点的にリストしてくることです。試しに、今、 私のスマホでニュースを見てみるとワールドカップの日本チームへ の賞賛と、旧統一教会糾弾のニュースが非常に多い。 日本チームへの批判的な記事とか、 旧統一教会擁護の記事は見当たりません。 そしてそれはそんなニュースが本当に無いのか、 それとも私のスマホでは(私のスマホだから)見られないのか・・ ・それを確認する方法はあるのでしょうか。 それに対して「紙の新聞」は、印刷物ですので私が「 読みたそうな」記事ばかりではありません。 私が読みたくないような記事・・・戦争の残虐行為の描写とか、 わが愛するベイスターズが逆転負けしたとか・・・ も同一紙面ですから読みたくなくても見出しが目に入ってしまいま ...

エピソード019  <ニッケル水素>

こんなにリチウムイオン電池が足りない、 高くなったとあちこちで悲鳴が上がっているのに、 どうしてニッケル水素電池を見直す気運が高まらないのか・・・ 不思議です。 私が電池業界に飛び込んだ1984年当時、 代表的な二次電池は鉛電池とニッケルカドミウム電池(ニカド) だけでした。今の「ビデオカメラ」は「 カメラ一体型ビデオデッキ」という長ったらしい名前でしたが、 1本60グラムのニカド電池が10本使われて(つまり、 セルだけで600グラム)いました。今、 ふつうに買えるビデオカメラは本体重量が300グラム程度です。 電池はあきれるほどデカくて重かったのです。 だから90年代にニッケル水素電池が登場してきたときはセンセー ショナルでした。このときまで鉛電池が「旧」、 ニカドが「新」だったところに「最新」 として颯爽と登場したニッケル水素は、重量容量密度( 同じ重さならどちらが容量があるか)、体積容量密度( 同じ大きさならどちらが容量があるか) とも従来のニカド電池を30%以上うわ回り、 携帯電話やPCの通話/仕事時間を大幅に伸ばしました。 しかし絶頂期は10年ほどで、 すぐにリチウムイオン電池に主役の座を奪われてしまいます。 容量密度がさらに大きく、高電圧で、最大の弱点のメモリー効果( 次項で説明)も無いので「継ぎ足し充電」 が可能なリチウムイオンは「さらに最新」として普及し、 発明者がノーベル化学賞を受賞したのはご存じの通りです。 メモリー効果・・・ 100分の放電が可能な電池を何回か50分で放電停止/ 充電することを繰り返すと、まるで電池が記憶(メモリー) しているかのように50分しか放電できなくなってしまう現象。 100分の走行能力があるアシスト自転車で「25分通勤・ 25分退勤・充電」 を繰り返していると50分でメモリー効果がおき、 週末ちょっと遠出をしても50分で放電が止まってしまう。 余談ですが・・・新型コロナが拡大する前、 弊社は18時退勤でしたが、 今は通勤ラッシュを避けるためコアタイムを15: 00としています。先日、お客様が関西からご来訪になったおり、 ウチの担当が電話口で「え、17時から打ち合わせですか?」 と悲鳴を上げておりました。コイツ、15: 00で放電終止のクセがついている・・・私は「 キミはメモリー効果か? たまにはしっかり終止電圧まで放電...

エピソード018 <評価とは>

私が20代前半のころ勤めていた家電量販店では、私たち店員に「 ナントカ売り場」と呼ぶことを禁じていて、 テレビフロアとか冷蔵庫フロアと呼ばせていました。 そこはお客様がお買い物をしてくださる場所であって「売り場」 というのはお客様に失礼である、という考え方です。 「買い場」ではおかしいからフロア。 昭和っぽい教訓的な言葉遊びと思われるかもしれませんが、 当時の私に、 何気ない慣用的な言葉遣いが礼節を欠いているものもある、 ということを考えさせてくれました。 40年経った今でも覚えているのですから印象が強かったのでしょ う。 いまだにデパートで「・・・○○売り場までお越しください」 というアナウンスが流れると少し違和感があります。 「供給」 という言葉にも似たような違和感を覚えることがあります。 「○○社には弊社がセルを供給しています」 とそのセルを作っている電池メーカーの方がおっしゃるのは「 売り場」のときと同じような一種の傲慢さを感じるのです。 新聞が「A社がB社にセルを供給している」 というのは思考停止の新聞用語でどうしようもありませんが、 少なくとも売っている当事者が言う場合は「 採用していただいている」「お使いいただいている」 あたりが妥当な表現ではないでしょうか。 英語のSupplyの訳として使っているのでしょうが、 Supplyには「対価をともなう」 というニュアンスが強くあり(Supply Chainという言葉があるぐらいですからね)ますが、 それに対して日本語の「供給」はソナエ・ タマウですから元々はおカネの匂いはしなかった言葉だったはずで す。おカネをいただいておいて「供給」って何だよ、 と私は思うのです。 では、「評価する」と言う言葉はどうでしょう? エラそうな響きがありますよね。 政治家が別の政治家の発言に対して「一定の評価をする」 なんて言うのは、キミよりボクの方が上の立場だよ、 と言っているのでしょうね。先生が生徒を、面接官が応募者を、 バイヤーが見積もりを評価する・・・いつも「評価する」方が「 評価される」方より立場が上ですから。 ・・・だから私は、来年から私どもが始める新規事業( エピソード 017参照 )を「評価事業」と呼びたくなかったのです。 それどころか、私としてはいろんなメーカーさんがご苦労されて、 おカネをかけ、リスクをとって...